第4クールに入って作画も超・気合入ってるし、音楽もまだまだ新しい曲が出てくるし(サントラ2が楽しみだ)、何より怒涛の展開が超・面白い「交響詩篇エウレカセブン」ですが、先日、デューイの「侵略者」という言葉がひっかかってこんな妄想記事を書きました。
#参考:「デューイの言葉が気になって仕方ありません」
個人的にはそれが当たっていても外れていても、ここまで楽しませてくれてありがとう、という感じなんですが、第42話「スターダンサー」のコメント欄でも色んなコメントが出ていて、これがまた面白かったんです(いつも皆さんありがとうございます)。
ということで、それを踏まえて(たぶん)最後の世界観妄想、というか追記をしてみたいと思います。
つか、後はもう本編放送を楽しむのみ!という心境です。
* * *
第42話「スターダンサー」のラストカットでは日本列島が登場するという驚愕のカットで「ツヅク!!」になったわけですが、これはデューイの言葉を元に色々妄想していた僕としては、腰抜かすかと思うくらいの衝撃でしたね。
つか、残り8話の段階でここまで見せるってことは、きっとまだ1歩、2歩踏み込んだ展開があるんじゃないかと予想しますが、とりあえずその1歩、2歩踏み込む前の段階までまた妄想して遊んでみたいと思います。
#というか、コメント欄のご意見も反映して追記って感じです。
これまでの妄想を簡単に記すとこんな感じなんですが、
・この作品のプロットは1万年前、現在、1万年後で作られていると思う。
・1万年前の「地球」には「海」があったが、この惑星には「海」がない。
・人類は1万年前に地球に住めなくなり、地球から離れた。
・その間にスカブコーラルが「地球」に漂着して、「地球」と結びついて大地を復活させた。
・つまり今の惑星は実は「地球」だった(猿の惑星的に人類は戻ってきていた)。
・だからデューイは彼らを「侵略者」と呼んでいる。
・けれども復活させたスカブコーラルもクダンの限界を迎える間際にあり、再びこの「地球」は崩壊の危機にある。
・それを回避できるのは「共生」から生み出される未来だけ。
・その未来を生み出す鍵は、今は無き母なる「海」しかない。
・レントンとエウレカ、そしてニルヴァーシュが生み出す「虹色の現象」はその「海」を生み出すのではないか?
■スカブコーラルについて訂正と再妄想
最初にデューイの「侵略者」という言葉に反応していたこともあって、スカブコーラルが「漂着」したと考えていたのですが、これは「蒼穹のファフナー」のフェストゥムの設定に僕が引きずられたためにそう考えちゃったんですね。
#違う種との相互理解と考えると、全く関係が無い方が良いのかもと考えたんですね。
#ちなみに「蒼穹のファフナー」のサブタイトルは「Dead Aggressor」で「Aggressor」とは「侵略者」という意味なんですね。
#ええ、地球の重力に引かれました(違っ)。
ただ大地を復活させた、という点については変わらなくて、また、それにプラスしてコメント欄でもナウシカの腐海システム的な使われ方をしたんじゃないか、という点からも、全く違う種というよりは、むしろ人類側がしかけた地球再生プログラムの一つだった、と考える方が自然かなと思います。
人類は地球を住めない状態にしてしまった。
だからこそ大地には治療が必要で、そのために作ったのがスカブコーラル(珊瑚状のかさぶた)。
大地にかさぶたを張るように、少しずつ治癒させていったのではないか。
つまり、「約束の地」とは再生された(はず)の地球のことで、移民船に乗って旅をした人類はこの再生プログラムが完了した頃を見計らって戻ってくる予定だった、という妄想もできるんじゃないかな、なんて。
でもスカブコーラルも独自の進化を遂げたか、もしくは何かアクシデントがあったかで、人類が戻ってきたときには相容れぬ存在となっていた、というところかな。
#この問題がパレスチナ問題を背景にしているとするならば、その辺を重ねてみることが出来るかもしれません。
ちなみにナウシカの腐海については映画版では素晴らしい纏め方でしたが、コミックス版の第7巻は衝撃的です。
でっかいネタバレになるので語りませんが、腐海システムという考えから行くとコミックス版第7巻の展開に近いんじゃないかなと思います。
と、少し脱線しましたが、「約束の地」には「猿の惑星」的に辿りついた、というよりも人類は、少なくとも賢人会議の(テクノロジーを独占していた)賢人の祖先たち「ソロモンよ、私は帰ってきた」張りに、とまでは行きませんが(笑)、意図的に「戻ってきた」んじゃないかなと。
となると「侵略者」発言も腑に落ちるかな。
#とは言えその「侵略者」というデューイの考え方が作中正しいものとして扱われるかどうかは別の話で、その辺は正・誤という単純な0・1論よりも、そういうスタンスの人も居る的に捉えられているんだと思います。
ただ、で、あればこそ、「共生」というところに落ちてくるんだと思うんですけどね。
つか、そう思いたい。
■約束の大地=地球と琥珀の関係
まあ、ここまで「約束の大地」=地球という前提で話しを進めちゃってますが(笑)、それを裏付けるのは次週予告で出ていた「琥珀の中にある指輪」なんだと思います。
これもコメント欄で何度か書いたのですが、琥珀自体はそれが生成されるまでに何千万年という時間を必要とします。
これは条件によって出来上がる時間が異なるとは思いますが、少なくとも人類がこの「約束の地」に移民船から降り立ってからまだ10世紀程度しか経っていないことを考えると、現在の人類の時間軸ではありえないほど昔にその「琥珀の中にある指輪」は存在したことになります。
とすると、やっぱりスカブコーラルは人類が地球を崩壊させてしまう前の姿に戻そうとしていると考えることもできるのかな、と。
それが第42話「スターダンサー」のラストカット、日本の映像だったんじゃないかなぁ。
ただあれが、物理的にこの惑星のどこにあるのか?というのはまだ分からないし、物理空間じゃなくて、思考空間かもしれない。
#スカブコーラルがイメージしている世界なのかもしれない。
とまあ、この辺は予想・妄想する範囲からはそろそろ逸れてきそうなんで、この辺にします。
* * *
残り8話の時点でここまでの衝撃展開を持ってきている、普通ならここがクライマックスになってもおかしくない、という状況ですが、逆に言うとまだクライマックスはこの後に控えているわけで、これすらも序盤に過ぎないかもしれず、もうどうなっていくのか全く分かりません。
つか、もう本編が楽しみで仕方ないわけですよ。
ということで、ここまで妄想したらもう個人的には満足してしまったので、世界観に関する妄想は一旦ここで終了。
後は本編をじっくり楽しみたいと思います。
個人的には「共生」の証というか、その第1歩として「海の復活」をやってくれたらもう大満足ですが、どうなりますやら。
妄想は当たっても外れても、そこまでのプロセスが楽しいので、それをコメント欄の皆さんと一緒に楽しめたのが何よりでした。
そういう意味でここまで楽しませてくれたこの「交響詩篇エウレカセブン」には大感謝したいところです。
そして何よりもこの「交響詩篇エウレカセブン」の醍醐味はレントンとエウレカの二人が手をつないでいく、そのプロセスにこそ面白さがあるわけで、ラストに向けてはより一層この二人に注目して観て行きたいと思います。
#ぶっちゃけ、謎とか世界観とかはこの二人を盛り上げるための舞台装置とすら僕は思っているので、放り投げ(というと表現悪いなぁ)でも僕は構わないと思ってるし、むしろこの二人の気持ちが昇華されるならそれに越したことはありません。
京田監督はじめ、制作スタッフの皆様、最後まで応援しております。
#参考:「デューイの言葉が気になって仕方ありません」
個人的にはそれが当たっていても外れていても、ここまで楽しませてくれてありがとう、という感じなんですが、第42話「スターダンサー」のコメント欄でも色んなコメントが出ていて、これがまた面白かったんです(いつも皆さんありがとうございます)。
ということで、それを踏まえて(たぶん)最後の世界観妄想、というか追記をしてみたいと思います。
つか、後はもう本編放送を楽しむのみ!という心境です。
* * *
第42話「スターダンサー」のラストカットでは日本列島が登場するという驚愕のカットで「ツヅク!!」になったわけですが、これはデューイの言葉を元に色々妄想していた僕としては、腰抜かすかと思うくらいの衝撃でしたね。
つか、残り8話の段階でここまで見せるってことは、きっとまだ1歩、2歩踏み込んだ展開があるんじゃないかと予想しますが、とりあえずその1歩、2歩踏み込む前の段階までまた妄想して遊んでみたいと思います。
#というか、コメント欄のご意見も反映して追記って感じです。
これまでの妄想を簡単に記すとこんな感じなんですが、
・この作品のプロットは1万年前、現在、1万年後で作られていると思う。
・1万年前の「地球」には「海」があったが、この惑星には「海」がない。
・人類は1万年前に地球に住めなくなり、地球から離れた。
・その間にスカブコーラルが「地球」に漂着して、「地球」と結びついて大地を復活させた。
・つまり今の惑星は実は「地球」だった(猿の惑星的に人類は戻ってきていた)。
・だからデューイは彼らを「侵略者」と呼んでいる。
・けれども復活させたスカブコーラルもクダンの限界を迎える間際にあり、再びこの「地球」は崩壊の危機にある。
・それを回避できるのは「共生」から生み出される未来だけ。
・その未来を生み出す鍵は、今は無き母なる「海」しかない。
・レントンとエウレカ、そしてニルヴァーシュが生み出す「虹色の現象」はその「海」を生み出すのではないか?
■スカブコーラルについて訂正と再妄想
最初にデューイの「侵略者」という言葉に反応していたこともあって、スカブコーラルが「漂着」したと考えていたのですが、これは「蒼穹のファフナー」のフェストゥムの設定に僕が引きずられたためにそう考えちゃったんですね。
#違う種との相互理解と考えると、全く関係が無い方が良いのかもと考えたんですね。
#ちなみに「蒼穹のファフナー」のサブタイトルは「Dead Aggressor」で「Aggressor」とは「侵略者」という意味なんですね。
#ええ、地球の重力に引かれました(違っ)。
ただ大地を復活させた、という点については変わらなくて、また、それにプラスしてコメント欄でもナウシカの腐海システム的な使われ方をしたんじゃないか、という点からも、全く違う種というよりは、むしろ人類側がしかけた地球再生プログラムの一つだった、と考える方が自然かなと思います。
人類は地球を住めない状態にしてしまった。
だからこそ大地には治療が必要で、そのために作ったのがスカブコーラル(珊瑚状のかさぶた)。
大地にかさぶたを張るように、少しずつ治癒させていったのではないか。
つまり、「約束の地」とは再生された(はず)の地球のことで、移民船に乗って旅をした人類はこの再生プログラムが完了した頃を見計らって戻ってくる予定だった、という妄想もできるんじゃないかな、なんて。
でもスカブコーラルも独自の進化を遂げたか、もしくは何かアクシデントがあったかで、人類が戻ってきたときには相容れぬ存在となっていた、というところかな。
#この問題がパレスチナ問題を背景にしているとするならば、その辺を重ねてみることが出来るかもしれません。
ちなみにナウシカの腐海については映画版では素晴らしい纏め方でしたが、コミックス版の第7巻は衝撃的です。
でっかいネタバレになるので語りませんが、腐海システムという考えから行くとコミックス版第7巻の展開に近いんじゃないかなと思います。
と、少し脱線しましたが、「約束の地」には「猿の惑星」的に辿りついた、というよりも人類は、少なくとも賢人会議の(テクノロジーを独占していた)賢人の祖先たち「ソロモンよ、私は帰ってきた」張りに、とまでは行きませんが(笑)、意図的に「戻ってきた」んじゃないかなと。
となると「侵略者」発言も腑に落ちるかな。
#とは言えその「侵略者」というデューイの考え方が作中正しいものとして扱われるかどうかは別の話で、その辺は正・誤という単純な0・1論よりも、そういうスタンスの人も居る的に捉えられているんだと思います。
ただ、で、あればこそ、「共生」というところに落ちてくるんだと思うんですけどね。
つか、そう思いたい。
■約束の大地=地球と琥珀の関係
まあ、ここまで「約束の大地」=地球という前提で話しを進めちゃってますが(笑)、それを裏付けるのは次週予告で出ていた「琥珀の中にある指輪」なんだと思います。
これもコメント欄で何度か書いたのですが、琥珀自体はそれが生成されるまでに何千万年という時間を必要とします。
これは条件によって出来上がる時間が異なるとは思いますが、少なくとも人類がこの「約束の地」に移民船から降り立ってからまだ10世紀程度しか経っていないことを考えると、現在の人類の時間軸ではありえないほど昔にその「琥珀の中にある指輪」は存在したことになります。
とすると、やっぱりスカブコーラルは人類が地球を崩壊させてしまう前の姿に戻そうとしていると考えることもできるのかな、と。
それが第42話「スターダンサー」のラストカット、日本の映像だったんじゃないかなぁ。
ただあれが、物理的にこの惑星のどこにあるのか?というのはまだ分からないし、物理空間じゃなくて、思考空間かもしれない。
#スカブコーラルがイメージしている世界なのかもしれない。
とまあ、この辺は予想・妄想する範囲からはそろそろ逸れてきそうなんで、この辺にします。
* * *
残り8話の時点でここまでの衝撃展開を持ってきている、普通ならここがクライマックスになってもおかしくない、という状況ですが、逆に言うとまだクライマックスはこの後に控えているわけで、これすらも序盤に過ぎないかもしれず、もうどうなっていくのか全く分かりません。
つか、もう本編が楽しみで仕方ないわけですよ。
ということで、ここまで妄想したらもう個人的には満足してしまったので、世界観に関する妄想は一旦ここで終了。
後は本編をじっくり楽しみたいと思います。
個人的には「共生」の証というか、その第1歩として「海の復活」をやってくれたらもう大満足ですが、どうなりますやら。
妄想は当たっても外れても、そこまでのプロセスが楽しいので、それをコメント欄の皆さんと一緒に楽しめたのが何よりでした。
そういう意味でここまで楽しませてくれたこの「交響詩篇エウレカセブン」には大感謝したいところです。
そして何よりもこの「交響詩篇エウレカセブン」の醍醐味はレントンとエウレカの二人が手をつないでいく、そのプロセスにこそ面白さがあるわけで、ラストに向けてはより一層この二人に注目して観て行きたいと思います。
#ぶっちゃけ、謎とか世界観とかはこの二人を盛り上げるための舞台装置とすら僕は思っているので、放り投げ(というと表現悪いなぁ)でも僕は構わないと思ってるし、むしろこの二人の気持ちが昇華されるならそれに越したことはありません。
京田監督はじめ、制作スタッフの皆様、最後まで応援しております。