価格決定論について詳細を説明する気力も能力もないけれども、「アルキアン・アレンの定理」というのがある。
簡単に言ってしまうと、「人は些細なコトの為に高い費用を払ったりしない」という単純な理屈だ。
今多くの人々の文化的消費活動は、誰かのブログ見たり、FBやらTwitterでつぶやいたり、ちょっとした調べものするといったコトの為に費やされていたりするわけなんだが、PCなんか立ち上げるのは遅いし、重いし、場所とるし、キーボードやらマウスやら邪魔だし、高いしやってられないという簡単な結論に至るわけだ。
スマフォが流行るのだって、iPadが狙ったのだって別にたいしたコトじゃなくて、実はこの些細なコトの為なのだ。
いや実際、多くの人々が求めているのは些細なコトなんであって、スマフォやらタブレットで大それたコトができることなんて求められても望まれていないし、大それたコトを押し付けようとすると「ごり押し」なんていわれる時代になったってことなんだ。
嫌消費だなんてよくわからないこという人いるけど、文化的消費活動ってのはつまり、自分だけの物語を紡ぐためにやるものであって、誰かに言われてやることじゃないってことなんだな。
いやだって世の中は些細なコトで溢れていて、それを簡単に手に入れることができるっていうのに、わざわざ大それたコトに高い費用を払うのって何で?
って逆に思われても仕方がないことなんだ。
じゃぁ、なんで遠距離恋愛って成立するんだ?
ってことについては、またいつか挑戦したい。
今一つだけ言っておくと、例えば高尚な文化の一つとして知られているウィーン・フィルの演奏を海を渡って聴きに行くとしよう。
でも、その演奏はCDというパッケージになっていてAmazonというサイトでクリックすれば数日の内に手に入れられたりするんだ。
じゃぁ、なんでいちいち海を渡る必要があるんだ?
って話になるだろう。
実は「アルキアン・アレンの定理」に言わせれば、それは費用が高いからなんだ。
なんか嘘くさい話だ。
あまりに投げやりなので、少しまとめるかな。
人は完全合理的ではなく、その意思決定を分析すると、利益と損失の評価に線形の関係性は見られない。
利益と損失のどちらを重く見るかについて参照点がある、というのがカーネマンのプロスペクト理論なのだが、この参照点が時代の変化とともに、とりわけIT技術の進化によってどう変わってきているか、というのが当Blogが表現したいテーマの1つである。
つまり、利益があると考えて行動を移すか、損失があると考えて自制するかの判断基準が、どう変わっているかということだ。
(その判断にさえバイアスが入り込むとういのが「ヒューリスティックスとバイアス」ですね。システム1とかシステム2のお話です。)
そして、このプロスペクト理論を強力に補足するのがアルキアン・アレンの定理だと思う。
この定理は、かけたコストに応じて期待する効用が変わるというものなのだが、交換コストが低下すると、かけるコストも低下するわけだ。
つまり、あらゆる情報を獲得するために必要な交換コストが下がってきている世界において、人々が期待するものも変わってきているということを言いたかったわけ。
ちなみに、プロスペクト理論が当てはまらない職業の人がいるという話もある。
「侍」です。
簡単に言ってしまうと、「人は些細なコトの為に高い費用を払ったりしない」という単純な理屈だ。
今多くの人々の文化的消費活動は、誰かのブログ見たり、FBやらTwitterでつぶやいたり、ちょっとした調べものするといったコトの為に費やされていたりするわけなんだが、PCなんか立ち上げるのは遅いし、重いし、場所とるし、キーボードやらマウスやら邪魔だし、高いしやってられないという簡単な結論に至るわけだ。
スマフォが流行るのだって、iPadが狙ったのだって別にたいしたコトじゃなくて、実はこの些細なコトの為なのだ。
いや実際、多くの人々が求めているのは些細なコトなんであって、スマフォやらタブレットで大それたコトができることなんて求められても望まれていないし、大それたコトを押し付けようとすると「ごり押し」なんていわれる時代になったってことなんだ。
嫌消費だなんてよくわからないこという人いるけど、文化的消費活動ってのはつまり、自分だけの物語を紡ぐためにやるものであって、誰かに言われてやることじゃないってことなんだな。
いやだって世の中は些細なコトで溢れていて、それを簡単に手に入れることができるっていうのに、わざわざ大それたコトに高い費用を払うのって何で?
って逆に思われても仕方がないことなんだ。
じゃぁ、なんで遠距離恋愛って成立するんだ?
ってことについては、またいつか挑戦したい。
今一つだけ言っておくと、例えば高尚な文化の一つとして知られているウィーン・フィルの演奏を海を渡って聴きに行くとしよう。
でも、その演奏はCDというパッケージになっていてAmazonというサイトでクリックすれば数日の内に手に入れられたりするんだ。
じゃぁ、なんでいちいち海を渡る必要があるんだ?
って話になるだろう。
実は「アルキアン・アレンの定理」に言わせれば、それは費用が高いからなんだ。
なんか嘘くさい話だ。
あまりに投げやりなので、少しまとめるかな。
人は完全合理的ではなく、その意思決定を分析すると、利益と損失の評価に線形の関係性は見られない。
利益と損失のどちらを重く見るかについて参照点がある、というのがカーネマンのプロスペクト理論なのだが、この参照点が時代の変化とともに、とりわけIT技術の進化によってどう変わってきているか、というのが当Blogが表現したいテーマの1つである。
つまり、利益があると考えて行動を移すか、損失があると考えて自制するかの判断基準が、どう変わっているかということだ。
(その判断にさえバイアスが入り込むとういのが「ヒューリスティックスとバイアス」ですね。システム1とかシステム2のお話です。)
そして、このプロスペクト理論を強力に補足するのがアルキアン・アレンの定理だと思う。
この定理は、かけたコストに応じて期待する効用が変わるというものなのだが、交換コストが低下すると、かけるコストも低下するわけだ。
つまり、あらゆる情報を獲得するために必要な交換コストが下がってきている世界において、人々が期待するものも変わってきているということを言いたかったわけ。
ちなみに、プロスペクト理論が当てはまらない職業の人がいるという話もある。
「侍」です。