カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-876 『積み重ねる日々』

2013年08月25日 | 日記





 明日(8/25)の分です。








最近、なんか、このブログを開いてくださる方が、矢鱈と増えてんだけど、どういうことなのかねえ?

いつまで続くのか解んないけど、読んでくださる人が居るから張りがある。でも、その数が多くなると逃げたくなるよ。「なんでやねん」

増えるということは、文句も増えるということだよ。段々、怖くなってくるんだよ。





オレのは、自己陶酔型の内容が多いから、「なにを云うとんねん、このタコがっ」なんて、大人気ない人も混ざってくるよ。

「おまえ、そのほうが失礼だろ」 まあ、オレの場合は、下手なお話だから、笑えるときもあれば、ムカつくときもある。

人の話ってのは、そんなもんだろうね。そいつの価値観や癖ってのが出るわな。





「そんなのは、もう、相当出てるんじゃないの?」 だろうね。 今更、変更できないからね。「そらあ、おまえは、おまえだからね」 そう。

今までの人生、多くの人たちと会話して、その都度、なにかしら得るものがあって、知らず知らず成長の血肉などになってんだろうね。

そして今、こうして、見ず知らずの方々に一方的に話しかけて、一日、一日を終えている。



















話題を振るのも変えるのも、独りで相手を想定して会話を進めて、頃合見つけて 「また、明日」って終わりに持って行く。

客観(視)氏が、喋るなんてのは、ホローが欲しいときに役立つの。考えたら、随分と器用なことをしてるね。

未だに、自分が、わざわざ、恥晒す行為を続けていることに、改めて気付いて、背中に汗をかくときがある。





話して笑わせる、話してイラつかす、話して考える、話して合点する、話して気付く、話して癒す、話して磨く、そんなのが出来たらいいね。

日々の積み重ねほど怖いものはないってのが、オレの座右の銘としてある。今在る人格は、それが為している。

常に、自分を磨くって思って書き続ければ、何か、些細なことでも成長するんじゃなかろうか? なんてのがあるから書いている。



















名無しの権平でも、事実を、常に胸に置いて自分を見ている。話を聞いてくださる人を裏切れない。

此の程度でも、それなりに自信のようなものがあるから書いている。でも、それすら崩壊するときがある。

自己嫌悪に陥るときがある。自分が薄っぺらい枯葉のような存在に思えるときがある。自分の能力と対峙するときは、正直、辛い。





そんな時、時折なんだけど、他所のブログを覗くときがある。犬や猫の、その日の生態写真を毎日のように貼って紹介してるのが多いね。

それで、コメントが矢鱈と多いんだね。「可愛いですねえ~」 「癒されますうwww」 「今日は、少しスネてるのかなあ~?」 

「お大事にい~」 こんなのばっかし。「www」 これってなんなの? 





揃いも揃って、なに、云うとんねん? 普通じゃないで、異様やで、だいぶ、おかしいで。

オレが、おかしいんなら、こいつらも、相当、おかしいで。 

生活ゆっくりしてても、なんか満たされないもんでもあんのんかいなあ? なんて余計な心配するよ。





そして、立ち直る。「簡単やね」 また、書くぞお~と意欲が湧いてくる。

こんな動物キチガイどもも居る。独りよがりのおっさんが居ても不思議じゃない。お蔭で自信を回復させてくれる。

「覗く対象を間違ってるんじゃないのか?」 前にも云ったけど、とんでもない文章を書く奴のを見て奈落に落ちるような馬鹿はしない。


















此れでも、オレは、感化されるのを最も嫌うからね。「成長止めるぞ」 吸収は、違う場でするよ。

井戸の中の蛙(かわず)の愚かしさを知ってるよ。でも、井戸の中の蛙は、限られた世界で井戸の外を想像する力は長けておるかも知れないよ。

オレは、知りすぎて迷う蛙よりは、知らぬことで一途になれる蛙で構わない。





コピペのような知識は要らない。そんなのは、コピペで済ませる。自分が、意にとめてこだわらずに居れない事柄を租借して自分の考えと融合する。

家を建てるのと同じだよ。和風に徹するか、洋風に徹するか、和洋折衷(せっちゅう)にするか、自分の家を築くんだよ。

「どんな家を建てたい?」 ちっちゃな家でいいよ。喫茶店風の玄関フロアがあって、誰彼なしに入って来て、好きにくつろげる家がいいよ。





それに、一日篭って好きなこと書いてられる三畳ほどの書斎もどきが在れば、なおいいよ。















カメレオンの独り言