
『ソニーのふり見て、我がふり直せ』を読んだら、「SONY」と「AKB48」が重なって見えてしまいました。
面白いので、内容を一部引用したいと思います。
井深・盛田時代からソニーを退社する2006年まで一貫してソニーのブランド戦略の中枢で活躍した河野透さんを、電通出身の山口誠志さんがインタビューという名の尋問をして掘り起こした世界的ブランド「SONY」のブランディングの真相をまとめたものです。
ブランドに興味があれば楽しめる本だと思います。
この本の序章にこうあります。
お生憎いなことに、この本がこれから綴ろうとするソニーは、今散々にこき下ろされている。
ネットの書き込みでは「終わった」だの「死んだ」だのと、遠慮も憚りもあったものではない。長年にわたってソニーを追っているライター諸氏には、「さよなら」と題した本やら記事まで書かれてしまう。そればかりか、元従業員らの赤裸々な告白本も売れに売れて、まさに東京裁判さながらの戦犯探しと断罪の話が目白押しだ。
そういうわけで、「いまさらソニーの話かよ」と訝る向きには、違う本を渉猟していただく方がいいと思う。というのも、この本は「それでも、やっぱりソニーだよ」という部類に入ると思うからだ。
「それでも、やっぱり」の焦点は、ソニーのブランドに向けられている。
今のソニーがどんなにこき下ろされたとしても、それでもなお、ソニーほどブランドでうまくやった日本企業は他にはないと私は思っている。
見渡せば、ブランドにいいとかブランドに効くという手口はおびただしくあり、ダイエット用品のように現れては消えていく。ベンダー(広告代理店や製作会社)も昔ながらの広告会社に加えて外資系もネット系もあり、選択肢は量の手に余るほど増えた。ノウハウやスキルを伝授する機会も増えて、情報も知識も容易に得られる。それこそ「ソニーのようにブランドを毀損しないために」という解説やお節介もあって、至れり尽くせりだ。それなのに「終わった」会社=ソニー以上に、ブランドでうまくやった企業が見当たらないのはなぜだろうと思う。
この文章を、下記のように変えてみたいと思います。
「ソニー」→「AKB48」
「元従業員」→「元メンバー」
「日本企業」→「アイドルグループ」
お生憎いなことに、この本がこれから綴ろうとするAKB48は、今散々にこき下ろされている。
ネットの書き込みでは「終わった」だの「死んだ」だのと、遠慮も憚りもあったものではない。長年にわたってAKB48を追っているライター諸氏には、「さよなら」と題した本やら記事まで書かれてしまう。そればかりか、元メンバーらの赤裸々な告白本も売れに売れて、まさに東京裁判さながらの戦犯探しと断罪の話が目白押しだ。
そういうわけで、「いまさらAKB48の話かよ」と訝る向きには、違う本を渉猟していただく方がいいと思う。というのも、この本は「それでも、やっぱりAKB48だよ」という部類に入ると思うからだ。
「それでも、やっぱり」の焦点は、AKB48のブランドに向けられている。
今のAKB48がどんなにこき下ろされたとしても、それでもなお、AKB48ほどブランドでうまくやったアイドルグループは他にはないと私は思っている。
見渡せば、ブランドにいいとかブランドに効くという手口はおびただしくあり、ダイエット用品のように現れては消えていく。ベンダー(広告代理店や製作会社)も昔ながらの広告会社に加えて外資系もネット系もあり、選択肢は量の手に余るほど増えた。ノウハウやスキルを伝授する機会も増えて、情報も知識も容易に得られる。それこそ「AKB48のようにブランドを毀損しないために」という解説やお節介もあって、至れり尽くせりだ。それなのに「終わった」会社=AKB48以上に、ブランドでうまくやったアイドルグループが見当たらないのはなぜだろうと思う。
近い未来の話みたいですね。
↓たとえば、こんな話題についても
AKBのファンってもっと肩の力抜いたほうがよくない?(AKBまとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51816372.html
「AKB48」という「ブランド」を意識すると違った側面が見えてくる気がします。
たとえば、↓ソニーのブランドについて語ったものですが、「SONY」を「AKB48」に置き換えて読んでみてください。
・世の中の8割を敵に回すも可なり
宣伝の話ですが、ソニーは日本の企業にしては好き嫌いをはっきり言う方でしたね。少なくても、そういう主張がある方に見えた。
河野:まぁ、嫌いな方は言うだけ無駄なので、好きな方だけガツガツ言わせてもらいました。
しかし、好き嫌いを言うことには度胸が要りますね。本来なら「皆さんの」って、万人受けを狙うのが筋ですから。
河野:ソニー的とか、ソニーらしさと言われるけれど、それって万人に好かれるものではないし、また万人が好きなものはソニー的ではない。そういう自覚がありました。
それでよかったんでしょうか?
河野:一部には愛好されて一部には嫌悪される。その方がブランドの伝染力が強い。そう思っていました。
たとえば、ここに二人います。タイプAとタイプBです。タイプAがソニー好きならば、タイプBはソニー嫌い。セグメントとはそういうものですが。
河野:それが当たり前じゃないかと思った。そのセグメントの基準が間違いでなければ、好きな人がいれば、反対に嫌われる部分が出てきて、嫌う人が出てくる。その方が自然だし、そうあるべきだ。ブランディングはそういう状態を作ることだし、それは一部の愛顧をさらに強化していくことにもつながる。
握り合った者同士で、さらに深い関係を目指して杯を重ね合う。顧客関係の深化というやつですね。その対極にあるのがアメリカ系のマーケティングです。これは量と効率を追求する販売技術です。
河野:だから、それと混濁させてしまって、闇雲に全員に好かれようとする。その結果、全員から距離を取られてしまう。それで沈んでいく。今のソニーに限らず、そんなふうに見える商品やプロジェクトがたくさんあるように感じるけど、どうだろうか。
すると、ソニーが狙ってきたのは面よりも点ですか。
河野:ものの喩えですが、非常にソニー愛顧の強い人からソニーブランドが溢れだして周囲の人に伝染していく。それでソニー今日に入信してくれるならいい。だけど、ソニー愛顧者とアンチ・ソニーの人を足して二で割ってみると、こんなスコアになりました。そんな均した見方にが意味があるのか?ないですよ。
「Do you have a HONDA」という一連のブランド広告がありました。ホンダの方がズバリ言っていました。「あれは伝染なんだ」と。合議制の検討を重ねて、これがベスト・ソリューションです。そんなやり方は強烈な愛顧を生まないぞ。限られた人の支持であっても、ブランドは非常に濃くあるべきだ。そうおっしゃる。
河野:そりゃそうです。いろいろ比較モデルを検討して、AのセルかBのセル化。どっちのクラスターを重視するか。色分けしたり、セグメントを入れ替えたり、どっちのセルに寄せた方が得だとか損だとか。そうやって組み立てていく。条件肢をいろいろいじって、計算した気になれる。そういうのが多いでしょ。会社でも商品でもサービスでも。
昨今の市場理解の手順がそうですから。そういう説明が立たないと職場では馬鹿たれと言われてしまいます。
河野:そういう数字いじりがみんな好きだね。ソニーのトップの持論には、毒や独善が混じっていた。盛田さんにも大賀さんにも。ご本人たちも僕らもそれを自覚していた。だから、それを承知でみんな喜べという話にはならない。無理ですよ。むしろ、ブランドが精強になればなるほど、世の中の8割には嫌われるはずだ。その方が自然だろう。そう思っていました。僕らがやってきたのはブランディング。マーケティングなら落第でしょうね。
万人受けではない。とすると、ソニーの仲間、またはソニー感度をお持ちの方々の心をしっかりとグリップしとかないといけない。そうなりますね。その際、経営トップは何を判断するのでしょうか。
河野:何ならやりすぎ、何なら許容。そこをジャッジしていた。つまり、アクセルとブレーキ。ハンドルは現場。だから、ブランドのコントロールやメンテナンスは、できるだけ単純に大ずかみにやろうとした。ただ1点、責任の所在をはっきりさせろ。そこが肝心なところ。
あらためて伺いたい。ソニーにとってブランドとは何か?
河野:そもそもは商標。名前。単なる識別のためにある。
ブランド論が溢れているが?
河野:それでも根本は商標。1958年当時、ブランドなんて概念は日本になかった。なかったけど、逆に「暖簾」という考え方は脈々とあった。暖簾のアナロジーが説明される方が気持ちよく理解できると思うね。
表意ではなく、表音にこだわった理由は?
河野:海外だ。その時既に外国市場に乗り込むことを織り込んでいた。単純にアルファベットにするだけでもだめ。NECが「ネック」、Nikonが「ナイコン」と呼ばれたりという現象もあった。
SONYは、SOUNDまたはSONICのSOと、男児のSUNNYのNYを合体した造語という説明があるが?
河野:そんな説明的な読解よりも、ハナモゲラ語というかエスペラント語のような感覚にのって編み出された。表音文字だから記号化して図像として視覚で捉えることができる。たった4つの文字だからね。
先に名前を決めたら、それにふさわしい振舞い方があとから追いついた?
河野:明らかにそう。たまたま。たまたまトランジスタにぶち当たったし、たまたまそこに生きる道を見出した。
後年、ソニーの中でブランドのコンセンサスが齟齬を来すようなことは?
河野:それはない。極めて単純に定義していたから。妙に思弁的な解釈や疑念が入り込む余地はなかった。
具体的には何と?
河野:「SONY」という音であり記号であり図像です。それしかない。「2001年宇宙の旅」に出てくるモノリス(石柱状の謎の物体)みたいに、それだけがデーンとある。
世界的で、最先端、未だかつてない。それがSONYだ?
河野:そういう連鎖・連想であり「ソニーとはそういうものだろう」という、まさに情緒的な期待感。
「SONY」と「AKB48」が重なるんだよな。
つまるところブランディングなんだ。