明日(8/3)の分です。
水道の水みたいな海ってどんななのかなあ? 「透けて汚れがないんだろ?」 おまえなあ、そんな水ぐらい想像できて当たり前じゃやないか。
だから、水道の水って例えてんじゃないか。オレの云うのは、ドブみたいな海でしか海水浴の経験がないから、海全体が水道の水みたいってのが信じられない思いなんだよ。
「ドブみたいな海って何処なの?」 もう、遠い昔になるけど、南海電鉄線の浜寺や助松、二色ヶ浜なんかだよ。相当、昔だよ。ドブ茶色だったよ。
「浜寺や助松なんて、今はないね?」 地名はそのままだけど海水浴場などない。今は工場地帯だよ。そんなとこでも、行ったら嬉しかったけどね。
駅降りて細い道進むにつれて海の匂いがしてきて、家と家の軒下の隙間から青い海が見えると心が躍ったよ。何故か、ウンコがしたくなってくるんだよ。「なんやねん?」
気が急(せ)くんだろうね、その急く思いに腸が刺激されるんかね? オレね、この行程では、何度も経験あるよ。「珍しい奴やな」 まだ、かわいい頃だよ。
砂浜の手前の防潮堤まで来て、脚を寄せて捻るようにしてると収まるの。 「そんなの子供だからええけど大人の場合は辛いで。大人が脚捻って堪えるさまはできんで」
歩いてきて防潮堤に両手をかけ、顔は、あくまで何気なく、なにかリキ入った感じで動かない人は、耐えてるんじゃないか? 意味なく動かない奴が臭いね。
そのままの姿勢で腰を落とし靴の踵の上に閘門部を乗せて、何気ない顔して意味なく動かない奴は、相当の極限状態にあると見て間違いない。
そんなときは同行者は無視してやるのが思いやりだよ。「おおい、なにやってんだよ、行くぞお」 「早くう、何々君、行くわよお~」 「ああっ・・うっうっさいなっ・・・」
「そんなとこで何してんだよお?」 「ああ・・・もう、少しも・・・動けないの~」 汗べっとり。「何々君、不自然だわ」 「い・・云ううなっアホっ」
「そういえば不自然だなあ」 「誰が見ても不自然じゃッアホッ」 「あらあ、何々君、携帯の裏を見てるわ」 「ポーズで持ってるけど、裏も表も見分けがつかんのじゃああっ」
「水道水のような海と、なんの関係あんねん?」 話の流れだよ。 海に限らず、こんな断末魔って、誰でも、一度や二度は、経験あるんじゃないの? 「知るか」
釣りなんかでは、南紀や日本海なんかの綺麗な海は知ってるけど、足元が底まで透けていても、そうそう向こうの方までは透視できないもんね。
第一、砂浜の砂が違うみたい。真っ白な細々した真砂(まさご)が延々と続いてるね。信じられない美しさだろうね。
別段、何処其処知らないから悲しいとも思わないけど、くたばるまでに機会があったら、沖縄でもいいかなあ、ハワイかな、南太平洋の島々かなあ、行ってみたいね。
透け透けの波が、静かに打ち寄せる白い砂浜で時間忘れるぐらい尻を浸けて脚伸ばしてぼお~としていたいね。「泳げよ」 泳げないから、これでいいの。
夕焼けの砂浜なんかもいいだろうね。そのあと、夜の街ん中を散策して健康的なバーなんかでカクテルなんか頂いて、ほろ酔い気分で豪華なホテルに帰り爆睡するの。
オレは、夢喰って満足するタイプなんだけど、この夢は実現したいねって、最近、ホントに思うんだね。
「今時、ハワイなんか誰でも行ってるよ。まして、沖縄なんか行ったり来たりだよ」 それが、どないしたんや? それは、他人(ひと)さんの物語だろ?
今、話してるのは、オレの物語だよ。なんで、比較するの? その中の幸せな他人(ひと)さんが、もし、不幸になっても付き合ってあげるのか?
自分の幸せ投げうって痛みを分かち合うのかよ? みんな、自分の人生を生きているんだよ、いい時は「いいねえ~」って喜んであげればいいんだよ。
「今時、沖縄なんて格好悪いよ」 何処がどう、格好悪いんじゃっ。そんなの云ってるおまえが格好悪いわ、ダアホッ。自分を生きろっタコッ。
人に振り回されんと生きれんのか? その意味合いなら人など要らんわ。有象無象の馬鹿たれどもがっ。「それは、どういう意味やねん」
追いつ追われつ、死ぬまでグランド走って周ってろ。疲れることやのお~。行って持って帰れるもんやないねんぞ。いつでも、変わらず其処にあるわな。
他人(ひと)さんのことは、良く見えるんだよ。自分が満てぬところが、そのように見せるんだよ。手に入れてしまえば、夢に描いたほどのもんでもないんだよ。
自分が欲してこそだよ。想ったほどのものでなくとも「来たなあ~」って満足感に浸れるんだよ。
こんな美しい光景でも、来る日も来る日も見てたら、砂の上のココナッツがどないしたんや、都会のほうがいいよってなってくるもんなんだよ。しかし、綺麗だねえ~。