カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-869 『ふんで』

2013年08月18日 | 日記







翌日の分を早めに更新して、深夜の0:00時を回る頃に日付を合わせるんだけど、なんか勘違いして18日の分も更新しちゃったんだね。

あれえっ、何処へ行っちゃったのって慌てたよ。ビールに酔って消去しちゃったと思ったよ。

なんか、そこ等で並んでる行列が、いびつに前へ詰まってる感じだね。ミスったね、しまったね、困ったね。馬鹿だね。







 間が空くので、明日(8/18)の分です。







早めに仕上げた意味がないじゃないか。ゆとりが無くなってしまったよ。

だから、馬鹿は嫌なんだよ。インテリの気持ちが解るよ、まったく。

今日は、仕事上がりをゆっくりしようと思っていたのに当てが外れたよ。















さて、盆休みも終わっちゃったね。ふんで、何を書こうかな? 「ふんでって、何処の言葉や?」

いやいや、小学校2年の時の作文で先生に云われたね。「これ、なんなの?」 ふんで・・・ 「だから、ふんでってなんなのっ?」

小さいガキ相手に大人気ない先公やったで。「先生に失礼だろ?」 オレは、相手の人間性を見てたよ。





悪さの長けたのが「そいでちゅう意味やん、なあ~」って助け舟出してくれたよ。オレは、うんって頷いて笑ってる。

「その場合は、それでとか、それからとかあるでしょ」 この先公は、メガネの奥の目が冷たい。「解ったあ?」 はい。

でも、オレは、未だに、ふんでえ?って、平気で使ってるよ。「おまえもおかしいよ」





ふんで、オレは、先生も人間なんだなあと思って尊敬しなくなった。「それしきでかあ?」 それしきが大事で要だよ。

人間が人間に教える。教えるから偉いんじゃない、おまえも教えられて、そうなった。

人間に人が教えねばならんのよ。人間を人に成長させてこそ偉いんだよ。その意味合いでは、あの先公は失格だね。





今となれば、人間性を感じさせないパソコンの方が、下らん影響を与えずに遙かに優れているよ。「極論過ぎないか?」 過ぎるよ。

















ふんで、どう続けようかいな? オレは、ガキの頃から表のその裏に意識が行くひねくれもんだったね。「おまえが悪いんちゃうんかえ?」

そうとも云える。「お前みたいなガキを担任した先生が気の毒だよ」 じゃあ、先生になるな。人を導く器じゃない。

犬でも猫でも相手を見てるんだよ。相手の心ん中を見てるんだよ。奴等からしたら見極めに生死が懸かってる。





昔の先公は横暴極まりない奴が多かった。学び舎に君臨していたよ。そんな権威主義的な世界だったよ。

今、それを変えずに押し通すなら旧き良き先公と認めよう。PTAの馬鹿親どもと戦え。教育委員会の腑抜けどもと戦え。

昔流の教育の持論を押し通せ。教育者の筋と骨を見せろっ。信念なき世渡り上手なサラリーマンどもがっ。「云い過ぎではないか?」 うん。





人生は、其の子の当る先生で、その子の運命も決まると云っても過言じゃない。伸ばすも断つも、おまえ次第だよ。

それほどに重たい仕事なんだよ。聖職者たる誇りは、其処から生まれるんだよ。人知らずして人を導くなんて出来ないよ。

若い先生は、教え子ともども習って行くんだよ。いろんな子供達が、あんたらの教科書だよ。そうして人の心が解っていくんだよ。





オレの2年の担任は、もう五十路を回ってた。成長其処止りのおばはんだった。「おまえなあ~」 お笑いも入れんといかん。

















教え子のスカートの中を盗撮したり、トイレにビデオを隠したり、揚句は、乱暴したり、誰がこんな奴に教員免許を与えたっ?

どんな駕籠にも腐った卵は混じる。時折の一人、二人なら云わん。そんな奴等のオンパレードではないかっ。

ふんで、「ストレスが云々」恥知らずの決まり文句、何をぬかすかっ、世の中で働く人々全てが、ストレスの中で生きとおるんじゃっ。





おまえ等のいい訳通るんやったら、女の子は、一時も外を歩けんわ、アホめがっ。





こんな奴等のいい訳書くなら新聞一面に顔写真を曝せ。一生懸命に先生を貫いている人たちの名誉に懸けて、聖職を汚した奴等を厳罰に処せ。

そこ等のアホが遣ったらボコボコなのに、なんで、こんな卑怯者のペテン師を庇うのか訳解らんわ。先生の面汚しではないか。

先生、先に産まれただけのことやね。駕籠に在る、誇りを忘れて腐った卵の中に、まともな卵も必ず居る。ヒナに孵って大きく育て。

















金八先生まで遣れとは云わん、遣れと云われなくても遣っている、そういう人でなければ本当の先生は務まらないんじゃないんかねえ?





「ふんでから、なんでこんな話になるの?」 オレも解らん。人をケナチョンに攻撃する話は程度が低いね。

書きながら、そんなことを思ったよ。ふんで、日頃のストレスが云わせてしまったと言い訳してるんだよ。

「ふんで、終わるのか?」 そうだけど、やっぱり、ふんでは、おかしいでえ。




「じゃあ、結局、おまえが悪いんじゃないか?」 そういうことになるかね? ごめんなさい。






































カメレオンの独り言-868 『お休み-9』

2013年08月18日 | 日記





 明日(8/18)の分です。







お盆休みも終わりだね、始まる前はいいけれど終わりが見えるとダルいね。なにがあ~仕事じゃクソがっ。

でも、始まってしまうと、すぐに平常に慣れて、なにがあ~仕事じゃクソがってのも薄れるね。

その代わり 「このおっ~クソ野郎がっ」 が、濃くなるね。イッテもうたれっ。




盆明けの日曜出勤なんて、そらあないやろ。ホンマア~年金でルンペンしたろか。「情けない奴やのお~」

















ただのルンペンじゃあないよ。自分が遣りたいことだけに集中するんだよ。他のことなどクソ喰らえだよ。

オレは、成らずとも死ぬまで治らんだろうね。この歳なったら、余計に、そう思うよ。

今年が藻屑に消えたら3年後のオレを見てくれ。「生きてるかあ?」 アホ、そんなもん誰も解らんわ。




花火見物に行って夜店が並ぶお祭り風情を愉しんでいて爆発起こって火達磨なるって誰が想像する。

可哀想に、あんまりやね。なんなんだろうかねえ? 福知山の由良川河川敷だったかね。避けようの無い事故だね。

明日があるって約束は漠然としたもんだよ。筆は先からへたるもんだけど、それも絶対とは云えない漠然としたものに思えるよ。




生きてるってのは、ある意味、仕事なんだろうね。

何かを果たさねばならんことがある限り、死にたくても死ねんちゅうのもあるんだろうね。

使命なんてのは見えない。探り知りようも無い。暗中模索の闇の中、ライトで照らして「無いね」 じゃ、近いうちに死ぬね、なんてね。

















死ぬってことを禁句にするほど毛嫌いする人も居る。生きているってことの意味を知ろうとしない人だよ。

人間の前途に絶対的に約束された唯一の事実だよ。向かい合って生きるべきだよ。生きている感謝を否が応でも感じ得るんだよ。

感謝は謙虚を生む。そこから清廉を知る。そこから限り在る命の大切さを知る。命を慈しむ、互いに思い遣る心が養われるんだよ。




大局的に捉えれば運命共同体ではないか。金持ちも貧乏人も、賢い奴もアホな奴も、皆が同じ運命に生きる仲間ではないか。

優しい心に水をやれ、涸れてはいけないんだよ。枯らしてはいけないもんなんだよ。

仲間の存在の意義は鏡だよ。見えない自分を教えてくれるためにあるんだよ。人は互いに教え合っているんだよ。

















「おまえは説教染みたこと云うのが好きだね」 説教じゃないよ。説教なんて出来るがらかよ。

行く道迷えば地図を頼りにするだろ? 地図を広げておけって話だよ。でも、迷い迷って知ることもあるけどね。

そういう人は、自分で考える力を持っているよ。地図を創る人だね。「誰のために?」 人のためさ。

















「お休み」も、終わりが見えてくると、それなりに真面目になってくるね。嫌だねえ~、この決まったパターン。











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