蒼穹のぺうげおっと

-PEUGEOT in the AZURE- マンガ・小説・アニメの感想を書き流すファフナーとエウレカ好きのサイトです

天保異聞 妖奇士 説五 「ひとごろしのはなし」

2006-11-06 00:22:17 | 天保異聞 妖奇士
いきなりの暴露話にぶっ飛んだ第5話。
第1話を見たときにこの物語はおそらく主人公が逃げ惑ってきたこれまでの人生を、奇士として人と妖夷と関わっていくことで間接的に回復していく物語じゃないか、そこにヒーロー像を投影するんじゃないか、みたいな感想を書いたのですが、いきなり喪失の話をストレートに持ってきちゃった(こっちが心配になるくらいの勢いで)。
もちろん喪失が無いと回復は無いわけで、この過去の喪失の話は回復への大きな伏線なんだと思うんだけど、それでもいきなりでびっくり。

これも構成上狙ってもってきてると思うんですが、視聴者的にはアトルとあの馬(雪輪)がどういうものなのか、その正体を知りたいと思って見始めるわけじゃないですか、この第5話って。
そっちにいくかと思ったら、おいおい、もっと大きな問題引き当てちゃったよ!!みたいな。

もうアトルと雪輪どころじゃねーよ、くらいの勢いです。

でも多分これも序盤からミスリードさせるように創られているところを見るに、やはりアトルと雪輪の物語にも重なってくると思うんですよ。

アトルを助けたい、それは同情もあるんだけれども、それでも…、の…の部分。
ここが雲七が最期に引き出した往壓の本音、俺は死にたくない、とそれへの返しである、みんな同じですよ、の部分に答えがあるんでしょうね。

たぶん、第4話では人はみんな違うんだよ、だから同じようなカテゴリで纏めるなよ、それも同情だなんて勘弁して、という意味合いを提示しつつ、そこからがこの『天保異聞 妖奇士』の真骨頂で、そのカウンターを放つ、つまり、違っているんだけれども、生きている以上同じなんだよ、だから助けたいんだよ、みたいな禅問答ちっくな解答が用意されているんではないかと思ったりして。
#どっちかって言うと第4話はカテゴリ依存じゃなくて個人の尊厳みたいなところで、第5話以降は個人とは言っても一人じゃ生きてけないでしょ、というカウンターパートかもね。
序盤から解答と思える(思わせる)ものは前半にある程度分かりやすく提示しておいて、でも実はそれだけじゃないもーん、みたいな、そんな構成をこれでもか、と取っている気がします。

にしても凶状持ちの主人公ってのはぶっ飛んだね。視聴者引かないかな(笑)。

その雲七の存在は第2話の感想で少し予想してみていたんだけど、『十二国記』の蒼猿のように主人公の(妄想による)内面描写をするためのツールかと思っていて、もう一つ書こうと思ったけど、…にしてしまったところが妖夷か、もしくは向こうの世界の案内役か、みたいなことを書こうかと思ったけど、まさかねぇ、まだ早いし、とか思っていたら、どうやら(妖夷とかではないかもしれないけれど)そっち系の人?だったみたいで、またビックリ。

まあ、周りには見えていない存在について、早めにばれていくような表現していたので、よく考えれば序盤で公開していくつもりだったんでしょうね。
しかし、それが主人公の人殺しの話のトリガーだったというのはビックリですよ。

これ、どうまとめるか、非常に興味深いです。
来週どうなるか、ある意味想像できないので楽しみにしたいと思います。

アトルに関しては第4話でケツアルとか、ディアブ(ボ)ロとか言っていたので、何となくアステカ系かな~と思っていたけれど、これは次回予告を見るにビンゴっぽいですね。

やっぱり雪輪は妖夷とかよりも高次の存在という感じです。
#ケツアルはアステカの太陽神ですね。ディアブ(ボ)ロは悪魔って意味だった気がする。

次週はその辺の種明かしもありそうなんで、あわせて物語とどう収束させていくのか、そこが楽しみです、

また何でアステカ文明を(脚本の方が)選んだのか、この辺も気になるので追々その意味が分かると面白いなと思います。
#江戸時代の黒船来航というともすれば征服の危機と、アステカが滅んだ後の状況をダブらせるとか、そういう意図かなぁ?

それにしても今週は物語の展開のさせ方にビックリしました。


天保異聞 妖奇士 説四 「生き人形」

2006-10-28 23:28:37 | 天保異聞 妖奇士
第1話~第3話をかけて主人公往壓(ゆきあつ)の立ち上がりを描いて、この第4話からは新エピソードスタートとなったわけですが、新キャラのアトルは今後も重要な役割になりそうな予感ですね。
第1クールは起承転結の起ですが、1から3話が起なので、ここからは承の扱いかもしれませんね。

さて、この天保異聞妖奇士のお話しの作り方の特徴が少し分かってきたのですが、これは非常に注意してみないと結構構成としては難しいんじゃないかと感じてます。
というのも、まず最初に問題提起があるんだけれども、それに対してミスリードを誘う表現を入れてきて、実はそうじゃなくて…、みたいなミステリー小説形式になっているところがありますね。
ゆえに、明確に説明せずに絵での描写のみであったりとか、いくつかの台詞に引っ掛けがあって、真の意味を炙り出す形式になってるっぽいですね。

さらっと流し観しようとすると???な状態になるので、気になるところは少し色々と妄想してみるとひょっとして!?とかそういう見方ができるかもしれません。

例えば第1話と第2話ですが、ミスリードさせる表現として、飢饉があって子供を山の神に供える=これは昔からの食い扶持減らしの方法の一つということに知ってる人はすぐに気が付くわけで、作中でもその解説が入るわけですよ。
だから最初に観ているときは、ああ口減らしのためか、なんて思うんですが、実はそうではなくて、食人の禁を犯していた、というのが真相だった!という方法を取っているんですね。
#しかもこれは結構作中にヒントが隠されていて、決定的だったのは飢饉の話をしていてそれでもその年は飢え死にするほどではなかった、という話をしつつ、その背景では屋台で色々な食事を作っている描写がなされているんですよね。
#つまり人を食べてしまった、そういう解答をそこで出しているわけです。

ということがあるので、今回も中々に理解が難しいところもあったんですが、じっくりと観ちゃいました。

今回のポイントとしてはやはりミスリードを誘うようにできている点と、往壓(ゆきあつ)の思いが転換して、自分の名前から戦うための武器を出現させるところでしたね。
特に自分は自分、ということを思い出して、自分の名前から武器を出す、というところまでの流れは熱かったですよ。


まずミスリードを誘うように出来ているところからですが、これは雪輪が妖夷ではないのか!?と作中何度も描写されている点であり、往壓ですらそういう言い方をしているところですね。

序盤でこういう言い方をするときには必ず裏があるわけですが、今回のケースでも多分雪輪は妖夷とは「異なる存在」で、しかももうちょっと高位の存在なんじゃないのか?という感じですね。

第3話で鳥居側は妖夷とは別の高次の存在「神々」の存在を匂わせていて、今回「蛮社改所」よりも先にアトルと雪輪に目をつけていた点と、量産型?妖夷である遊兵(アソベ)が自制心を保ちきれなかったことから考えても、やはり妖夷とは「異なる存在」なんだろうなぁなんて思います。
#遊兵が取り込まれるシーンはあれこそミスリードで雪輪が吸収させたようにも見えるんだけど、僕はあれは直感的に違うんじゃないかな、と思うんですよね(で、違ってたらどうしよう(笑))。
#雪輪の力が強すぎて遊兵の自制心が効かなくなった結果、生き人形に取り込まれちゃった、みたいな。

またあのサーカス?が来たときから人がいなくなる事件が発生したんだけども、それとアトルはそれ(怪しい気配)を追って入ったのが前後しているのか?それとも雪輪の力が強くて生き人形に影響してしまったか?というところだと思うんですが、この辺もミスリードを誘う小細工として上手く作用させてる気がします。

OPを観ても馬が空を虹色に駆け上っていく描写があったりするんで、きっと雪輪はそういう高次の存在なんじゃないかなぁ。


さて、上記はトリックみたいなところなんで、それよりも面白かったのは、往壓の気持ちが転換して、自分の中から戦うための武器を出現させたところですね。
ここが一番の見所だったと思います。

最初に往壓は自分の境遇を重ねてアトルに対して思い違いをしてしまうんですよね。同情という思い違い。
これは第1話~第3話では同じ境遇の央太という少年に重ねて上手く事を成したのとは正反対に描かれているわけで、それだけでもアトルという存在がちょっと違うという意味かなぁなんて思ったりして。

常々、自分に対して自分らしくありたい、そして奇士になってからはもう逃げないと決めていた往壓が、自分の境遇を重ねたことによって、人と違うから居場所がないことに対して勝手に同情してしまう、自分(相手)を無視してしまう、というのが最初の面白いポイントでした。
#冒頭の刺青を消す消さないだの武士だ武士だからどうのというやり取りはその辺への伏線的に使われてる気もしますね。身分とかじゃなくて、自分らしくありたいってことでしょ、みたいな。

それに対して(その前に宰蔵からジャブ有り)アトルが同情していることが既に異なっていると言っているのと同義だと、そういう風にしか見れないのか、と訴える、そしてそこで往壓がはたと気付く、というのが良いですね。
一本取られた、みたいな。

そこから思い出したように、自分は自分、つまりみんな違うんだから、それで良い、それを証明するために、自分の中から(自分の名前から)武器を取り出すところが熱いポイントでしたね。
ここがやっぱり一番の見せ場ですね。

しかも浮民の証である刺青を見ながら、自分の中から取り出した文字が「王」の権力を持つ意味だったというのがまた熱いですね。
この辺も大きな伏線になりそうな気がするなぁ…。往壓は実は何らかの「王」の力を持ってます、みたいな。

このバトルの後、どうなるかがまた楽しみですね。


あと気になるところでは、色々とあるのですが、本庄辰輔(ほんじょうたつすけ)が率いていた遊兵ですね。
鳥居側は妖夷を配下に置くことに成功してるんですね、これ。ちょっと驚いた。
第1話の感想でも、西洋文明に対して行く行くは妖夷を西洋文明に対する対抗策として利用するんじゃないか?みたいなことを考えていたのですが、既に使役するレベルにあるみたいです。
むしろ第3話を観るに、妖夷よりももっと高次の存在を狙っている、それが鳥居側の狙いで、その高次の存在にアクセスできるのが往壓みたいな感じなのかも。
#漢神(あやがみ)を使うことで、今回も往壓自身が言っていたように、何らかの扉が開かれる可能性があって、それを使わせるために鳥居側としては往壓を「蛮社改所」に入れさせた、という気がしますね…。

ここも表現に仕掛けがあると僕は勝手に思っているわけですが、鳥居耀蔵は蘭学を厳しく取り締まる方にあるのに、その実蘭学者を囲っている、という表現をしていました。
これは今回の本庄辰輔率いる遊兵が登場したのとタイミングとしては狙っているとしか思えません。

蘭学者を表向きの会話で語っておいて、裏の表現として妖夷を厳しく取り締まるはずの幕府が実は妖夷を配下に置いている、みたいな。
鳥居耀蔵は蘭学にも理解がある、鳥居耀蔵は妖夷にも理解がある、そういうシンクロ。

今回の花井虎一はそういう暗喩があったんじゃないか、なんて考えすぎか・・・。

これに対して小笠原が実は蘭学者だったというのがわかってまたビックリ。
つまり自分の主張を完全に押し殺しているわけですね、この人。

この小笠原にしても、また往壓を通して色々ありそうなんで、これはこれで楽しみですね。

……ああ、もっと短く書こうと思っていたのに、こんなに長くなってしまった(反省)。


天保異聞 妖奇士 説三 「華江戸暗流」

2006-10-22 13:20:25 | 天保異聞 妖奇士
主人公往壓(ゆきあつ)が立ち上がるまでを3話かけて描く、中々に面白い立ち上がりでした。
第1話を観たときは随分ゆっくりな立ち上がりだなとも感じましたが、やはりそこは1年もの。
主人公の立ち上がりを3話かけて1つのエピソードにしていたのですね。
十分堪能できました。時間があれば3話連続で観てみたいものです。
#この後特番やるみたいですが、それを一挙3話放送というのも非常に納得です。
#DVDを発売するときは3話にした方が良いのでは?なんて思っちゃいますね。

丁度僕の大好きな「交響詩篇エウレカセブン」も主人公レントンが旅立つために丸々3話を使っているので、1年ものならではのスピード感とスケール感を出していって欲しいですね。

そういう意味でこの第3話は一連の往壓にまつわる立ち上がりのエピソードの中でも、迷いながらも決心して、日常に別れを告げたエピローグ的位置づけだったんじゃないかな、と思います。

恐らく往壓の中では迷いがあるものの、もう日常には戻れない、そういう覚悟が(前回の戦いで)ある程度出来てしまっていた、けれども、そのきっかけを作った親子は往壓にとっての「日常」の風景そのものであり、そういう生活も残されている、だからこそそれが「雲七」という往壓の内面描写するかの如く登場する人物によってブレーキをかける。

けれども…、というところが今回の見所でしたね。

居場所を見失っていた主人公往壓が、迷いを抱えながらも生きるために居場所を決めた。

これが3話をかけてスタートを切らせるために用意された舞台だったんだな、と思います。


自分は何者なのか?自分はいったいどこにいるべきなのか?


異界を覗いてしまったことによって失ってしまった自分に対して、今後この「蛮社改所」の奇士(あやし)として戦うことで、自分を取り戻す、そういうプロセスになりそうな期待がありますね。
そして、「それでも生きていく」であったり、「自分は自分」というところに戻ってくると非常に感動してしまいそうな予感です。

往壓が戦う、と言った一言、やはりこれは惑わされて流される、そういう自分との戦いと言う風にも取れます。
もう流されない、逃げ出さない、そういう踏ん切りをつけた、それが今回のスタートなんじゃないか、そう思いました。

失った自分を取り戻していく、というのは結構年配の人物にしかできないかもしれない。
ゆえに往壓の年齢設定というのは面白いですね。
今までと違う物語が見れそうで楽しみです。

あと、第1話・第2話でもそうなんですが、「食べる」ということについて結構なこだわりがあるのかもしれません。
#確信しましたがやはり第1話・第2話のエピソードで央太のお姉ちゃんは父親に(本当に)食べられたんですね。
生きるために食べる、こういうのもテーマとしてあるのかもしれませんね。

* * *

今回気になったのは、鳥居耀蔵が口にした神々ですね。
これは明らかに妖夷とは別物の存在がいるということなんですが、これがどうなっていくのか謎めいて楽しみです。

また妖夷というのは、基本的に人間の欲望に取り付いて現世に出現する、という感じですね。
この天保という時代は倹約・倹約で非常に厳しい時代だった(そして既にそれを描写するところもあった)ために、逆に押さえ込まれて鬱屈した感情が今にも噴出しかねない、また外国からの勢力も入ってきて非常に不安定な時代だった。
だからこそ、妖夷が出現しやすい、というのは面白いなと思いましたよ。

時代の中の不安さや逆にその中での活き活きとした部分、そういうのも描いてくれるとより楽しめそうです。


天保異聞 妖奇士 説二 「山の神堕ちて」

2006-10-14 21:33:50 | 天保異聞 妖奇士
第1話が静かな立ち上がりだったんですが、第1話とこの第2話、セットで1時間でやった方が面白かったんじゃないかと思いました。
当然話の流れも第1話と第2話で一つの物語になっているのでそう思ったのですが、第1話が謎を布石しておく表面で、第2話が謎解きにあたる解答編でしたね。

面白いなぁと思ったポイントは2つ。

一つ目は冒頭に解答編と書いたのだけれども、第1話の感想で「主人公の居場所の無さ」が面白い、(現実世界に)居場所が無いから逃げるしかないと書いたところを、第2話の冒頭で雲七がまさにそのままの台詞を言ったところですね。
やっぱりこの物語のポイントは主人公の居場所の無さにひとつ面白さがあると思うのです。
これがどうやって居場所を回復していくか?みたいなところが観て見たいですね。
特に今回は少年を登場させていましたが、主人公がかなり大人ということは、誰かを助けることで自分が失った大人像を回復していく、そういう展開が見て見たいですね。
#全然違う展開したりして(笑)。

もう一つは雲七の存在ですね。
これは明らかに他人には「見えていない存在」でしたね。
主人公は居場所がない、それに対して「見えていない」、これが面白いですね。

小野不由美さんの『十二国記』では主人公陽子の影として、蒼猿が登場して主人公の不安な心情を投影させるわけですが、この雲七も主人公竜導往壓(りゅうどうゆきあつ)の精神面を反映させた存在だったりするんじゃないか、そんな風にも思えます。
もしくは…、と色々妄想が先行するのですが、この辺は本編を観ながら追々妄想していきたいと思います(笑)。

あとは、少し分かりづらい表現かなぁと思ったところがあって、そこの解釈が自分でもちょっと微妙。
今回登場した少年とその父にまつわるエピソードなんですが、竜導は合点がいったと言うのですが、そこが少し分かりづらくて自分なりに解釈したんだけど自信なし。

民俗学的に観ても飢饉のときに生贄を捧げる風習というのは宗教的な意味合いと食い扶持を減らす意味合いがある、というのは宰蔵からも説明されていましたが、今回はそれだけではないんですね、きっと。

山の神は何らかの理由で神籍から外れてしまった、というわけなんですが、あれは少年の父を取り込んでしまったがため、ということですよね。
その後、山ノ神から妖夷へ堕ちてしまい、少年を執拗に追いかけるわけですが、恐らくこれは取り込んだ父の妄執だったんでしょうね。

ここからが完全に妄想の領域ですが、少年の父は3年前の飢饉のときにも娘を生贄として差し出しているわけですが、ひょっとするとこのときの飢饉は本当に危機的で、食べるものすらなかったのかもしれません。
そのとき「狂ってしまった」と言っていた少年の父は、ひょっとすると自分の娘を食べてしまった…。
ゆえに今回の飢饉でも「米や麦はあるのに」少年を生贄として差し出した。自分が食べるために。
この食人の妄執に駆られて山の神は堕ちてしまう…。

少年はこの時点で自分が父に殺されることを覚悟するわけですが、同時に自分はこの世界ではいらない人間である、実の親からもいらないと言われてしまう、ゆえに居場所を喪失してしまった、だから異世界へ行くしかないとかたくなに思っている。

だけれども、少年は往壓との会話の中で、この世界にいることを決意する。
それが少年の台詞の中の「オラ、ここにいるよ、カカ(母)と一緒に」ということだと思うんですね。
最初聞いたときは、父親に自分の存在を主張しているのかと思ったんですが、話が繋がらないのでもう一度その部分を見直して考え直しました。
で、さっきまでは居場所がこの世界には無いから異世界へ行こうと思っていたけれども、やはりこっちの世界で生きていくしかない、と思った、だから母と一緒に「ここにいる」と言ったんでしょうね。

だから往壓が最後に向こうの世界へ心が揺れるんですが、少年が引き止める、そういう描写だったんじゃないかなぁ。

父親が食人の妄執に囚われる、というところが最大の僕の思考の飛躍になっちゃってるんですが、そう考えてつじつまを合わせたりして(笑)。


…短い感想書こうと思ったんですが、長くなってしまいました。
でも、あれです、あの漢字から本当の姿を取り出す、というのは面白いと思います。
#あの字も上手いですし。

ああやって毎回種明かしのときにトリビアを入れてくれると勉強になりますね。
#種明かしって書いて思ったんですが、やっぱりこれは伝奇・ミステリーというカテゴリで見たほうがいいんでしょうね。



天保異聞 妖奇士 説一 「妖夷、来たる」

2006-10-08 01:41:20 | 天保異聞 妖奇士
最近番組を事前にチェックする時間が作れなくて、これもまた予備知識ゼロ(BONESが制作ということくらい)で観ましたよ。

恐らく1年ものになるんだと思うんですけど(でいいんだよね?)、立ち上がりはゆっくりめ、だけれどもこれはまたこれで個人的に期待感があります。

どの辺に期待感があるか?というと、主人公がいきなり所在無さげなところです。
ここ、非常に面白いというか、結構重要なんじゃないの?これ?

年齢的にも高くて、ちょっと厭世的で、なにより居場所がない。

居場所がないってのは、物理的な意味でもそうなんだけれども、どっちかっていうと精神的な方かな、と。

幼少時に異界を観てしまったから、現世との確執というか、今ある現実って何なの?自分のいる場所が根本から崩壊しちゃったよ、みたいな。
だから居場所がなくて逃げるしかない。

つまり主人公なのに、自分の居場所が物理的にも精神的にも希薄なんですよ。
ここが面白いなぁと思ったとこですね。

で、登場したのが自分と同じ経験を今まさにしている少年。
ということは、この少年に自分の過去を重ねてしまうというのは必定。

主人公にね、大人を、しかも結構年のいった大人を持ってきたというのはそれなりに意味があると思うんですよね。
自分の失くした時間(過去)を少年に重ねて、所在がなかった主人公が、そういう少年を助けることで自分の所在を見つける、みたいな。
大人を主人公にしたなら、大人って子供にとってこうだよね、というのをじっくり見せてくれると個人的には嬉しいなぁ。
#例によって全然見当違いの方向性だったりして(笑)。
#でもエウレカセブン好きの僕としては、ホランド(藤原さん)が大きな子供からほんとの大人になっていった経緯を見てたからそういうのあっても良いなって。
#ちなみに藤原さんと小山さんの渋カッコイイボイスは素敵過ぎです。

あとはやっぱり江戸時代を何故設定したか?ですよね。
ここが気になります。

しかも天保。

ちょうどこの頃から西洋文明が流入してくる頃だし、その意図がそのうち浮かび上がってくるんじゃないかなぁ。

超・妄想だけど、西洋の力ってのは当時の幕府にとっては非常に脅威なわけだから、それに対抗するために幕府としては妖夷を対抗勢力として使いたい、みたいな展開があると、ちょうどこの時代設定を使った意味とか出るのかなぁ、なんて。
#冒頭の改所での会話って、そういう風にも聞こえるんだよなぁ。
#例によって大暴走かもしれんね、僕の(笑)。

もちろん主人公サイドはそのどちらともスタンスが異なる、第三ポジションにいて欲しいわけですよ。
だから幕府サイドとも対決があったりしないかな、中盤あたりで。

とりあえず、異界と現世、この位置づけが見えてくるともうちょっと面白くなるんじゃないかと期待しております。
#ちなみにOPの絵コンテはエウレカセブンの京田監督だったよ!!