第12話「アクペリエンス・1」におけるレントンの夢?の解釈についてはかなり難解というか謎というか、色々考えちゃいますよね。
僕も気になってたんで、感想を書いた後も少し考えていたのですが、一応自分なりの解釈を考えてみました。
あってるか間違ってるかは別にして、こんな感じです。
■レントンの経験の追体験
「アクペリエンス・1」は第12話という位置付けで放送されたのですが、通常のクールの考え方で行くと13話・1クールで考えられますよね。
#四半期の考えを適用すると既に第2クールなんですが、僕は作中のストーリーの区切りとして13話構成かなと思いました。
ゆえに、第1クールの締めとして第12話、第13話が使われるんじゃないかと思ったんです。
第12話ではイメージ的な話、そして第13話では第1クールにおける纏め、そして第2クールへ入るためのスタートを提示する。
だから第13話は「ザ・ビギニング」なのかなと。
そういう意味でレントンの今回の夢部分は、レントンがエウレカに会う前、そして旅立つまでをイメージとして視聴者にも追体験させたかったのかなと。
夢の解釈は2つ方法があるかなと思っていて、1つは精神分析など夢解き的に解釈する方法ですね。
箱庭の意味であるとか、トイレの意味(なんてあるのか?)とか、夢の中で出現するものを深層意識を投影した形で分析する方法ですね。
でもこれは僕は専門でもないし、たいして知識もないので誰かお願いします(笑)。
もう1つはレントンの体験をストーリーに意味を持たせる形で振り返った、そういう解釈で考えてみたいです。
■例えば、箱庭化された教室、泥人形化した先生やクラスメイト
これは第1話で描かれたレントン少年の現実に対する閉塞感の現れともとれますね。
何かを期待しつつも、何も起きない。
周りが言っていること(アドロックやダイアンの話も含めて)に迎合できない。
そういう心境かなと。
そしてそこから逃げる表現は、閉塞感や焦燥感から逃げ出したい心理の現れ。
これは物語序盤、というか第1話のレントンの心象を表現しているんじゃないかな。
■とにかく「何か」から逃げるレントン
これも焦燥感の現れかなと。
もう14年も生きた、なんて第1話の冒頭で語るレントン。
14年生きたけどまだ何も起きない、一生この退屈な世界で生きていく、そんな焦りから逃げたかった・・・とか。
#単純にアネモネの「バスクド・クライシス」に恐怖してそこから逃げたかっただけ・・・かも。
■一つだけ開いた扉、でも飛び込めないレントン
道はあるんだけど、先に飛び込めない。
これは14年しか生きていない、と第1話の冒頭で語ったように、焦燥感を持ちつつも、変化する勇気は無い、そう自分で認めていた、そういう表現かなぁ。
で、結局アネモネに落とされる。
・・・これはきっかけ?
■冷蔵庫
開けてはいけないパンドラの箱?好奇心?
空から降ってきたエウレカに対する興味と同じ?
「えっち」と言われてもしかたないほどに、エウレカを観たレントンは一目惚れ。
■ニルバーシュ、そしてベルフォレスト
空を見上げるとニルバーシュ。
これは、ニルバーシュとの出会い、そして、その後あの初めて自分を信じて、トラパーを信じてカットバックドロップターンを決めたスポット、つまり旅立ちの時。
■一緒に行こう から 一緒に帰ろう へ
ここはやはり第2話のエウレカの「一緒に行こう」に対する対比表現で、あの時レントンに手を差し伸べたのは「だって君じゃなきゃ駄目みたい」の後に「ニルバーシュが動かないから」という言葉が続いたと思うのですが、シウダデス・デル・シエロまでのレントンの旅を経て、自分でも「変わってしまった」というエウレカが、今度もレントンの手を取り、そして「一緒に帰ろう」と言う。
ここは素直にレントンがいないとニルバーシュが動かないから、ではなく、エウレカ自身の気持ちも変化してきていて、レントンという個人を見るようになってきた、そういう変化が「一緒に帰ろう」になったんだと思いたい。
だからこそ、OPのあの二人並んで手をつなぐシーンがとても感動的に映るんじゃないか、そんな気がしました。
第2話の感想で「OPのラストに手をつなぐエウレカとレントン。このシーンに至るまでのプロセスが本当に楽しみで仕方ありません」と書きましたが、これはそういう意味で考えると期待通り、つかもうかなり良いシーンだったと個人的には思っています。
#OPのこういう回収の仕方は本当に上手いと思いました。
■できれば第13話では・・・
第12話でこういうレントンのこれまでの経験を視聴者サイドにもイメージ総集編的に追体験させたとなれば、第13話はそのイメージに対する何らかのつながりを登場人物の台詞からつないで欲しいですね。
そうすると第1クールというものが、非常に締まりのある展開になり、かつ「ザ・ビギニング」というタイトルが示すように第2クールの始まりを示すようになると思うんですね。
もしくは「ザ・ビギニング」というタイトルは第1クールを振り返って、これは序章に過ぎないんだよ、という意味でも面白い。
■小さい起承転結の積み重ねが大きい起承転結を作っていく
これは物語を作るときの鉄則というか、そういう積み重ねが複合的に出来る作家さんて本当に面白い方が多いのですが、この「交響詩篇エウレカセブン」はそれがかなりの密度で展開されていたと思います。
1話ごとの起承転結はもちろん十分に堪能しているのですが、
それが第1クールの中でも第1話~第3話がレントンの旅立ち=「起」に相当していたり、
その後も第4話から第7話まででゲッコーステートでの位置関係を描写=「承」、
第8話から第10話までをエウレカとホランドの過去に焦点を当てる=「転」、
そして最初のお膳立てが揃ったところで第11話から第13話までで旅立ち編の「結」を描く、
という形で1クールの中でもきちんと「起承転結」が描かれていました。
こういう展開の美しさは素直に素晴らしいなと。
また1話内、1クール内に留まらず、この第1クールは恐らく全50話構成から考えれば間違いなく「起」に相当している部分ですよね。
こういう小さい起承転結の積み重ねが、大きな起承転結を作っていく、という非常に素晴らしい構成だなぁと改めて感心してしまいます。
ということで、次回第13話「ザ・ビギニング」ではドミニクも交じってレントン、エウレカ、アネモネの会話がありそうなんで、どんな帰結を見せるのか?そしてどんな展開が始まるのか?今から非常に待ち遠しいこと限りなしです。
僕も気になってたんで、感想を書いた後も少し考えていたのですが、一応自分なりの解釈を考えてみました。
あってるか間違ってるかは別にして、こんな感じです。
■レントンの経験の追体験
「アクペリエンス・1」は第12話という位置付けで放送されたのですが、通常のクールの考え方で行くと13話・1クールで考えられますよね。
#四半期の考えを適用すると既に第2クールなんですが、僕は作中のストーリーの区切りとして13話構成かなと思いました。
ゆえに、第1クールの締めとして第12話、第13話が使われるんじゃないかと思ったんです。
第12話ではイメージ的な話、そして第13話では第1クールにおける纏め、そして第2クールへ入るためのスタートを提示する。
だから第13話は「ザ・ビギニング」なのかなと。
そういう意味でレントンの今回の夢部分は、レントンがエウレカに会う前、そして旅立つまでをイメージとして視聴者にも追体験させたかったのかなと。
夢の解釈は2つ方法があるかなと思っていて、1つは精神分析など夢解き的に解釈する方法ですね。
箱庭の意味であるとか、トイレの意味(なんてあるのか?)とか、夢の中で出現するものを深層意識を投影した形で分析する方法ですね。
でもこれは僕は専門でもないし、たいして知識もないので誰かお願いします(笑)。
もう1つはレントンの体験をストーリーに意味を持たせる形で振り返った、そういう解釈で考えてみたいです。
■例えば、箱庭化された教室、泥人形化した先生やクラスメイト
これは第1話で描かれたレントン少年の現実に対する閉塞感の現れともとれますね。
何かを期待しつつも、何も起きない。
周りが言っていること(アドロックやダイアンの話も含めて)に迎合できない。
そういう心境かなと。
そしてそこから逃げる表現は、閉塞感や焦燥感から逃げ出したい心理の現れ。
これは物語序盤、というか第1話のレントンの心象を表現しているんじゃないかな。
■とにかく「何か」から逃げるレントン
これも焦燥感の現れかなと。
もう14年も生きた、なんて第1話の冒頭で語るレントン。
14年生きたけどまだ何も起きない、一生この退屈な世界で生きていく、そんな焦りから逃げたかった・・・とか。
#単純にアネモネの「バスクド・クライシス」に恐怖してそこから逃げたかっただけ・・・かも。
■一つだけ開いた扉、でも飛び込めないレントン
道はあるんだけど、先に飛び込めない。
これは14年しか生きていない、と第1話の冒頭で語ったように、焦燥感を持ちつつも、変化する勇気は無い、そう自分で認めていた、そういう表現かなぁ。
で、結局アネモネに落とされる。
・・・これはきっかけ?
■冷蔵庫
開けてはいけないパンドラの箱?好奇心?
空から降ってきたエウレカに対する興味と同じ?
「えっち」と言われてもしかたないほどに、エウレカを観たレントンは一目惚れ。
■ニルバーシュ、そしてベルフォレスト
空を見上げるとニルバーシュ。
これは、ニルバーシュとの出会い、そして、その後あの初めて自分を信じて、トラパーを信じてカットバックドロップターンを決めたスポット、つまり旅立ちの時。
■一緒に行こう から 一緒に帰ろう へ
ここはやはり第2話のエウレカの「一緒に行こう」に対する対比表現で、あの時レントンに手を差し伸べたのは「だって君じゃなきゃ駄目みたい」の後に「ニルバーシュが動かないから」という言葉が続いたと思うのですが、シウダデス・デル・シエロまでのレントンの旅を経て、自分でも「変わってしまった」というエウレカが、今度もレントンの手を取り、そして「一緒に帰ろう」と言う。
ここは素直にレントンがいないとニルバーシュが動かないから、ではなく、エウレカ自身の気持ちも変化してきていて、レントンという個人を見るようになってきた、そういう変化が「一緒に帰ろう」になったんだと思いたい。
だからこそ、OPのあの二人並んで手をつなぐシーンがとても感動的に映るんじゃないか、そんな気がしました。
第2話の感想で「OPのラストに手をつなぐエウレカとレントン。このシーンに至るまでのプロセスが本当に楽しみで仕方ありません」と書きましたが、これはそういう意味で考えると期待通り、つかもうかなり良いシーンだったと個人的には思っています。
#OPのこういう回収の仕方は本当に上手いと思いました。
■できれば第13話では・・・
第12話でこういうレントンのこれまでの経験を視聴者サイドにもイメージ総集編的に追体験させたとなれば、第13話はそのイメージに対する何らかのつながりを登場人物の台詞からつないで欲しいですね。
そうすると第1クールというものが、非常に締まりのある展開になり、かつ「ザ・ビギニング」というタイトルが示すように第2クールの始まりを示すようになると思うんですね。
もしくは「ザ・ビギニング」というタイトルは第1クールを振り返って、これは序章に過ぎないんだよ、という意味でも面白い。
■小さい起承転結の積み重ねが大きい起承転結を作っていく
これは物語を作るときの鉄則というか、そういう積み重ねが複合的に出来る作家さんて本当に面白い方が多いのですが、この「交響詩篇エウレカセブン」はそれがかなりの密度で展開されていたと思います。
1話ごとの起承転結はもちろん十分に堪能しているのですが、
それが第1クールの中でも第1話~第3話がレントンの旅立ち=「起」に相当していたり、
その後も第4話から第7話まででゲッコーステートでの位置関係を描写=「承」、
第8話から第10話までをエウレカとホランドの過去に焦点を当てる=「転」、
そして最初のお膳立てが揃ったところで第11話から第13話までで旅立ち編の「結」を描く、
という形で1クールの中でもきちんと「起承転結」が描かれていました。
こういう展開の美しさは素直に素晴らしいなと。
また1話内、1クール内に留まらず、この第1クールは恐らく全50話構成から考えれば間違いなく「起」に相当している部分ですよね。
こういう小さい起承転結の積み重ねが、大きな起承転結を作っていく、という非常に素晴らしい構成だなぁと改めて感心してしまいます。
ということで、次回第13話「ザ・ビギニング」ではドミニクも交じってレントン、エウレカ、アネモネの会話がありそうなんで、どんな帰結を見せるのか?そしてどんな展開が始まるのか?今から非常に待ち遠しいこと限りなしです。
交響詩篇エウレカセブン 1 DVD 2005/7/22発売 第1話 第2話を収録 お勧めです!! |