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交響詩篇 エウレカセブン 第44話「イッツ・オール・イン・ザ・マインド」感想

2006-02-26 09:29:11 | エウレカセブン
もう一人のヒロイン=アネモネにまつわる衝撃の展開に思わず「えええ~!!」な状態に。
その背景(内戦、戦争による家族の喪失)には地球を住めなくして地球から旅立った1万年前と殆ど変わらない状況があるんで、その辺の背景は意図的に重ねてきてるんだろうなぁ。
#ちょっと追記しました。

第4クールは起承転結の中で言う「結」、またその第4クールを起承転結で分けると、第43話と第44話は「承」=山・谷でいうと谷の部分。
次回予告の「ツヅク↓」の感じからしても、来週までは「承」で最後に「転」に繋がる終わり方をするんじゃないかなぁ。
「承」の谷が深いほど、「転」から「結」へのつながりが面白くなるので、しっかりと落とすところまで落として頂きたい(笑)。

■アネモネとドミニク
先週のスポンサークレジットの絵がホランドとデューイだった、詰まる所その二人のお話だったわけですが、今週のスポンサークレジットの絵がアネモネとドミニクだったことに象徴されるようにこの二人の関係性の転換点となるようなお話でした。
#つか、この辺サービス精神旺盛というか、芸が細かいですね~。
#作画も吉田さんや中田さんが入ってるんで、第4クールは全力投球って感じですね。

それにしても衝撃的でしたね。
レントンは視聴者視点というのを大分前に書きましたが、そのレントンとドミニクも似た者同志ということで、やっぱりドミニクの視点も視聴者視点なんですね。
だから今回のあのノヴァク財団の建物でのドミニクの反応はそのまま視聴者の反応って感じです。
つか、そりゃ気分悪くなるって。

絶望病に関するお話をこういう形で引っ張ってきたのか、と思ったんですが、僕は大分前の記事で絶望病=人類のコーラリアン化(エウレカの逆アプローチ)じゃないかな、なんて思っていたので、そう考えると絶望病にかかった患者を人工的に人型コーラリアン化する、というのがあの研究施設の目的ということでしょうか。
顔がみんなエウレカに似ていたのは、第二・第三のエウレカが軍としては欲しかったということだけど、逆説的に第二・第三のエウレカは得ることができない、ということですね。
#絶望病については真相やメカニズムについてはこれで本編では語られない可能性が出てきたなぁ。

またアネモネ自身も同じ経緯を辿って「作られた」ということですよね?
もとは人間で、家族も居て……、うおー、何なんじゃー!!

このあたりのシーンについてはテーマや作中伝えたいことも分かるんだけれども、個人的にはちょっと……という感じです。
ここからは完全に私見ですが、この傾向がこのエウレカセブンで強くなるのはあまり好きではなくて、そういうのはDESTINYやBLOOD+で正面からやって欲しいなと思うし、それを違う角度から見るというのがエウレカセブンだ、という話だったので、できれば違う角度でやって欲しいなぁ。
#たぶん、色んな意見があるだろうし、感じ方も人それぞれだから、これはあくまで僕個人の感想で、ここを感想の主題として捉えるのは僕の本意ではありません。

……とまあ、本編とは脱線してしまったんですが(笑)、やっとドミニクにも何かが見えてきた模様で、本質を解決しないことには何にもならない、ということが決心されたって感じですね。
で、ベッドに横たわるアネモネの横にしおれかけたアネモネの花が、ドミニクがアネモネにプレゼントした花が置いてあるというのがポイントですよね。
「すがらないで」と言ったアネモネの本心は、逆に自分が誰かにすがりたいというSOSのサインだったと思うんで、ココロのどこかでドミニクに助けを求めてるってことですよね。
となると、ドミニクとアネモネについても、しっかりとタメは今回出来上がったので、ここからラストへ向けてこの二人の関係性も「転」そして「結」へどう展開していくのかが楽しみですね~。

#ちょっと追記しました。
アネモネが本当はデューイを嫌っていた(第43話参照)、けれども、表面上はデューイを慕っているフリをしないとアネモネ自身、自分がデューイの中では兵器というか道具でしかないことを察知していたからこそ、用がなくなったならば自分が「廃棄」されることを知っていたんでしょうね(自分の他にも同じようなことをされている被検体がいることを知っていて、廃棄されていることも知っていたのかも)。

だから表面上は慕っているフリをしていて、その実は手を握るのも嫌なほど嫌悪している。
自分の居場所を確保するために。

けれどもこの状況をどうしようもなくて、誰かにすがりたい、ホントは助けて欲しい。
これが本当のアネモネなんじゃないかなぁ。

しおれかけのアネモネ、あれは自分自身でもあり、それをくれたドミニクへのSOSサインだと考えたいなぁ。

辞令書を握りつぶしたドミニク、さあ、頑張れ。
#個人的にはユルゲンス艦長が亡くなった娘さんとアネモネの境遇を重ねて、ドミニクの背中を押す(蹴っ飛ばすでも可(笑))という展開を期待したいですね。

■エウレカとレントン
小さなすれ違いから大きな問題へと発展する、こういうのが面白いんだよなぁ。
ここで二人の関係に「谷」を作っておくからこそ、ここから先の「転」が面白くなるわけで、ここはしっかりとタメて頂きたい。
#第2クールはその典型ですから。

もうエウレカ的には小さなすれ違いなんてどうでもいいくらいな状況に陥っていて、自分がどうなってしまうのか分からない、そういう心境なのかもしれないですね。
最初に小さくすれ違ってしまったから相談もできなくて、そのうち状況が悪化して余計に相談できなくなっちゃって、どうしたらよいか分からない。
で、エウレカとしては一番知られたくないようなシチュエーションで皆に見られてしまう。
うおお、気になるよ。

緑色に発光している部分は、スカブが吸着した部分なんで、あれはそのうち剥がれるんじゃないかと予想。
ただ単純に剥がれるかというと、それは分かりませんが、スカブ=かさぶたという観点では、今レントンたちがいる大地がスカブコーラルによって再生中の地球だと仮定するならば、既に用を成したスカブは塵へと帰っていく(そういうナノマシンとしての特性があると仮定)、ということも考えられるので、エウレカの体に付着しているスカブ部分が発光してどうなるか?ということと、スカブコーラル全体の(再生装置としての)仕組みが明かされるんじゃないかなぁ。
ミクロ視点ではエウレカを、マクロ視点ではスカブコーラル全体を、という感じで誰かが語ってくれると美しいかも。
次週予告で「天と地を結ぶ」ということを言っていたので、やっぱり地球の大地部分はスカブコーラルが再生させた大地、天部分は今のスカブコーラルのかさぶたの上の世界。それを結びつけるのが人型コーラリアンであるエウレカと、人であるレントン、それを仲介するのがニルヴァーシュ、という流れで行くと面白そうです。

とは言え、そういうのはレントンとエウレカの二人の物語を盛り上げるためのギミックに過ぎないので、そういうSF的部分で楽しませつつ、本質的にはSF的要素を剥ぎ取った部分でレントンとエウレカの物語というのが進んで欲しいですね。
何だかんだ言っても、この物語はエウレカとレントンの初々しい恋の物語なんですから。

■世界観の崩壊とアイデンティティー
これまで信じてきたことが実は虚構であったとしたら?
これまで信じてきたことが実は歪曲されていたとしたら?
これまで信じてきたことが実は……。

自分たちが見ていた世界、信じていた世界が実はほんの一部しかなかったり、世界の本当の姿は別のものだったりしたとき、人は果たして自分のアイデンティティーを保てるんだろうか?というのが、SF小説で使われる手法の一つだったりするんですが、この交響詩篇エウレカセブンもそれに近い演出をしてると思います。
#地動説・天動説というのはまさにそういう衝撃があったわけですが、それが実際に浸透するには自分達の生活観、宗教観に訴えないと響かなかったりしますけどね。

現代はそういった地動説と天動説がひっくり返るような説もネットワークの発達により伝播速度が比較にならないくらい上がっているんですが、エウレカセブンではそれに当たるというか、じわじわと浸透させていくのがRay=Outであり、あのパシフィック・ステイトの写真なんでしょうね。
#事実ユルゲンス艦長には思うところがあったようだし。彼は大好きなキャラなんで頑張って欲しいな。

アイデンティティーの崩壊、とかそういうのがSF小説ではシニカルに描かれたりするわけですが、逆にこの交響詩篇エウレカセブンではレントンとエウレカに焦点を絞ることによって、たとえどんな状況にあっても、互いに信じあうという一番大事なプロセスを踏ませていることが僕は一番面白いポイントだと思うし、今の第43話~恐らく第45話にかけてはそういう世界観の崩壊の中でも二人がどうやってまた近づいていけるのか?というのをやっているところが面白いですね。

ということで、もうどうなるのか予想もできないんですが、残りわずか、ドキドキして待ちたいと思います。

交響詩篇エウレカセブン DVD 第9巻
エウレカセブンのDVDジャケットやライナーノーツはほんといつもカッコイイデザインなんですが、この9巻のニルヴァーシュと惑星のカットはまたカッコイイですね~。毎回ライナーノーツに掲載される制作スタッフのインタビューは必見ですよ。