明日(8/28)の分です。
パソコンの前についてから、はっと気づいたら眠ってたよ。気持ちいいね。睡魔におちょくられるのは暫くなかったなあ。
なんか夢を見ていたような気がするんだけど一場面程度しか思い出せない。
草の蔓が這っているお寺の土塀に、ブンブンがてんこ盛りに群れて蠢(うごめ)いてる。コガネムシとかカナブンとか呼ぶね。
彼らの青味がかった黒い背中をギラギラと日差しが照らしてる。5、6歳だったかなあ、遊び友達らと笑顔でなにやら話しつつ見上げてる。
家の向いのお寺だったね。あの頃も平和な日々だった。現(うつつ)も過ぎ去れば夢が如きだね。
土塀に這う蔦より、蔦に蠢くブンブンよりも、土塀が割れて崩れた部分の土の肌が、触れば埃立つ触感を伴って鮮明だったね。
ちょっとイメージが違うけど。
さて、何を書こうかいな。浮かんで来ない。こういう時は、脇に立て掛けてある日本刀の鞘をはらい、抜き身をかざして瞑想しよう。
「それ本身かあ?」 云わなきゃ解んないだろうが、馬鹿だね。
「はあん、京都の土産屋で買った七千円の玩具かあ」 どついたろかっ。摸倣刀って云えよっ。オモチャって云ったら。ブリキの刀と思うやろがっ。
重さは、ゆうに1キロはある。造りは、あくまで忠実に模して丁寧だよ。刀身はアルミじゃないよ、亜鉛合金製だと思う。重たいよ。七千円は安かったよ。
もう、まえに書いてバレてたね。意図的に刃のつけようのない金属で造られているんだね。金属の強靭さも、本身の刀の半分以下で、
本格的居合いの素振りにさえ、もたずに折れることがあるらしい。「土産屋の七千円、実質二千円程度の安もんだから、おまえが振っても折れるで」 かもね。
かざして眺めるには、いい雰囲気だよ。土方歳三になったつもりでかざすんだよ。「おまえは、そんなとこが、まるきり子供だね」 そうだねえ。
強度をアップした居合い用の摸倣刀が欲しいね。和泉守兼定、土方歳三が、此れを振り回してたんだね。「なんか、キチガイに刃物って表現だね」
胴田貫正国もいいねえ。斬馬刀だよ。本身が長いんだね。戦国武将が好んで使ったらしい。
拝一刀も愛用してたね。「誰や?」 子連れ狼だよ。シトシトピッチャン、シトピッチャンだよ。「漫画だろ?」 ドラマや映画になったよ。
萬屋金之助が、ちっちゃな身体に大きな刀を帯びてたよ。でも、彼は、芸力があるから胴田貫を本身のように扱ってたねえ。
役者は、あれでなきゃあいかんよ。実際はバランス悪いのに、それを感じさせないところが凄いね。
『 和泉守兼定 』
『 胴田貫正国 』
居合い用の摸倣刀は、高いんだねえ。五万から十万だよ。「斬れない刀が、五万から十万ッ、どんな奴が買うのっ?」
居合いの先生なんかじゃないかね? オレも習っておけばよかったよ。袴(はかま)身につけて、本格的に刀を振り回してみたかったね。
手前味噌だけど、オレの性分だったら、いいとこまで行けてたと思うんだよ。極めるまで手を抜かんからね。しくったねえ~。
そして、新撰組に入隊するんだよ。「なに云うとんねん?」 世が世ならの話だよ。
刃物は、縦に置けば、皮が斬れても深みになならない。それを横に走らせることでザックリと肉を斬って骨を断つこともある。
言葉も、それと似ているね。云って責めても刃を置くにとどめ刃を返して引くべきだね。
辛辣な言葉の走りようでは、相手の心を切り裂くときがある。見えない深手を負わせて気づかぬところが刃物より怖い場合がある。
当る当らぬかの微妙な間隙(かんげき)を見切って勝負をつける。これが呑み込めない相手は、打たれたことに気づかず引くことを知らない。
映画にも、そういう場面があるね。観てる側からすれば、解らん奴には、実際に当ててどえらい目に遭わせたれって思ってしまう。
でも、力量の差を知るものは、相手にしないね。
言葉争いもそうだろうね。解らぬ相手に無駄と解せば、引く度量を持つべきだね。
本当に強い人って、押しなべて器が大きいからね。技とともに習い知るのかね?
どうにも収まらぬときは、負けて勝つを術(すべ)とするんだろうね。技は心なりだね。