Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

能「兼平(かねひら)」

2014-04-02 | 能楽

 1ヶ月以上前になるが、金沢3月定例能で「兼平」を観た。能「右近」と狂言「伊文字」はすでに紹介したが、「兼平」はまだだったので、今日紹介します。タイトルは兼平、おシテさんも兼平だが、木曽義仲の最期を描いている。信濃国で挙兵した義仲は、富山県倶利伽羅峠で平惟盛率いる平家軍に勝利し上洛する。倶利伽羅合戦を題材にした能「木曽」は、観世流にのみ伝えられるので東京でしか観られない。
 宝生流では、「巴」と「兼平」が義仲最期の場面を描く。出典は、もちろん「平家物語」だ。作者は、「巴」は不明、「兼平」は世阿弥。

 さて、今井兼平は、木曽義仲と乳兄弟にあたる平安時代末期の武将で、木曽の四天王とも呼ばれていた人物です。滋賀県粟津(あわづ)で義仲とともに戦って悲壮な最期を遂げました。義仲が討たれたことを知ると、自ら刀を口に逆立てて馬から飛び降りたという話は、謡曲「兼平」の素材となって語られています。
 江戸時代になって、兼平を尊敬した膳所(ぜぜ)藩主本多俊次(ほんだとしつぐ)が墓を建立したと伝えられています。↓の現在の墓は、今井家の末裔によって建てられたもので、「今井四郎兼平(いまいしろうかねひら)」と彫られた丸みのある石でできています。JR石山駅から200mの場所に建っているそうです。

 「平家物語」では、次のように語られています。(口語訳)

 源(木曽)義仲が自害するために粟津の松原へ向かった後、今井兼平は取って返し、敵50騎の中に駆け入り、あぶみに立ち上がって、大音声をあげました。

「遠からん者は音にも聞け、近からん人は目にも見給え。木曽義仲殿の乳母子で、今井四郎兼平、生年33歳だ。兼平ありとは鎌倉の源頼朝殿まで聞こえているぞ。兼平を討って、頼朝殿にお見せせよ」

 兼平は射残した8筋の矢を続けざまに放ちました。生死のほどは不明も、やにわに敵8騎を射落とし、太刀を抜き、切って回りました。兼平と面と向かう者はおらず、ただ「射取れ、射取れ」と告げ、さんざんに射掛けてきました。しかし、鎧が良いので裏まで通らず、すき間に当たらなければ手傷すら負いません。

 義仲は単身、粟津の松原へ駆けていました。時候は、寿永3年(1184年)正月21日の日没ころ、田に薄い氷が張っていました。義仲は、深みがあることを知らず、馬を田に入れ、まるで馬が消えてしまったかのように泥の中に馬をはめてしまいました。あぶみで馬をあおり立て、ムチを何度もくれましたが、抜け出せません。

 義仲はそのようなときでも、今井兼平のことが気がかりで、振り返りました。そこに、相模の国の住人で三浦氏の次郎・石田為久が追いつき、矢を放ちました。義仲は、甲の内側を射られ深手を負い、馬のかしらにうつぶせになりました。石田為久の郎党2人がやってきて、源義仲の首をあげました。

 為久は、すぐに首を太刀の先に貫き、高くかかげ、叫びました。

「当節、日本国に鬼神ありと聞こえた源義仲殿を、三浦石田次郎為久が討ち取った」

 それを、今井兼平が聞きつけました。兼平は、「今は誰を守っていくさをすべき。これ見よ、東国の殿ばらたちよ。日本一の剛の者の自害の手本よ」と告げ、太刀の先を口に入れ、馬から逆さまに飛び降り、太刀に貫かれて死にました。謡では、「目を驚かす有様なり」とあり、壮絶な場面です。(↓の写真は、中日新聞から。数年前金沢能楽堂で演じられた時のもの。刀を顔の左につけているところです) 結局、義仲は自害できず討ちとられ、兼平は立派に果てた、と言うことになります。お互い相手を思う乳兄弟のつながりがいかに強いものであったか、涙を誘われます。旭将軍と呼ばれた義仲も弱気になっていたのでしょう。

 義仲の墓は、滋賀県大津町「義仲寺(ぎちゅうじ)」にあります(トップ写真)。↓は、義仲の墓。          

 芭蕉の遺言により、芭蕉の墓がすぐ傍にあるそうです。↓は、芭蕉の墓。           

 とても見たかった能だったので、真剣に観た。動きも少なく、舞もないので、物語を語る地謡が重要な役割。言葉がわからないと話が聞きとれない。お稽古で、いつも先生が「地謡が難しい、地謡が大事」と仰るのがよくわかる。
 最後の兼平の自害の場面をどう表現するのかも興味があった。刀を左頬の横につけ、ポンと投げ落とす所作で、口に入れたことを表しておられた。

 能「兼平」: シテ(兼平):藪俊彦  ワキ(旅の僧):苗加登久治  
                   間狂言:炭哲男
         大皷:飯島六之佐   小鼓:河原清    笛:吉野晴夫
         地謡:島村明宏 他

 写真はすべてネットから。義仲寺はいつかぜひ訪ねてみたいもの。「平家物語」を読むのは難しいが、お能を通して垣間見るのは楽しいものです。