私自身も小学生5年生の春、ある事件がきっかけでいじめに遭った。最初に先生が「このクラスの中にその事件を起こした人がいる」と発言。昼休み時間に、クラス内で犯人捜しが始まった。とてもやりきれなかった。いつかはわかること、そして自分自身のことでクラスがおかしくなるのを避けたかったので、「それはボクだ」と声を上げた。それからクラスのメンバーがほとんどの態度が変わった。私の弁解も聞かずに、一方的に差別を受けた、言葉による暴力を受けた。
本当に苦しかった。親には言えず、じっとこらえていた。そして、いじめられていることは、親には言えないものだと、心から思った。それは愛してくれている親を心配させるから・・・。なんとか自分の中で解決しようと。だから、いじめによるつらさは、わかっているつもりだ。
5月のある日、村の教育委員会を訪問した。これまでの経緯を話し、入学の条件などを聞いた。島の見学をすることになったが、仕事の都合で娘を置いて宮崎に帰ることになった。その日は、教育委員会の職員の自宅へ娘が泊りお世話になった。職員の方の家では、家族同様に接してもらった。
翌日、船にて中学校を訪れ見学した娘が、入学することにしたと帰ってきた。早速、その日の週末、妻と次女、祖母と三女とともに、生活に必要な品物を準備して、島に渡った。
島は、鹿児島県薩摩(さつま)半島の南方沖50kmに浮かぶ火山島。鹿児島港から約4時間で島につく。島は12km2 120人の住民がいる。
鹿児島県では、過疎化を防ぐ意味からも、県内の離島の小中学校で潮風留学制度がおこなわれている。お世話になる三島小中学校は、当時35名おり、県外から20名の児童生徒を、里親が各戸1~2名預かっていた。迎えてくれた村の人たち。
島の生活が過ぎて1ヶ月。自宅への手紙も届くようになった。半年後には、生徒会の副会長になったとか、図書館の本をたくさん読んでいるなどの話が聞かれるようになった。小学生の面倒も見るのが楽しく将来は保育士になりたいという夢も話してくれた。
その後、1年がたち、島を訪れることにした。島に訪問した際、約束だよと娘から「どんな人にも、あいさつをきちんとしてね」という言葉から成長を感じた。部活度の積極的に参加し、音楽発表会ではイキイキと演奏する娘をうれしく思った。
それから、卒業を控えた6ヶ月前から、帰りたいとの話を聞くようになった。保育士の話は、子供たちを平等に見てあげることができないと思ったからという。
電話で何度も説得しながら、引き留めた。理由のひとつは、しつけが厳しい里親への不満だった。遊びたい盛りの中学生に、厳しい環境だったかも知れない。しかし、子どもを自立させたい、良い子に育って欲しいという里親の気持ちは、有り難かった。育ち盛りの子ども、ちいさな駄菓子店がある環境。プライベイトの無い生活。親には言えない悩みもたくさんあっただろう。しかし、そんな悩みを乗り越え卒業。高校へと進学した。
振り返ると、友人、知人、行政機関、学校、里親が一体となって支援したこの制度。教育の外注と揶揄されることもあったが、娘にとっては貴重な人生の時間だったと思う。親としても、反省すること、学んだことの多かった時間。子どもとともに、親も育っているのだと思う。 (終わり)
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