カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-872 『或る日突然に』

2013年08月21日 | 日記






 明日(8/21)の分です。








福知山の由良川河川敷の花火会場での爆発事故で被害に遭った3人の人が亡くなったね。気の毒なことだね。

全身火傷で重篤な状態の8歳の女の子と13歳の男の子が懸命の治療を受けているらしく、他にも17人の人が重傷だって云う。

親御さんや身内さんの気持ちを思うと言葉が無い。なんてことだろうね。行かせなきゃ良かったと後悔しきりになるね。




火元の屋台の後ろに在る階段状の土手に居た人たちが、霧状のガソリンを浴びて引火とともに火が走り火達磨になったらしい。

火達磨になった人が、河に向かって走ったことで通りを埋めていた人たちと衝突、これ等の人にも燃え広がったらしい。

予想だにしない阿鼻叫喚の地獄絵図になってしまったね。気をつけていれば遭わずに済んだ事故じゃないから余計に悔しいだろうね。




屋台が立ち並ぶお祭りなんか何度行ってることやら、こんなことが起こり得るなんて考えたこともなかったよ。

時折、どうにも抗しようのない事故が起きる。其の場に居るか居ないかの分かれ目だね。

問題は、どんな事故や事件でもそうだけど、過度の被害に遭われた人々の、これからの人生だね。世間は忘れ去っていく。




この人たちは、前日までの自分ではない自分を生きていかねばならない。忘れようにも忘れられない傷を背負った自分が待っている。

加害者をどれ程責め立てようと前日までの自分には戻れない。事故や事件に遭遇した人たちの最もたる悲劇だね。

その過酷な試練を乗り越えたとき、やっと、その人たちが、呪わしい悪夢から解放される時なんだろうね。




活字で云えば数行足らず、宿命(さだめ)と受け入れ復活されるまでには、時代が変わろうほどの年数を要することもあるだろうね。

















愉しいことばかりを追いかける、軽薄なようにも思えるけれど、愉しいときを愉しんでおくのも人生かも知れない。

光と影だね。日向に生きて日向で終わる人生を生きれるもんなら生きたいもんだね。

野球の練習に励む高校球児が、急発進して飛び出した先輩の車と壁の間に押し潰されて両足を切断する事故に遭ったと云う。




何という事故だろうかね。夢も希望も両足とともに失った。彼の無念の慟哭も世間は、すぐに忘れ去る。

人は独りなんだよ。もともと人は独りで自分の人生を生きねばならん宿命なんだよ。周りに介在する人たちもそれぞれに独りなんだよ。

多くの人に囲まれても、多くの人に自分を売っても、究極は、独りで生きねばならん時が来る。




歩調を合わせて歩ける間が群れを形成しえる時間だよ。歩調が狂えば取り残されて忘れ去られる存在なんだよ。

今の若い人たちは、それを知ってか知らずか、歩幅を合わせることだけに忙しい。ただ、群れに在ることの喜びなんだろうね。

ある意味、その努力だけは旺盛だね。愉しい時間の共有を手放したくない、愉しければいい、誰しも愉悦の時間は恋しい。




事件や事故は、そのまやかしを或る日突然に突きつけて思い知らせるんだね。なんと酷いことだろうかね。

背負わぬときは解らなかったことを、背負い込んでから解らねばならなくなる。呪いたい感情に狂うだろうね。

非情な人生のからくりだね。人生は独りで歩むものと知ってから、全てが見えてくるもんなんだよ。

















こんな状況を改善する唯一の救いは、愛だろうね。これ以外にないだろうね。

歩幅をあわせて歩いてくれる献身的な愛情でしか、その人を世間の忘却の彼方から救う道はないだろうね。

そう考えれば、愛ほど大きな力はない。









事故に遭われた方を例えにするには、甚だ、失礼千万なれど、忘れ去られて積み重なっていく中で、それぞれに想い致す気持ちに嘘はない。

皆が、一日も早く回復されて幸せな人生を歩まれることを祈ります。












カメレオンの独り言