今年の3月頃、福野の叔母を井波の病院に見舞ったら退院された後だったとブログに書いた。戦死した私の父のすぐ下の妹で、遺児になった私達姉弟をとてもかわいがってくれ、母が脳卒中で倒れた時もしばらく病院に泊まりこんで看病してくれたしっかり者の叔母だ。
その後お見舞いにも行かずじまいだったので、娘と一緒に顔を見に行こうと電話をしたら、先月から城端の「うらら」に入っておられるとのこと。昨日城端まで行ったのに、知らなかった、とばかり今日また城端まで出かけた。
叔母の家は、昨年私より3歳年上の息子さんが亡くなられ、奥さんは車椅子、家にはお孫さん夫婦とひ孫さん達。寝たきりではないけれど、転んで足が弱くなっておられ入所されたようだ。
城端には、「ケアハウス・うらら」と「介護老人保健施設・うらら」と「特別養護老人ホーム・きらら」が、田んぼの真ん中の広い広い敷地に隣り合って建っている。
叔母が入所しているのは、「介護老人保健施設・うらら」で、要支援、要介護の認定を受けた人が、1日でも早く家庭で自立した生活を送れるようにすることが目的とのこと。入所の他に、ショートステイ、デイケアの施設もある。
食堂の横の、「療養室」と言う個人の部屋(大きな部屋に4人ずつ、棚やカーテンで仕切られているので個室のよう)で、話をしてきた。
目も耳も頭もすっきり、しっかりして、ただ、歩くのは歩行器が頼り。言葉づかいも話の中身も昔同様、相変わらず自分の意見や考えを話され、自分でも「わたし、きかんもんやったから~」と言われる。前にいた所と勝手が違うらしく、まだ慣れていないからだろうが、不満もちょっぴり。昔の笑顔がないな~と気になった。
弟と一緒にフィリピンの戦跡に巡拝に出かけた時の写真を見せ、いろいろ話してあげると、父が城端駅から戦地に向かった時の思い出話をしてくださった。娘の婚約のこともとても喜んでくださった。
以前作った折り紙の兎を5羽、息を入れてふくらませ棚の上に飾った。「今年は卯年だし、私が卯年なので」と言うと「わたしも卯年やよ」と言われる。大正4年生まれの96歳だ。
娘が、「あと24年経ってお母さんもこんな元気だったら…」と言ったが、たぶん私には無理。
最近、城端はお墓参りくらいしか来ない。たまに祭り、じょうはな座の催し、同窓会など。「うらら」の訪問が、新たな楽しみになった。ここ、理休は「水車の里」。↓は、帰り道で見つけた大きな水車。
昨日、お留守だった分家にも寄り、次男さんの結婚式の写真を見せてもらい、お互いの近況報告。年に1度顔を合わせての親類づきあいはお盆ならではである。