カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-874 『嗚呼、新撰組』

2013年08月23日 | 日記





明日(8/23)の分です。









オレは、何ごとにも、大概、偏った見方が目立つんだけど、昨日、新聞で仲代達也が映画への思いを語ってる記事を読んだら、

そうでもないなあと安心したよ。今の日本の映画の衰退を嘆いていたよ。

オレの云ってることが、そう、ハチャメチャな意見でないのを確認できたので、自信を持って語ろうか。







創る者が、商売を意識してはいけない。商売は、その道の仕事師が遣る。創る者は、思いの丈を注いで情熱で作り上げるんだよ。

今の邦画には、創る前から媚びた発想がある。だから妥協の産物しか出来上がらない。

下手糞な歌で名を売ってるような青二才どもを使うな。これからして、もう駄作にしかならんのだよ。







こいつらのための学芸会を創ってる訳じゃなかろうがっ。こいつらの名で客を釣るなんて考え自体が駄作の第一歩だよ。

本当の映画を待ち侘びている人たちに感動を与えろ。その心意気を、今の映画界は失ってしまったんだよ。

名も無き大部屋の役者の卵を使え。先人が残した芸の味を知っている彼らが満を持して待っている。









 『 燃えよ剣 』









芸の拙さは、その役者の必死な姿勢が、かえって新鮮な魅力として花が咲く。機会の種を蒔いてやれ。

行く手に迷い出口の見つからぬときこそ、初心に戻って純な物語で人の心を打て。

若者に媚びるな。時代に媚びるな。若者に教えてやれ、本当の映画の面白さを見せてやれ。







芸も解らぬ若者に照準合わせてろくなの出来るか。妥協せぬところで芸を守れ。過去から築き上げた芸の深さにこだわれ。

プロの誇りを見せろ。昔を軽んじて、それを越えるものなどできるか。昔気質の職人を招集しろ。

昔の映画を知っている団塊の世代を唸らせてみろ。客はごまんと居るぞ。










 土方歳三(栗塚旭)







 沖田総司(島田順次)







 斉藤一(左右田一平)







 近藤勇(舟橋元)










オレの偏っている最もなるところだろうけど、昭和40年、大部屋の役者を総動員して、NETテレビが、

司馬遼太郎の「新撰組血風録」を1時間26週の枠取りで放映した。栗塚旭、左右田一平、島田順次、舟橋元ら、まだ、名もない役者が

東映の斬られ役の役者らと顔を揃え、プロデユーサーの言いなりで、必死に役者の仕事に打ち込んだらしい。







結果、此れよりあとにも先にも、此の「新撰組」を越える「新撰組」はないほどの作品となった。









 『 新撰組血風録 』



















企画は企画担当が徹する、役者は役者に徹する、純な構成、純な思い入れが、誠一筋に生きて散った新撰組に命を吹き込んだんだろうね。

上手いって唸らせるほどの芸力を持ち合わせぬ人たちだったけど、先人から怒鳴られて習った芸の味を身体が覚えて滲ませる。

その懸命さは、歴史に生きた武州三多摩の名もなき侍たちの想いに被さり功を奏した趣だったね。







相手を呼称する「歳さん」「近藤さん」「沖田君」「総司」「斉藤君」「一さん」「新八っあん」と現代に通じる響きで時代劇では新鮮だったね。

中でも、土方歳三の栗塚旭、沖田総司の島田順次、斉藤一の左右田一平は、見事なまでのはまり役と成った。

此の人たちのイメージが焼きついて、のちの新撰組を扱ったドラマや映画では、嘘っぽく感じられるほどの影響をもたらせたよ。




























じゃあ、中味を問えば、先ほども云ったように芝居で見せるほどの達者なものではないんだけど、まだ拙い芸力が実像と上手く噛み合ったのかね?

実際の新撰組の生き吹きを感じさせて一体感となって迫ったんだろうね。

当時の新撰組を髣髴(ほうふつ)とさせて、創った新撰組ではない、まさに実録ものの味わいとなったんだろうね。







効果に用いられるBGMと左右田一平のナレーターが一編を締めるに値するもんだったね。

もう、48年程を経過しても、彼らの雄姿は、当時、観た者の記憶の映像に鮮烈だね。









主題歌 『新選組の旗は行く』


















花の吹雪か 血の雨か

今宵白刃に散るはなに

誠一字に 命を懸けて

新撰組は剣をとる













三つ葉葵に 吹く嵐

受けて立つのも武士の意地

加茂の千鳥よ 心があらば

新撰組の意地に泣け













明日は この身が散らば散れ

燃える命に悔いはない

月に雄叫び 血刀かざし

新撰組の旗は行く




月に雄叫び 血刀かざし

新撰組の旗は行く

























続いて昭和45年、同じく司馬遼太郎原作の「燃えよ剣」 今度はカラーで放映された。 





















昔の作品には、時代の風潮に媚びず流されず、限られたであろう予算の中で、ひたすら面白いものを創ろうと云う情熱があった。

今のような時代だからこそ、これが本物だっていう映画を創れ。

今の若者は、真面目なものを敬遠するなんて失礼なことを勝手に決めるな。








純な美しさを見せずして、対局するものの姿を考えられるか。生きるとは何かってことを考える機会を感動とともに提供しろ。

今時の映画は、へぼな新解釈なんかで、いつの時代か解らんような、悪酔いして見るよな夢物語ばかりじゃないか。

そんなもん、酒呑んで寝たら素人でも見よるわ。すかたんな奴等だよ。








もっと書きたいんだけど、食事したら右の奥歯が滅茶苦茶痛いっ。珍しいよ。歯茎が浮いてるね。疲れが形になって出たね、痛~っ。

浮いて腫れた歯茎を歯ブラシで刺激したろ。「やめとけよお~」 馬鹿者っ、涙こぼれるほどやったら治る。「野蛮人め」

創る前から勘定ばかりが先行する左脳型は引っ込んでろ。どえらい目に遭っても構わん、俺が創ったるいう骨のある奴、出て来いっ。








そろそろ、そういう奴が出てきてもいい頃ではあるんだけれどね。「なんでや?」 創ってる奴等が欲求不満で爆発する頃だよ。























カメレオンの独り言