吉松駅~人吉駅・・・しんぺい(いさぶろう)号
”はやとの風”を降りて吉松駅で走り回っている間に、しんぺい号の乗車時間がやってきた。
真っ赤や車体に”しんぺい号”の文字を、童心に帰って見入る。
”しんぺい号”の車内も昔の風情をたっぷり残し、はやとの風に負けてはいなかった!
この”しんぺい号”人吉⇒吉松を『いさぶろう号』、吉松⇒人吉を『しんぺい号』と人の名前で親しまれている
沿線の『 神山第2トンネル650m 』には、50名が事故に遭ったと言う怖く悲しい記録も残っている。
「乗客や乗務員のものではない、人の話し声がする」
「乗客の話に返事する」
最初の見所は、真幸駅の『幸せの鐘』と『山津波の岩石』更にスイッチバックの駅である。
吉松を出発した”しんぺい号”、心待ちにしていた吉松~真幸間の『神山第2トンネル』は何処~
気がつけば、列車は真幸駅に滑り込無直前で、慌てて≪まっさき=真幸≫に鐘を2度打った。≫
改札口周辺には、地元の方々が特産物をいっぱい並べてのご接待販売がある。
そして、先頭車両のところには、昭和47年に発生した際に駅に残った8トンの岩石がある。
幸せの鐘 駅舎 山津波の岩石
真幸駅を出発する”しんぺい号”は、後ろ向きに走り出し切り替えポイントで本線を」一旦外れ
再度、段違いの線路を先ほどの真幸駅に向かってり、ホームで見送りする人に2度目の手を振る。
が、先ほどのホームは遠くはなれた場所になる、山岳鉄道ではお馴染のスイッチバックである。
真幸駅を過ぎると、日本3大車窓景色となるが、霧島連山は霞にお隠れだった。
列車が停まってくれますよ~
次は矢岳駅であるが、矢岳第1トンネルの出入り口に沿線建設当時の逓信大臣(山縣伊三郎)と
鉄道院総裁(後藤新平)の記念扁額があるらしいが、列車のスピードが速く見ることは出来ず(涙;)
列車が矢岳駅に到着すると、我先に鉄道資料館にダッシュ、念願のD51機関車と対面する。
いいねいいねSL
標高536.9mだって! 驚き
矢岳駅を出発すると、大畑駅(おこば)となるが、遥か山の上から真下にスイッチバックの線路が見られる。
スイッチバックの大畑駅
大畑駅には、ループ橋とトンネルを潜って下っていくらしいが、ループ橋の感覚を味わうことは出来ない
真幸駅では駅を出発してスイッチバックだったが、大畑駅通り過ぎてバックし再度前進で駅舎へ
ホームには、汽車(SL)当時に機関員が顔を洗ったとされる、朝顔の形をした洗面台がある。
水が出ていたらら、顔を洗いたかったが、現在では使われていないようです
朝顔洗面器 たくさんお絵馬が
いよいよ列車は、終点の人吉駅へと下っていく
レトロな感覚で列車の旅を満足させてくれた”しんぺい号”ともお別れとなる。
親切な乗務員さん、お世話に成りましたぁ~