明日(8/30)の分です。
昨日、中2の女子が、読書感想文の宿題で焦っていたんだけど、出題なのか、自選なのかは知らないけど夏目漱石の「こころ」を読むと云ってたね。
ふっと思い出してネットを叩けば載っている。生まれて初めて読んでみたよ。五十四章まで一気に読んだ。
余った深夜の時間、読書もいいね。心の層を幾重にも辿って奥深い。こころは、問えば鏡のように答えが返って来る。
その答えに生涯を懸けて、後ろめたさのこころと向き合い己を処した男の話だね。
この本の「先生」は、喰うに困らず閑居して在るが故の、唯一の、それが仕事だったと、とれなくもない。優雅なもんだよ。
「そんな捉え方するか?」 そんな単純な内容じゃないけれど、ひとつの要素をば指摘してるのよ。
学校はサボるものってのが、オレの定義だったから、読めって云われて読んだ例しが無い。「自慢できるか?」 自慢してないけど後悔もしてない。
オレは、自由な環境でないと頭が回らんタイプなの。根っからの個人型で一匹狼でしか生きていけない人間みたい。
だから、社会では、後が無いって意識が強いからサボったことがない。
組織では、末端がオレの生きる場所。ただ、闇雲に働きまくって我が道行くを通してきた。
いびつな人間に生まれると生きていくのも楽じゃないよ。
なのに、人には疎(うと)まれず、剥けに馬鹿にもされなかった。どういうことなのかねえ? 訳解らんわ。
親方の会社の大卒社員が、毎日、交代で下請け社員のオレを車で家まで送ってくれる。
オレは、いつも馬鹿みたいに笑って話し相手して元気づけてあげるんだね。
「〇〇〇〇さんには、皆が一目おいてますよ」って、云ってくれる。何処に一目おいてくれてるのか解らない。
「〇〇〇〇さん」「〇〇〇〇さん」と、何処に居ても声がかかる。捨てる神あれば、拾う神ありで世は周っているねって思ったよ。
オレは、似合わないけど本が好きだね。「こころ」に続いて、何か読みたい。でも、明日のブログを粗方書いてしまわないと落ち着かない。
若い頃は、自然界の厳しさを描いたものか、サスペンスものか、時代劇か、少しエロがかった内容のものか、そんなのを読みまくったね。
文学なんて、オレの頭じゃ受け付けないって決めてたからお呼びじゃなかった。でも、意外と馴染めるね。そんなのを感じたよ。
死ぬまでに生まれ変わってやろうって思いがある。知らなかったことを知ってやろうかって思いがあるね。
登(知)る気なら、人が、台やら梯子やら階段になるヒントを教えてくれる。それらを生かして肥やしにしようって思うんだね。
今の時代は、結構だらけで、そこらにそれらがゴロゴロ転がってるよ。
目先の愉しみを満足した訳じゃないけれど、今更、そんなのばかり追いかけて、空っぽのまま彼の世へ行くには芸がない。
あとの五年を十年に、十年を二十年に、二十年を四十年にとれるほど価値あるものに変えてやる。
新しい電池に交換した玩具のキャタビラ戦車が、急な坂を上がる按配だよ。相当の勢いだよ。
「すぐに消耗するよ」 アルカリ単一電池が6個だよっ。「バッテリーか、直流かに交換しろよ」 また今度ね。 「なんだよお~」
オモチャの戦車だけが先行しても仕方ない。オレが着いて行かにゃあ意味がない。戦車の後に歩兵がくっついて行くだろ?
そして、駄文の帝王になってやる。「そんな帝王に意味があんのか?」 知らん。
だけど、オレにとっては、意味は無くもない、こいつが、今のオレを、坂の上へ引っ張ってくれる原動力だよ。アルカリ単一電池が6個だよっ。
「そればっかし」 遣ると云ったら遣りとおす。もう、夜空を焦がして飛び交う集中十字砲火だよ。「どういうことや?」
あちこちで炸裂だよ。「おまえしか解らん表現やねえ?」
不思議なのはね、坂の上で、今は、もう遠くへ行っちゃった彼女が、いつも笑って見てんだよ。