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Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

高志の国文学館・ラベットラで同窓会

2015-10-05 | 富山

 9/27(日)、年に一度の大学支部同窓会が、富山高志の国文学館・ラベットラで開催されることになり、昨年欠席したので今年は出席を決めていた。福光の先輩も小矢部の同級生も欠席とのこと、が、蒼山会で一緒のSIさんが幹事であり、ブログ仲間の風子さんも出席と聞き、ホッとした。しかも、「ラベットラ・オチアイ」ではお茶を飲んだことしかないので、ランチが楽しみだった。
 10時ギリギリに到着、どうやら駐車場に車を入れ会場の部屋に入るとまだ受付中で一安心。↓は、窓から見えるお庭。          

  ↓ 福岡町が舞台の「獅子舞ボーイズ」の制作にも関わられたと言う同窓生の竹内晶子さんのお話を聞く。今度の映画は「魚津のパン屋さん」。如月小春(久しぶりに聞くお名前)の劇団に入団したのがきっかけでその後演劇の仕事をしているそうだ。今の仕事は「俳優トレーナー」。女優としてもこの映画に出ておられる。東京と富山で半々に暮らしているとのこと。

 ストーリーは、都会で失敗した若い女性が、パン店の開店を目指し、家族や魚津の人々と関わる中で成長する姿を描く。キャストの多くは地元でオーディションを行って決めたそうだ。なんと石井知事も出演、セリフもあるとか。「シアター大都会」で10/17から公開される。              

  支部長さんの挨拶の後、テキパキとしたSIさんの司会で顔と名前だけの紹介、記念撮影が行われた。と言うのは、「ラベットラ」の食事時間がきっちり決まっているからだそう。レストランに入り、グループ毎に注文を取りに来られる。たくさんのチョイスができ迷ってしまう。最初は質問していたが、最後にはコレと指さす始末だ。↓は、店内の様子とメニューブック。PRANZOはイタリア語で ランチ。   

  

  ↓ パン3種。

  ↓ 前菜。

 ウにのパスタは写真の撮り忘れ。甘くてとろっと美味しかった。
 ↓ メインディッシュに選んだカジキのなんとか。

  ↓は、デザート。

 ↓は、玄関と知事公舎の頃のプレート。店の前には、次のグループの方たちがもう待っておられる。

     

 再会を約束し、皆さんとはお別れ。風子さんは電車で来られたそうだ。私は娘たちとの待ち合せがハッキリ決まっていないのでひとまずそこでお別れした。駐車場は3時間は無料だと確かめ、後「○○してくださいね」の部分をいつもの早合点で聞き返しもせず、駐車場へ。さて、出口の料金精算機を見て驚いた。990円。タダかオーバーしても200円くらいのはず。文学館かラベットラで認証してもらわないといけないのだった。見れば後続の車が…。ええッ仕方がないと千円札を入れる。あ~あもったいない。         


「富山市ガラス美術館」~隈研吾建築を愉しむ

2015-10-03 | 富山

 9/27(日)、年に一度の大学支部同窓会が、富山高志の国文学館・ラベットラで開催されることになり、昨年欠席したので今年は出席を決めていた。折しも前日は、息子も高岡へ来てくれて娘夫婦と一緒に二上山に墓参、夕食を共にした。27日はやはり3人で城端で墓参し、桜が池「ジョーハナーレ」で昼食をとり富山空港に向かうと言う。空港へ行く前に、隈研吾の「TOYAMAキラリ」をぜひ見たいと言うので、午後富山で合流することにして私は9時前に家を出た。昨年だったか、隈研吾さん設計の金沢の私立幼稚園の建物の一部を請け負った関係もあり、息子は彼の設計にとても興味を持っているようだ。

 同じく同窓会に出席された風子さんは、「キラリ」まで歩きその後買い物をし電車で帰る予定とのこと。ランチ終了後別れた。マークの車、息子のレンタカー、私の車と3台なので有料パーキングに止めるとしても1台だけだな、などと考えていた。ひとまずK新聞の駐車場で時間待ち。結局近代美術館で3台が合流し、娘の言葉に従い西町までぶらぶら歩いた。元の「大和」。外観はトップ写真のポスターの右上の縦のストライプの建築。御影石、ガラス、アルミの異なる素材を組み合わせ、立山連峰を思わせるねらい。

 ↓ 中へ入ると、元大和のレリーフ。「戦災以前からこの地に建ち、長く富山市民の生活の中心だった旧大和百貨店の外壁に彫られていた」との説明がついている。          

  ↓は、入り口でマークと。

 ↓ 一階から吹き抜け空間を見上げる。木板のルーバー(羽材)富山県産材だそうだ。

  ↓ エレベータの中も木板。           

  ↓ 隈研吾のコーナー。本や写真集の展示。           

           

 「キラリ」が生まれるまでの経過を写真で展示。中央の腕組みした男性が隈氏。          

 ↓ 5Fから下を見る。6F常設展の展示は、アメリカのガラスアート作家、ディル・チフーリの「グラスアートガーデン」。5,4,3階の左部分は市立図書館。

 ↓は、6Fのシャンデリア。

                     
  ↓ トヤマ・リーズ。Reedsって何だろう?葦?                 

  ↓ トヤマ・フロート・ボート。櫂がついており船のようだ。今夏、富山ガラス工房の生徒たちと一緒に作ったと言う。

   ↓ トヤマ・ミルフィオリ。 ミルフィオリはガラスの一種。金太郎飴のように模様が入っているガラス棒や製品のこと。イタリア語の Millefiori は直訳すると「千の花」になるそうだ。            

 

  この他にも常設展、企画展の部屋があり、市立図書館フロア、ショップやカフェがある。富山第一銀行も入っている。
 息子はフライトの時刻に合わせ早めに出て行き、次に娘夫婦、私は最後に歩いた。行きはよいよい、だったが帰りはきつかった。一人でゆっくりゆっくり歩いた。どうせ車は別々なので息切れしないように、膝の痛みにさわらないように。ともあれ楽しいキラリ見学だった。


富山駅へ(3/14・土~北陸新幹線開業の日)

2015-03-14 | 富山

 3/14(土)、北陸新幹線開業の日は、富山オーバードホールで公演中の富山発ミュージカル「ショウボート」の3日目だった。昨秋、元職場の退職厚生会にチケットを申し込んだら上手く当選し、義妹と二人で行く予定にしていた。今年に入り、オーバードホールは3回目、もう慣れたもので小杉駅から乗車に決めていた。

 幸い晴れた気持のいい日。小杉駅南口入り口は、まだ「JR小杉駅」の表示のままだが、往復切符も買える券売機に変わっていた。「あいの風とやま鉄道」の点字運賃表も掲げてある。(アレ、値段が上がっているぞ) 往復買うと、500円玉でお釣りが来たのに…。万札しかなくて義妹を待つ。いつもは早い彼女が親戚から電話が長かったと、ギリギリセーフ。 ↓ ハッキリ見えないが、駅名、運賃とも点字が打ってある。          

 その間、券売機が変っていて使い方がわからない人、2枚プッシュしたのに1枚しか出て来ないと言う人もいて、行列ができた(券売機は一つだけ)。行列とは、珍しい光景だね。その度に駅員さんが出て来られてんてこ舞い。なんと、2枚くっついていたのだ。私の往復券も2枚くっついていた。        

 列車も満員、ギューギュー詰めで東京並み。時間があるので、富山駅南口に出て、駅を見学。ここも、ごった返している。青と緑の「あいの風 とやま鉄道」の富山駅だ。 

 ↓は、「みどりの窓口」。JR新幹線とあいの風とやま鉄道の両方の特急券が買えるのかしら?ここも行列らしい。

 ↓は、新幹線のりば。おお、当たり前だけど、東京駅で見るのと同じだ。

 この後、お土産売り場へ入った。まず目に止まった「源」の売り場。ニュースでやってたよ、と義妹が言うのが ↓ の海鮮丼。朝どれ鮮魚は新湊産。         

 ↓ 白海老 蟹ちらし。

 ↓ 酒コーナーには「立山」が ずらり。「雨晴」や「愛山」もあった。           

 ↓ 辻口さんの「雪吊り」の富山バージョンがあるんだね。 

 ↓ 「幸のこわけ」。ぶり燻し、ホタルイカ素干し、白海老素干しの小分けパック。

 ↓ 細長い新幹線の車両に合わせ、「かがやきラスク」、「チョコロールクッキー」、「細長いバウムクーヘン」など。もちろん、「江出の月」や「かのこ餅」や「薄氷」もあった。

 ↓ 「能作」のぐいのみ。 

 ↓ 「雪の大谷」で記念撮影。             

 ↓ ちょうど始まった立山町の郷土芸能、「越中すえ太鼓」を見学。(トップ写真も)

 ↓ 立山町のゆるキャラ、2002歳の「らいじぃ」も参加。演奏終了後、らフランスのジュースがふるまわれた。

 さて、チラシには「南北通路」と書いてあるが、どこだろう?県警の人も、警備の人も応援隊らしく、とても親切だけど「わからない」と言われる。”I” マークのインフォメーションのお姉さんに聞くと、まだ「南北通路」は通れず、地下道へ回ってくださいとのこと。なァんだ。北口へ回り、オーバードホール内のラーメン屋に入ると、バッタリ友人に会った。彼女たちも早い電車で来て富山駅内の見学をしたらしい。

 「ショウボート」終演後、高岡へ着いてから、新高岡駅周辺へ行ってみたが迷子になりそうで途中で戻って来た。いつか静かな時間帯(?)に行ってみよう。
 結局、新幹線の列車は一度も見ずじまい。でも、帰りの駅のホームで、おじいちゃんと富山~金沢間を往復したと言う小学生に会った。駅でもらったお土産袋を嬉しそうに持っていた。 


「かんぽの湯」の楽しみ

2015-03-09 | 富山

 もう1週間以上前のこと。2/27(金)はアルトのパート練習の日だったが、私は聞きもらしたかメモってなかった。すでに、ようこ姫さんから、「たかざわ珈琲店」が28日で閉店するから最後にもう一度行かない?と誘いがあり(実は、リニューアルオープンの聞き間違いだったが)、じゃ、「かんぽの湯」の日帰り入浴の無料券が残っているからそこへも回ろう、と、予定を入れてしまっていた(実際には、コレに「蘭まつり」が加わり3本立てコースになったのだが)。

 と言うわけで、先約優先でアルト練習は欠席。「蘭まつり」、「たかざわ」と回り、最後に「かんぽ」のお風呂で温まって来た。
 我が家は昔から「かんぽ」のファン。山代や利賀のかんぽにも、家族や親類でよく出かけたものだ。今は、北陸では福井と富山しかないらしい。富山のかんぽは、見晴らしのよいロケーションと温まるお風呂が売りだ。この日は雪のちらつく寒い日。きれいな蘭の花々を鑑賞後、美味しいコーヒーでくつろぎ、〆は入浴後一眠りのはずだったが、3時を過ぎると大広間はクローズド。が、そこは姫さん流の楽しみ方があります。

 ↓ 脱衣場の鏡の前の化粧品の数々。たまに化粧水と乳液を借りるくらいでめったに使わない。自分のを持って行くか、何も塗らずに帰るか、だ。姫さんは一つ一つ眺めては「塗るグルコサミンがあるよ」 「ボディのかゆみを止めるクリームを塗って行こう」などと興味津津。 

 

 私もつられて何種類か塗ってみたり、塗り合いっこをしたり。
 ↓ 左のピンクの瓶。”エイジングケア”の文句に惹かれて塗ったら、なんとファンデーションだった。そこには石鹸がおいてなくて取るのに一苦労をした。入浴後にファンデーションをつける人がいるんだね~。

 1階のロビーで一休み。売り場のレイアウトが変わっている。しかも、60%OFFの品も。2人ともお気に入りを買った。姫さんは60%offのお得な冬ものを、私は春ものだが手ごろな値段の品を。            

 ↓は、絞りのベスト。重宝しそうで嬉しい。 

かんぽの宿 富山

住所: 〒939-2603 富山県富山市婦中町羽根5691−2
電話:076-469-3135

とやまWeek in 東京 2015

2015-03-08 | 富山

 北陸新幹線開業、1週間前になった。今朝(3/7・土)の新聞には、県広報誌の号外バージョン「かがやきとやま」の折り込みが入った。県内3駅の歓迎イベントが紹介されている。 
 私は、14日(土)はあいの風鉄道で富山へ行くのだが、富山駅は新幹線駅と同じだから何か歓迎イベントを見られるのではないかと、ワクワクしている。 

 一方、千葉の同級生、千葉matsuさんから東京の情報が入った。7日(土)に、息子さんの運転で東京駅丸の内口、KITTE(切手会館・元東京中央郵便局)へ行ったら、1階の物産館で富山の民謡踊りや県内の物産展示をしていたそうだ。「おわら」の踊りを久しぶりに見た、と写真を送ってくださった。
 ↓ 特設ステージのようだが、雪洞も立っており、前にはチューリップのプランターも見える。たくさんの人出のようだ。こきりこ踊りや高岡の能作の製品も展示されていたようで懐かしく見て来られたらしい。   

  「ぜひ、KITTEのHPを見て」と言うことなので開いてみた。今日、8日(日)は、 柴田理恵さん、室井滋さん、剱幸さん、立川志の輔さん達のトークショーがあったようです。
 ↓は、HPの写真です。当日の写真ではなく、宣伝用のものですね。               

             

 ↓ は、HPから。

 とやまWeek in 東京 2015 

北陸新幹線2015年3月14日開業!

北陸新幹線開業直前に、1週間にわたり、富山県の多彩な魅力を総合的に発信する観光PRイベント!

 3月2日(月)~8日(日)の7日間は地下1F東京シティアイにて、富山の食を中心とした物産販売、6日(金)~8日(日)の3日間は、1Fアトリウムにて富山県の伝統芸能や富山ゆかりのゲストのトーク、コンサート。

富山の魅力を紹介するインタラクティブイベント、伝統工芸実演、製作体験を実施!

開催日程:2日(月)~5日(木) 11:00~19:00
       6日(金)~7日(土) 11:00~20:00
       8日(日)        11:00~18:30

 ↓は、富山ウイークの詳細です。ぜひ開いてみてください。物産展に出品している店舗(高岡では、漆器、銅器、錫器など、お菓子では五郎丸屋、日の出製菓など…)やゲストの紹介、おりん&シンセサイザーコンサートの紹介がアップされています。滝沢卓さんも出演されたのですね。富山県の主催だそうです。今日、終了したのですね。たくさんの方の来高をお待ちしていま~す。 

       http://toyama-week.com/


松樹千年翠(しょうじゅ せんねんのみどり)

2015-02-08 | 富山

 2/7(土)はちょっと寝坊をした。午後は、お茶の日。その前に、「ヤマダ電機」か「ジョーシン」を久しぶりに覗くかな~と思っているところへようこ姫さんから電話。ランチのお誘いだ。何でも「大阪王将」で”半額チケットバック”をやってるからどう?と言うわけだ。今からゆっくりと朝食、新聞を読み、beパズルをして…とくつろぎ気分だったから、第一声は「え~?」。お店の場所は熊野町だそうな。今日行く予定の茶々姫さん宅にも近いし、ジョーシンもすぐ傍。「じゃ、1時過ぎてもよければ…」と、デートの約束。beパズルの数独★5が意外と簡単で早めに準備ができた。

 ↓ 「大阪王将」の入り口。以前、姫さんのブログで見た店。ココは、高岡では早い頃にできたファミレスがあった角で、当時よく入った。その後何度も名前が変わり…、最近の私のランチは駅南の店が多く、この辺はめったに来ない。  

  ↓ キャッシュバックならぬ”チケットバック”とはコレだナ。期間限定で2/6(金)~2/11(水)だ。    

  ↓ 注文した五目あんかけラーメン、730円。焼き餃子1皿(6個・220円)を半分ずつ。〆て一人840円。400円分のチケットをもらった。3月末まで使えます。お味はとても美味しいですよ。    

  満腹、満腹で茶々姫さん宅へ。ご近所の庭には椿の蕾が、一つ二つと今にも開きそう。               

  ↓ 茶々姫さん宅の床にも、赤の詫び助(たぶん)と土佐みずき。土佐みずきの白い蕾もふくらみ始めている。 

 お軸は、呉山先生(茶々姫さんのご主人)の書。「松樹千年の翠(しょうじゅせんねんのみどり)」        

  先週の「松無古今色」と同様に禅語だそうだ。呉山先生は、禅語の軸を多く遺されている。 

 「春は花、夏は新緑、秋は紅葉と感覚的な美しさに押されて、松の翠が人の目をひくことは少ないが、寒風吹きすさぶ蕭条の候ともなれば、今まで目立たなかった松の翠の万古不易の美しさが、改めて見直されることになる。うつろいやすい世の中の、うつろうもののみに目を奪われて、常住不変の真理を見失うようなことがあってはならない。」との解説があった。

 この日も筒茶碗でお点前をする。きれいに点ちました。               


湯煙の中を快走中

2015-02-05 | 富山

 高岡市公報「市民と市政 2月号」の表紙が銭湯の湯船の写真だったと、先日紹介した。「まちの銭湯に 今日も いいお湯、沸いてます」との見出しがついている。表紙をめくると、4ページにわたって”銭湯特集”だ。

 それによると、「日本一の銭湯好き、富山県」だそうだ。富山県の銭湯登録件数(人口10万人当たり)が全国1位(9.19件)だそうだ。ちなみに2位が京都府、3位が石川県。しかも高岡市は県平均をさらに上回っている。

 富山県は持ち家率も全国1と言うから、内湯があっても銭湯に行く人が多いのだろう。そして、東京で銭湯を経営する人の出身が富山、石川など北陸地方の人が多いとか。

 ↓の、新聞記事(K新聞)を見てください。ようこ姫さんのブログからお借りしましたが、東京近郊に住む友人達にも見てもらいたくて、アップしました。銭湯の壁絵の定番はもちろん富士山。だが、ここのお風呂では、なんと立山連峰に富山湾、しかもそこをW7系の北陸新幹線が走っている。「ここは、氷見線の雨晴では?」と野暮なことを言わず楽しんでください。

 昭和25年創業の「千代田湯」(豊島区)では、昨夏、銭湯画家の中島峰夫さんらが男湯、女湯の両方に描いたそうだ。客の反応は上々で、「あれは何?」と、番台に尋ねてく人も多い、と記事にある。現在、「ニコニコ湯」(足立区)、「北町浴場」(練馬区)、「東京浴場」(品川区)に描かれているそうだ。

 湯船に浸かって眺めてみたくなりますね。


うおづ散歩②~魚津城の戦い・松倉城址

2014-10-29 | 富山

 10/17(金)、高岡市退公連の研修旅行の日。KA先生の企画で、「うおづ散歩~魚津の史跡めぐり」を楽しんだ。現在も魚津水産(株)の倉庫として使われている「米騒動」(大正7年)発祥の地の米蔵を見学後、いざ、魚津城へ!! と山へ登るのかと思いきや、ここは平城。北陸街道から数分の距離にある「大町小学校」だった。魚津城跡が大町小学校になっているわけだ。  ↓は、校門。 

 ↓ 校門のすぐ傍に「江戸時代の大町の絵図」があり、”魚津城址に輝く大町小学校”とある。

 校門を入ると運動場になり、すぐ横に建っている保育園児の園外保育の時間。園児たちが声をそろえて「こんにちは。よくいらっしゃいました」(だったかな?そのようなご挨拶)で我々を迎えてくれた。見学者が絶えないのだろう。小学校の正門に回ると、前庭に城跡を伺わせる城壁の石や案内板があった。          

 ↓ 案内板の地図。「天地人」のドラマを覚えておられる方もおられよう。謙信の死後家督相続争いが長引く中、織田信長はその機を逃さず、佐々成政を富山城へ入国させ、越中の西部域をほぼ制圧させる。上杉勢は徐々に東部へと追いやられた。魚津城や松倉城は、上杉方にとって越中進出、越後防衛の拠点であった。謙信の後継者となった景勝は、この二つの城を織田に対峙する防衛の要と重要視していた。

 天正10年(1582)3月、柴田、前田、佐々ら織田方の北陸討伐連合の大軍が、中条ら上杉方の魚津城を攻撃し始めた(↑の地図を見ながら読んでください)。景勝の側近の直江兼続宛てに、救援の要請と落城間近で決死の覚悟であることを書状で伝えている。その後、二の丸が落とされ弾薬も尽きた。
 上杉方はすぐに救援に動けなかった。景勝が援軍を率いて天神山城に布陣したのは、6日後だった。が、織田勢の越後攻撃も激化し、さらに6日後、景勝はやむなく天神山城を撤退し春日山城へ戻るのだ。魚津城は孤立無援になる。

 ここから「悲劇の籠城戦」が始まる。魚津城内では兵糧も尽き、そこへ織田方は総攻撃を開始する。景勝は城を捨て降伏するよう命じるが、魚津城将たちは敵に降ることを潔しとはせず、各人が耳に穴を開け、自身の姓名を記した木札を鉄線で通し、自害して果てたと言う。城将に限らす老若男女が無念の死を遂げた。80日間に及ぶ籠城戦の末、6月3日に落城した。

 この「魚津城の戦い」で特筆すべきは、すべての将兵が最後まで戦い抜いたこと。籠城戦では、裏切りの発生によって内側から崩壊していくことが多いが、魚津城将は結束を固くし、また、上杉の誇りから、立派に戦い抜いたと言われる。この戦いで果てた上杉方の老将・吉江宗信は、その功績から、山形県米沢市にある上杉家の菩提寺・春日山林泉寺内に墓が建てられ、その側には、上杉景勝夫人や直江兼続夫妻ら上杉家の重要人物の墓が建てられているそうだ。
 とは言え、ドラマの中では吉江宗信を山本圭が演じており、いかにも哀れ、なぜ降伏しないの?景勝はなぜ越後へ戻るの?などと思っていたものだ。

 さて、魚津城の落城が6月3日、本能寺の変が6月2日である。「ケータイ電話があればわかったのにね~」と誰かが呟いていた。

 松倉城は山城である。小型バスで4,50分登っただろうか。狭い駐車場があり、山まではそこからさらに登る。私は下で待った。頑張れば行けそうだったが立山の二の舞は避けないと、と我慢する。     

             

 ↓ 主郭の本丸は、標高413mで富山湾から高岡二上山まで見えるそうだ。   

  たくさんお勉強をした後は、金太郎温泉でお昼の宴会。メンバーの中には初めて会う方もあり、珍しい話題、興味ある話も聞けて楽しかった。日帰りでは入れない「壁画大浴殿」へゆっくり浸かって来た。            

             


うおづ散歩①~米騒動の米倉

2014-10-27 | 富山

 「魚津散策」の研修旅行にかなり前に申し込み、楽しみにしていた。米騒動の跡、魚津城跡、松倉城址巡りなどである。魚津と言えば、子どもたちの幼い頃は、水族館や埋没林へ、勤めていた頃はミラージュホールの吹奏楽コンクールに、リタイア後はまたまた水族館や埋没林へ、と訪ねる機会はちょいちょいとあったが、魚津の歴史はまったく知らず、街中も歩いたことはない。

 数年前の大河ドラマ「天地人」(妻夫木聡が直江兼続を演じ、加藤清四郎が子役で「わしはこんなとこへ来とうはなかった」で人気を博した)で、上杉景勝が織田勢に攻められた時、魚津城や天神山城が舞台となり壮絶な戦いが続く場面があった。当時の「高岡市民歩こう会」でもこのコースを歩いたはず(私は参加していないが)だ。その後ずっと気になっていたお城だ。

 10/17(金)、約20名のメンバーは、高岡駅南より小型バスで出発。魚津市に入り、市の学芸員の方が同乗された。京都出身の青年だが、魚津の歴史を地理を熱心に勉強しておられるらしい。
 まず、「米騒動」発祥の地。旧十二銀行の米倉を訪ねる。ここは、今も魚津水産株式会社により使用されている。左に見える瓦屋根が倉庫(米蔵だった)です。         

  ↓ 倉庫の東面外側に十二銀行のひし形の蔵印がある。鉄板で覆われていたが今回の修繕で見つかった。 

 ↓ 米蔵は7部屋に分かれて1部屋ずつ入り口がついているが、支柱のない部分の屋根が長年の重みで沈んでいた。今回の修繕ではその形をそのまま残した。(右の部分が凹んでいます)  

  ↓ 半間間隔に主要な柱が入る強固な構造。凝灰石の切り石を積み上げ、荷物を傷めないよう板を張ってある。   

 ↓は、7部屋並んだ米蔵の見取り図。             

             

 大正7年(1918)7月23日、北海道への米の輸送船「伊吹丸」が魚津町に寄港した時、米価高騰に苦しんでいた漁師の主婦ら(陸仲仕)数十人が、米の積み出しを行っていた大町海岸に集まり、「積み出しを止めてほしい」と懇願した。そして積み出しが中止された。この事件が各地に広がり「米騒動」となり、当時の寺内内閣は総辞職し、原敬内閣が誕生したと言われる。米騒動~打ちこわし発祥の地、魚津のおっかちゃんらは気が荒い…と言われるのは困ると言うニュアンス。海岸には↓のモニュメントがあり、当時を語る詳しい資料が掲示してあった…。    

  ↓ 海に沿って北陸街道が通っている。ここから、魚津城跡へ向かいます。              


「庵唄」所望~城端曳山祭り 《その②》

2014-05-12 | 富山

 5/5(祝)、小雨降る中、なはさん、茶々姫さんと「城端曳山祭り」を観に行った。前日の「宵祭り」は晴れており、6町内の飾り山を見物する人も多かったそうだ。↓は、KI新聞による「庵唄披露」の記事だ。曳山会館横の広場に東上町の曳山と庵屋台が飾られ、その前の仮設舞台で6町内の若連中が、今年選んだ庵唄を披露した、とある。この時ばかりは、顔も姿も見られるが、本祭りでは屋台の中での移動、演奏なので、姿が見えないことでさらに風情を増すのだ。        

 さて、出丸町のO家に着いたら、Oさんとすぐ上のお兄さんが外へ出て待っていてくださった。彼は、5男だそうでエイゴちゃん、3番目のお兄さんがご主人で、奥さんがまた私たちの同級生です。そんなこんなですっかり甘え、3人でお邪魔したわけです。↓は、棚の上の’ハンカチの木’、トップは床の間の朴の木、黒ロウバイ、はかまナナカマド。       

  ↓は、まず記念撮影。最前列はこの日のお客様とOさんの息子さんと孫のお嬢ちゃん。2列目にOさん夫妻とお嫁さんと孫の坊っちゃん。私たちはなんと3列目に座らせてもらった。茶々姫さんの顔が見えますね。        

  ↓ 一番山の西上町から順に挨拶に来られ、庵唄として歌う端唄の色紙を渡されます。西上町は「宇治茶」。
 ♪ 宇治は茶どころ さまざまに 仲にうわさの 大吉山と 人の気に合う 水に合う 色も香もある 濡れた同志 粋な浮世に 野暮らしい こちゃ こちゃ こちゃ 濃茶の 仲じゃいな ♪   
 屋台が通り、曳山が通り、次の町内の人が来られます。このように所望をされた各家を6町内が回るわけです。     

  ↓は、幕の隙間から見える三味線(左)、篠笛(真中)、白足袋の足元(右)。屋台の中には太鼓、唄い手も合わせ10人ほど(移動する時は唄い手さんが外へ)、全員若い男性です。(拡大してもハッキリ見えませんが)

           

 途中で失礼しようと思っていたのに、次々聴いているうちにあっと言う間に時間が過ぎた。お嬢ちゃんはまだ2歳。一曲終わる毎に「オワッタぁ」と言いつつ、最後までおとなしくパパの膝に座っていてオリコウサンでした。↓はホッとしてパパの膝から降りて…。大きくして見てください。ボケているけど「被布」と言う晴れ着を着ておられます。被布は袖が無く、絹紐で作った菊結びの飾りが両肩に縫い付けられていて可愛いですね。
 坊やはムズがってママと後ろの席に…。でも、今はご機嫌が直ったよう。何年か経ったら出丸町の曳山の上に乗せてもらうのでしょうね。

                

 「庵唄にどっぷりと浸かっていたわァ」と茶々姫さん。10年ほど前、町のイベントで料亭「かねしま」のランチつきで「庵唄所望の会」(1万円)があり、その時以来庵唄が大好きになったそうだ。

 出丸の坂でのUターンを見てから、街中へ戻る。この後、夕食、提灯山となる。↓ 雨も上がり、山宿(出丸町公民館)から出て来る人たち。             

 ↓ 着物姿のママとお嬢ちゃん。「写真撮らせてね」と言うと、すぐにポーズをとってくれました。この日何度もポーズをとったのね。           か

  帰る途中で、同級生のNakayasuさんに会い、立ち話。彼は紋付き袴姿で町内のお世話。その後、「浪漫亭」で夕食を食べたら、隣のテーブルに相模原市から来たと言うご夫婦。色紙の写真を撮らせてくださいと言われるので、2枚差し上げました。6町内の庵唄の色紙とCDをO家のお客さんからもらったのです。

                 

 ↓は、一昨年の城端曳山祭りの様子です。この年は良いお天気、大勢の人出でした。 

2012年5月 昼の部 http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/d/20120512

2012年5月 夜の部 http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/d/20120513

 Oさん、ご招待ホントにありがとうございました。


「庵唄」所望~城端曳山祭り 《その①》

2014-05-11 | 富山

 3月、湯河原で同窓会があった時、日立市のOさんが「城端の姪が、孫娘に着物を着せてあげたいから曳山祭りにおいで、と言っている」と言う話をされた。その後すっかり忘れていたら、4月末、「城端祭りに帰ります」とのメールが届いた。自分名義で庵唄の所望をするからよかったらどうぞ、とのお誘いの言葉が添えてあった。実は、以前ようこ姫さんと曳山祭りに行った時、大工町の狭い通りを曳山が通る名物スポットでバッタリOさん一家に会い、その時も「所望」の席に座らせてもらったのだ。

 5/5(月)は「こどもの日」、天気予報はあいにく雨だったが、茶々姫さんとなはさんと3人で行くことになった。2人はお茶のお稽古の後城端線で、私は墓参と分家に寄るため早めに車で、と決めた。雨の中3つのお墓に参り、去年ご主人を亡くされた分家の奥さんを訪ね、城端別院「善徳寺」山門で茶々姫さんとなはさんと待ち合わせ…。前夜の「宵祭り」は晴れ、各町内の若連中の庵唄披露や「飾り山」で賑わったようだが、この日はホントに人が少なく駐車場も市庁舎横に楽に止められた。

 ↓は、静かな街並み。              

 ↓ 宗林寺町から大工町で出る狭い通り。右のHO家と、左のKA家の間を、曳山の屋根を畳んでギューギュー曳いて出て来る場所。さぞたくさんのカメラマンで賑わったことだろう。今は全町内が通った後で静かだ…。                 

 「曳山会館」前を通り、別院へ向かって庵屋台と曳山が次々進んで来る。(トップ写真) 曳山もビニールに被われ、曳き手も合羽姿だ。せめてご神像を撮る。 ↓は、東下町の「大黒天」。                 

 ↓は、出丸町の「布袋さま」。今年は、”ほてはん”がシンガリだ。                  

 ↓は、西上町の山宿。飾り山では、中央に「恵比須」さまが座っておられたはず。両側に大きな朴の木。                  

 街をぶらぶら歩き、店を覗いたり、買い物をしたり、友達と会い話しこんだり・・・。↓ 右の藤のお店で、私は小さな鯉のぼりを買った。左のエンレイソウのお店で、茶々姫さんが城端の銘菓を買われた。 

                         

 通りを歩いていると、↓のようなお嬢ちゃん達(洋服姿も女の子です)と会った。若いママさんも着物姿。              

 Oさん宅へ行く途中、田村萬盛堂(お菓子屋さん)の「木型館」に入る。お菓子の木型がたくさん展示してある。                        

 ↓は、お祝い用の「鯛」。            

           

 ↓は、天神様と「梅鉢」模様。     

 ここの2階が喫茶になっており、一休みしようと靴を脱いで上ったが、時計を見ると所望の時間が迫っている。Oさん宅ではきっと待っておられることだろう、とお水だけもらい、「ごめんなさい」と店を出た。(続きは明日また)


地方新聞の恩恵

2014-02-08 | 富山

 11月から今年の1月まで地方新聞を購読した。昨年、何度も熱心に訪ねて来た勧誘者の言葉にほだされてである。試読期間もあり、地方ニュースで知りたいイベントもあり、マークの北銀ロビー展の関係もあった。新聞料金を払う以上は読まなければもったいない。毎朝、新聞を2紙読むのは時間のかかる仕事だ。しかも、地方紙には山のように広告が入っている。回収袋はすぐいっぱいになる。これは、毎月玄関まで回収袋を取りに来てくれ助かったが…。

 振り返ってよかったことは?と考えてみた。
 まず、「富山第九」に出演できたことかな?。きっかけは試読期間の公募ニュースだったから。
 次に、地方のニュース写真、そして友人の投稿。

 1月の何日だったか、読者の写真コンクールの記事が載った。そこに、昨年の「風の盆」3日目の諏訪町の踊りの写真が大きく掲載されていた。ちょうど前日の2日目から、川越のTOさんと一緒に八尾に2泊した。3日目はなはさんも一緒に、諏訪町をスタートした踊りの後をついて歩き、夜更けに鏡町のおたや階段の下の踊り納めを見て宿に帰ったのだ。ところが、新聞の写真はその後のものらしい。諏訪町の通りで、明け方まで町の人たちだけで静かに余韻を楽しんでいる、囃子方と踊り手の姿だった。せっかく川越から2泊して来られたTOさんに、この光景を見せてあげたかった、とさっそく切り抜く。

 これも、1月の何日だったか、立山連峰が端から端まで見えた晴天の日、翌日の新聞に素晴らしい写真が掲載された。山好きなTOさんのため、この記事も切り抜いた。

 しばらくして、たまに覗く「読者のひろば」欄に富山市の友人の名前があるではないか!TOさんや私と大学で同じクラスだった、やはり山好きのYOさんではないかしら。読んでみると:

 「自然からの感動」
 すっきりと晴れ渡った日。冠雪の立山連峰に招き寄せられるように、夫と東の方へ車で向かった。
 途中、立ち寄った駅のベランダへ出てみると、前方に息をのむように連峰の景観が広がっていた。ベンチに1人の女性が座っており、自然と眼前の眺めに共感し合うことになった。
 女性は名古屋の方で、眺望の雄大さにひかれ、月に一度は富山へ足を運ぶのだと言う。あちこち見て回るうちに富山がすっかり気に入り、年を重ねたら住みたいと思うようになったと熱意を込めて話された。
 自分のふるさとを誇大して言いたてるつもりはないが、他所の方が喜ぶ姿を目のあたりにすると、当たり前のように見ていた風景を改めて見直すきっかけにもなる。
 女性は「美しい山のたたずまいを脳裏に刻んで、また都会で頑張っていきます」と話を結ばれた。自然から受ける感動は、素朴で力強いものだ。見知らぬ人とのうれしい出会いだった。

 読んでみて、YOさんに間違いないと思い、それも切り抜き、3枚の切り抜き記事をTOさんに送った。数日後、TOさんから届いた葉書きがトップ写真のもの。

 「二月になりました。昨日は森林公園を歩いて来ました。梅が咲き、初めて、根元に福寿草が光っていました。お手紙ありがとうございます。新聞の写真のメッセージのすばらしいこと!立山も八尾もYOさんの投稿の文も、嬉しくため息が出るほどでした。富山のよさに’年を重ねたら住みたいと思うようになった’の言葉に感動します。・・・」とあり、それを読む私も嬉しくなった。
 ここでいつもだと福寿草の写真がケータイメールで届くのだが、今年は葉書きなので黄色い花を想像するしかない。

 2/8(土)、2回目のお茶のお稽古はしんしんと雪の降る日。でも、お棗の模様は「福寿草」。利休型中棗の輪島塗さそうだ。お茶室には春の訪れ。赤い袱紗の上で写真を撮りました。             

             

   


初めての「高志の国文学館」

2014-02-04 | 富山

  2/2(日)、富山教育文化会館へ「バッハアンサンブル富山」によるコンサートを聴きに行った。MiTUの団員や元団員の方たちが何人か所属しておられ、毎年都合がつく限り聴きに行く。MiTUの仲間と行くこともあるのだが、今年はなはさんをお誘いしたので、私の車で行くことにした。駐車場が少ないのでかなり早めに行った。幸いすぐ後ろの駐車場に止められてラッキーだった。教文内の画廊喫茶「ルーエ」で昼食をとる。日曜日なので生姜焼きとカレーしかないが落ち着いた店内はわりと空いていた(↓の写真はHPから。この日は何組も客がありました)。   

  ゆっくり食べてもまだ時間はある。向かいの「高志の国文学館」には入ったことがない。なはさんも、先日ロビーにだけ入ったとか。念のため、割引券を持っているか調べたら1枚あった、ヤッタ~!! と言うわけで、開場の1時半まで覗いてみることにする。企画展は、「世界のムナカタを育んだ文学と民藝」で、ロビー展は、志功さんの娘さんの絵本展だった。ああ、以前福光美術館で見た絵本だと思い出す。タイトルは「ちよゑちゃんとパパとだまし川」。娘さんの小泉ちよゑさんが福光のだまし川での河童とパパのことを絵本にされた原画である。↓の眼鏡のおじさんは志功さん。                

                 

  ↓は、企画展の入り口。                    

  中は撮影禁止。棟方志功は、版画家としても有名だが、児童文学や浪漫派文学の装画(挿絵や表紙画)を描いているそうだ。それを集めた山本コレクションがたくさん展示してあった。版画では、有名な「大和し美し」や「釈迦十大弟子」の他に「善知鳥(うとう)版画巻」が目を引いた。謡曲「善知鳥」は、青森の猟師の亡霊が立山の地獄谷に現れる物語で、富山県が舞台の数少ない謡曲である。猟師は、生前たくさんの鳥を殺した報いで地獄に落ちて苦しめられる。自分の故郷と疎開して住んだ富山をを結ぶ物語として、この話を選び、版木を彫ったのだろうか。目を板に近づけてひたすら彫り続ける志功の姿が思い出される。

 河合寛次郎、柳宗悦、濱田庄司など民藝運動の人たちとの交流の資料も展示してあった。詳しくは知らないが、なにぶん、私の小学校時代に福光に疎開しておられたので、なんとなく懐かしい「世界のムナカタ」さんです。


凍結した朝

2014-01-31 | 富山

 最近は、真生会病院の眼科通いも2ヶ月に1度、3ヶ月に1度になった。1/27(月)、9時半予約の日、家を出たのは9時ちょっと前なのに、道路はまだ凍結状態。勤めていた頃は、つねに前日から天気予報をチェックし、積雪や凍結が予報される日は早起きしたものだ。家の前を除雪する、車のフロントガラスにお湯をかけ凍った雪を融かす、道路が凍結するとノロノロ運転になるので余裕をもって家を出る…などなど、ともかく早く家を出ないと勤務先に間に合わなかった。

 今年は不思議なほど雪が降らず、このまま立春を迎えようとしている。だが、27日の朝は、久しぶりに凍結した道路の怖さを味わった。清水町から舘川町交差点辺りまでの道路(県道58号線)が凍るのは、以前と同じ。慎重にブレーキを踏む。ゆっくり走る。昔の感覚がよみがえった。大野辺りからは何ともないのに、どうしてここの道路だけ凍るのだろう?
 真生会病院の広い駐車場でも、やはり日陰は凍っていて歩くのも怖い。日差しは暖かく冬晴れで、立山連峰がクッキリと大きく見えた。診察の結果は異状なしで、この後の定期検診で緑内障や黄斑上膜のようすを調べるそうだ。私の素朴な質問にも写真を見せて丁寧に説明してくださるので、よくわからないが納得する。毎日の生活でまだ慣れていないプリズム眼鏡は、徐々に慣れていくしかない。 11時過ぎに病院を出たが、日陰の道路は凍結したままだ。

 太陽がまぶしいほど照っているが、気温は低いのだろう。市役所やふれあい福祉センターで用事をすませ、センターの内の「高福レストラン」に入る。日替わりランチを注文。けっこう混んでいた。この日、ここで活動したグループや、サークルの方たちだろう。

 こんな雪景色は久しぶりと、シャッターを切ったのが、トップと↓の写真です(同じ家並みですが)。道路の雪も日当たりの屋根の雪もすっかり融けているのに、日陰の瓦屋根に雪が残り、きれいでした。                


天神様 & 家祈祷(やぎとう)

2014-01-28 | 富山

 1/22(水)夜、米島さん宅でお囃子の合わせ稽古があった。能舞台の床の間に、天神様の掛け軸が2幅かけてあり、鏡開きが過ぎたので、お神酒だけ供えてあった。
 そう言えば、我が家の天神様は、私が千葉で正月を迎えている間1人でお留守番。今年はお客もなかったので寂しかったことだろう。せめて「天神講」に向けてお供えを、とバローに寄った。「天神講」の張り紙コーナーには、かまぼこの赤い鯛、大きなカレイ、カニ…、値段と調理を考えて買ったのはハチメ2匹一皿。24日にお供えをした。            

 今年は、「家祈祷」が夫の月命日の26日。例年は、私の都合で、20日前後に来てもらっていたので、床の軸は天神様のままだった。25日に、天神様をお仕舞いし、すぐ家祈祷の準備をした。

 用意するもの:赤ろうそく、紅白のお鏡餅(これはなくてもいい)、お神酒、小皿に洗い米と塩、仏様のご膳、お花。           

             

 今年はそんなに寒くもなく、積雪もなく、とても助かった。例年だとお寺さんの車のために、朝除雪をしなければならなかった。そのため少し気が緩んでいたのもあり、朝1番に来られた時はまだお供え物の準備中。玄関も鍵がかかったままで、春のはじめから失態だった。いつものように若はんと二人で来られた。                

 力強い、テンポの速い祈祷のお経を上げられ、私もお祓いをしてもらう。お経の後は、お神酒と米と塩を、家の外の四隅に撒く。これで一年間、無病息災に過ごせると言うものだ。お正月の行事はすべて終わり、ホッとする。

 ↓は、5年前、初めての家祈祷のブログです。「家祈祷」について少し詳しく書いてあります。興味のある方はお読みください。 

 http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/d/20100123