5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

名古屋に欲しいポジャンマチャ

2012-11-28 22:10:29 | 社会
昼夜の気温差が大きくなったせいか、名古屋の街路樹も紅葉が鮮やかさを増し、たくさんの枯葉が舗道を埋めるようになった。日が落ちると広小路通りは年末の「電飾街」にその姿を変える。今年のイルミネーションの輝きがやけに明るいようだが、単なる気のせいだろうか。

そんなまばゆいデコレーションライトの列に沿って歩きながら、こんな明るさの下に移動屋台が並んでいたら冬の風物詩になりそうだなあと、昭和40年代が全盛だった広小路屋台のことを思い出した。

名古屋のメイン街路だとは云うが、朝夕のサラリーマンが急ぎ足で通過するだけの今の広小路を見るにつけ、交通渋滞や保安、食品衛生などの問題で廃止された路上販売だが、ひとつの都市文化として「屋台」の再来を望むのは自分だけではないだろうと思う。

広小路には市電が戻ってきて欲しいし、日曜歩行者天国を呼び戻すのもいい。レトロ結構ではないか。

屋台と聞いて想い出すのは40年近く前、初めていった隣国・ソウルの土埃の舞う裏町にならんだ屋台の列。彼の地ではポジャンマチャ(幌馬車)と呼ばれていた。この単語が最初に憶えたハングルだったような気がするが、それほどポジャンマチャの第一印象が強烈だったのだ。

昭和30年代の日本に逆戻りした感じといえばよかろう。なぜ、ポジャンマチャなのだろうか。勝手に類推するに、ソウルの街に最初に現れたのが1950年代初めというのだから、朝鮮戦争を戦ったアメリカ軍兵あたりが自国の幌馬車に似ているとして名づけたものではなかろうか。

当時の綿布を屋根代わりにし焼き鳥や焼酎を売るというシンプルな仮設が、60~70年代になると常設屋台に発展していき、82年に夜間通行禁止令が解除されると、折からの経済成長とともに、韓国人たちのポジャンマチャ利用も全盛期を迎えることになる。

ソウル市内に遍在するポジャンマチャ。宵の口から明け方までたくさんのサラリーマンたちの集合場所である。日本の仮設屋台とはちがって、テントの内部は結構に広く、2~3グループが一緒に盛り上がれるのも特徴だろう。

WEBのソウルナビを読んでみると、江北エリアには、南大門や鍾路の昔ながらのポジャンマチャが、江南エリアには「ハンシンポチャ」や「JUJU」といった今風大型店舗があると書かれている。冬の北風に吹かれて寒そうに佇んでいた昔のポジャンマチャのイメージとはもはやまるで違っているようである。

B級なごや飯で売り出しの名古屋であれば、ソウルのポジャンマチャ文化の名古屋版があってもいいと強く思う。






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