あしたのタネをまく、アシタネブログ!

今日よりちょっといい、明日にしませんか

とんところ地震の紙芝居(その1)

2013年07月21日 18時01分47秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!

Photo_3

写真は、約50年ごとに建立される供養碑(宮崎市熊野、国道220号と県道367号の交点付近)

所属する宮崎「橋の日」実行委員会で、紙芝居を制作した。
昨年から資料を集め、専門家に監修をお願いして、ようやく文章と挿絵が完成。この紙芝居が防災教育や地域づくりに役立てばと思う。防災と人との「橋」渡しとなることを願っている。

とんどころ地震(前編)

K001

1、このお話は、今から350年以上も前、江戸時代にあった、本当のお話です。
1662年10月31日、昔の暦では、寛文(かんぶん)2年9月20日、宮崎で大きな地震が起きました。

日向灘を震源とするマグニチュード7.6の地震によって、県内では死者200名、壊れてしまった家が3800戸という大きな被害が出たのです。
歴史に残る「寛文二年の日向灘大地震(ひゅうがなだ おおじしん)」です。
その地震は、特に被害が大きかった宮崎市木花地区にあった地域の名前を取って「とんところ地震」とも呼ばれていて、地域の人たちは今もその時の地震を忘れないように、語り継いでいます。
それでは、「とんところ地震」のお話をいたしましょう。

K002

2、はなちゃんは、十歳。家の田んぼや畑の仕事をよく手伝う女の子です。おとうさんとおかあさん、おじいちゃんとおばあちゃんの五人で暮らしています。

「明日は 山へ焚き物(たきもの)を 取りに行くからね」
お母さんが夕食の片づけをしながら、はなちゃんに言いました。

「うん。明日も晴れるかなあ。ちょっと外を見てくるね」
はなちゃんは、外に出て空を見上げました。月も星もよく見える夜でした。

「おかあさん、星がいっぱい。明日も晴れそうだね」
「じゃあ、明日の準備をして寝ようかね。着替えを出して、はきものも きちんとそろえるんだよ」
「はーい」

着替えを出して、はきものをそろえるのは、いつもお母さんが言うことです。
はなちゃんも いつも通り準備をして、眠りにつきました。

「おやすみなさーい」

K003

3、「なんだろう?」 はなちゃんは、何か聞き慣れない音と気配で目を覚ましました。まだ真夜中のようです。次の瞬間、ぐらぐらっ 家が揺れました。地震です。
みしみしっ ガタン! ガシャーン! 大きい、激しい地震です。

はなちゃんは 布団ごと飛ばされそうなほど揺さぶられ、家は ぎしぎしと大きな音をたてました。
地面の底から響いてくるような恐ろしい音も はっきりと聞こえてきました。
揺れの激しさと、余りの恐ろしさに、はなちゃんは布団の上から動けずにいました。

「みんな、外に出ろ! はな、大丈夫か!」
お父さんの声が聞こえました。

「お父さん! お父さーん!」
はなちゃんが、大きな声で呼ぶと、お父さんが応えました。「はな、こっちだ!」

はなちゃんは、勇気を振り絞りました。
枕元の着替えと、寝る前にいつもそろえておく はきものをしっかり握って、はうように家の外へ向かいました。

K004

4、やっと外に出ると、あちこちから叫び声や物音が聞こえました。
目が慣れてくると、近くの家が壊れているのが見えました。
「はな! 無事でよかった」 腕をつかんだのは、お母さんでした。「怖い。お父さんたちはどこ?」
「お父さんは、おじいちゃんたちを探しに行ったの。お母さんも探しに行くから、はなは 先に裏山の神社に行っていなさい。あぁ、着替えと はきものをちゃんと持ってきたんだね、えらいよ」

その時、遠くから「逃げろ! 早く逃げろ! 高いところへ行け!」と、誰かが叫ぶ声が聞こえました。あちこちに走る人影が見えました。

お母さんは、はなちゃんの両腕を強く握って、早口で言いました。
「いいかい、はな。裏山の神社だよ。そこからなら、うちもよく見えるだろう。そこへ行くんだよ。お母さんたちもすぐに行くから。さあ、早く行きなさい」

はなちゃんは、不安で泣きそうになりましたが、お母さんに言われたようにしようと思いました。
神社はすぐ近くですが、家の裏手から続く神社へ行く道は、急な上り坂です。地面が揺れて、はなちゃんは何度も転びました。それでも、ちゃんとはきものをはいていたので、なんとか走ることができました。(続きはこちら


最新の画像もっと見る

コメントを投稿