カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-871 『最期の切り札』

2013年08月20日 | 日記






 明日(8/20)の分です。







今、写真を誤魔化して使っているのを、なんとか改善せんといかんのが差し迫っての課題だね。

フリーの壁紙写真でブログやホームページなどにご利用くださいってのを使ってるんだけど、これは、そうだったかなあ?なんてのがある。

個人的に愉しみがてらに、ホイホイ集めた写真とごちゃ混ぜになってるので危なっかしい。






ダラダラ並ぶ活字の息抜きに利用してるので、別段、重きにも置いてないって意識が、また、ダラダラと続けてしまう。

駄文を意図した写真なんかを挿入しようと思ったら時間的にほとんど無理なんだね。

じゃあ、何でも云いかと云えば、そうでもない。当たり障りのない写真が応用に利く。そんな写真を撮りまくらねばならない。






これは大変な労力だね。そう思うと、人の写真の価値を思い知るね。黙って勝手に使うもんじゃないわなあ。

くだらん駄文にしても、それなりに形づけるには労力なくして出来るもんじゃないね。一念発起が必要だね。

撮って撮って撮りまくらねばならん。「何を撮るねん?」 オレが聞きたいわ。





















長く途切れなく思いついては書いてきましたけど、本日、途切れました。「なんかのニュースか?」 うるさいわ。

ネタが、思いつかないってこと。浮いてこないってこと。

「そん時の、頭の中はどんな具合なんだ?」 う~ん、難しいことを聞きよるね。靄(もや)ってるって感じかね。





「それは、いつものことだろ」 馬鹿っ、いつもは霞(かす)んでるだよ。「一緒じゃないか」 あっ、ホントだ、字も一緒だね。

あかんねえ~、なんか、取っ掛かりを得ようと出任せ云っても引っ掛からないね。「この五行は作戦だったのか?」 そう。

実は、今日は、初っ端から作戦中なんだよ。「じゃあ、諦めろよ」 諦めるのは、いつでも出来る。おっ、浮きが反応したね。





















オレが、なんでも、なかなか諦めないのは、捨てるのはいつでも出来る手段だからだよ。つまり、最期の切り札だからだよ。

仕事にしても、夢や希望にしても、人間関係にしても、もう、だめだって思っても明日に繋げるのは、最期の切り札のお蔭だよ。

そう、捉えれば、振り回されているんじゃない、自分が、自分の意思で繋いでいるんだと思えるだろ?





最期の切り札は自分なんだよ。どんな世界に生きても、この札を持っている限り、自分の意思は、其処に存在している証だよ。

期限なんてないんだよ。答えなんてのは、なかなか得れないもんなんだよ。

熱意だよ、想いだよ、執念の粘りだよ。そして運命だよ。





切り札の使いようは、人それぞれだろうけど、自分の努力を測られていることを忘れちゃいかん。

実はね、測っているのは、誰あろう自分自身なんだよ。人は知らぬ間にマゾッ気の世界で苦しんでいるんだよ。

苦しみと切り札を秤にかけて、人は人生を知るんだよ。





哀しいのは、そうして自分を甚振(いたぶ)って何とか成った奴が、人を甚振ることをするかねえ? 急にサドになるな、アホッ。





















「おまえって、独り遊びが上手だね」 子供ごころの為せる技だよ。






























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