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リタイアーのよもやま話

中国:三国志の英雄・曹操の陵墓を発見

2009-12-29 22:10:18 | 歴史
ヤフーのニュースである。
中国:三国志の英雄・曹操の陵墓を発見 河南省文物局発表
 
中国中央テレビによると、中国河南省文物局は27日、同省安陽市安陽県で、後漢末期の武将で三国時代(3世紀)の魏の基礎をつくり、「三国志の英雄」として知られる曹操(155~220年)の陵墓を発見したと発表した。
陵墓からは60歳前後とみられる男性の遺骨が見つかり、専門家による暫定的な鑑定結果によると、60代で死亡した曹操本人のものとみられるという。

曹操の陵墓の所在地をめぐっては諸説あり、これまで特定されていなかった。今回の発見で、曹操に関する謎が解明されるのではと期待されている。

陵墓は面積約740平方メートル。二つの墓室などがあり、鉄剣や水晶、石碑などの埋葬品が200点以上出土した。曹操を示す「魏武王」と刻まれた銘文も含まれ、曹操の陵墓だと示す根拠の一つになったという。

曹操とみられる男性のほか、女性2人の頭蓋骨(ずがいこつ)や足などの遺骨も見つかった。

同陵墓は誰を埋葬したものか分かっていなかったが、盗掘などが相次いでいたため、文物局が昨年12月から、盗掘防止のための発掘作業を進めていた。(共同)
 ◇ことば・曹操
後漢末期の武将。丞相を務め、魏王となり、中国北部を支配。

中国統一を目指し、呉の孫権、蜀の劉備と覇を競った。孫権・劉備の連合軍に「赤壁の戦い」で敗れ、その後「魏・呉・蜀」が鼎立(ていりつ)する時代に入った。

息子の曹丕の代に後漢が滅亡し、魏王朝がスタートした。

知略や行政手腕、冷酷さなどから歴史小説「三国志演義」では劉備らに対する敵役として描かれる。詩人としての才能にも優れていた。(共同)

昔、中国に関する歴史物の本をよく読んだ。
人間学として、処世術として、学べることが、多いと思ったからである。

諸葛孔明のファンだったので、曹操は敵役として、読んだ。

最後は、劉備、諸葛孔明の病死により、野望は実らぬことになり、複雑な感情がわいたことを覚えている。

ネットによると、曹操の子孫を名乗る人物は6万人ほどいらっしゃるということだが、かつて、勝ち組であった曹操の墓が、今頃発見されるということは、墓守をする人はいなかったのろうか?

ちょっと、寂しい気分になる。

あれほどの歴史的な人物の墓でさえそうなら、いわんや庶民の墓など┄┄?、である。



自分に嘘をつかない

2009-12-29 22:09:22 | 読書
文芸春秋 SPECIAL 2010 季刊冬号

こころとからだの処方箋 健康への道


この特集で、わたしにとって大変興味深い記事があった。

この本は、「血糖値を下げる奇跡の食事法 宮本輝」の記事に惹きつけられた買ったのだが、岸田秀氏の文章がのっていた。


以下、抜粋してみた。



自分に嘘をつかない

岸田秀(心理学者・思想家)

「嘘も方便」という諺もあり、人に嘘をつくのは必ずしも悪いわけではないと思うが、自分に嘘をつくこと、すなわち自己欺隔は決定的に悪い。

道義的意味において悪いかどうかはさておくとして、わたしが言いたいのは、自己欺隔は自分の精神的・身体的健康という純粋に利己的な観点からもきわめて有害であるということである。

わたしは中学生の頃、強迫神経症に取り憑かれていた。

何とか強迫観念の原因を見つけようとあがいていて、精神分析と出会ったが、その厘因に気づくには2、30年かかった。
 
その真実とは、母がわたしを愛していない、わたしも母を愛していないということであった。

幼いわたしにはこの真実は堪え難かったのであろう。

いつからかはわからないが、わたしはこの真実を否認し、自己欺隔に逃げ込んだらしい。

こんなにわたしを愛してくれる優しいいい母親はいないと思っていた。

この自己欺隔によってかりそめの安定と安心を得ていたらしいが、その代価のひとつが強迫神経症であった。


もうひとつの代価は、何とも言いようのない変てこな恋愛に嵌まることであった。

わたしを愛してもいない身勝手な女に猛烈に惚れ込むのである。

そして、彼女を途方もなく理想化し、崇拝し、彼女に愛されようとして献身的に尽くすのであった。

もちろん、それが成功して彼女に愛されるということはなかった。

身勝手な女はどうしようもなく身勝手だし、それに、わたしの「理想化」はどこか嘘っぽく、「献身的に尽くす」尽くし方は、初めは気づかなかったが、いかにもこれ見よがしで大げさで、実を欠いていた。

これは、心のどこかでは母はわたしを愛していないのではないかと疑っていたが、それゆえになおさら母に愛されようとして、実はその気はないのに母に献身的に尽くす振りをしていた幼いときの行動パターンの反復強迫だったと考えられる。

自己欺隔に気づき、母とわたしのあいだには愛は存在していなかったという苦痛な真実を決定的に認識すると、これらの症状はまるで嘘のように消えた。

それだけではなく、酒癖も収まった。

自己欺隔から解放されると、胃潰瘍からも解放されたようである。

好ましくない現実を否認しても、精神の別の面は現実を認識しているから(もし、現実を全面的に否認すれば死ぬしかない)、自己欺瞞は現実を否認する面と認識する面とに精神を引き裂くことになるが、わたしの場合、この精神の分裂は
精神面で変な悪癖や神経症的症状などを惹き起こしただけでなく、身体面でも胃唐傷などさまざまな病気の原因もしくは
誘因になったようである。

精神的健康や身体的健康を得るには、自分に嘘をつきさえしなければよいというのが、わたしの人生経験に基づく教訓である。

生きがいを得るために、何か価値がありそうな目的を無理に考え出してその実現に努めるというようなことをわざわざしなくても、自分に嘘をつかず、そのまま現実を生きていれば、現実とのかかわりのなかで自ずとやりたいことが湧いてくるし、自ずと生きがいは感じられてくる。

生きていることが虚しいのは現実を生きていないからである。

何か不都合なことかあると、「なかったことにしましょう」と言う人がいるが、あること、あったことをこなかったことにする」こと
こそ、生きがいを失わせる最大の原因である。

それはまた、不可避的に現実への不適応をも招く。


以上、抜粋である。


岸田秀氏、懐かしい名前である。つい最近、彼のことを思いだした。

そういえば、彼はどうなったのだろう。と思ったのである。

しかし、今回、どういうわけか、偶然にも再会することになった。

むかし、彼の「ものぐさ精神分析」を読んだ記憶がある。後、何を読んだかは覚えていない。

「ものぐさ精神分析」は、書庫のどこかにあると思うが、どこだろう。

残念ながら、今となっては、その本の内容は、覚えていない。

しかし、彼の名前は、強烈に残っているので、きっと
当時のわたしに大きなインパクトがあったはずだ。

ところがである。彼の書いた文章の内容が、びっくりである。

まさかである、母親との複雑関係があったという内容を読んで、ショックを覚えた。そして、なんとも言えない気分になった。

むかし、彼の本を読んだ時に、このようなことが氏にあるなんて、全く想像だにしなかったからである。


ところで、この文章を読んで、実は思いだしたことがある。

それは、加藤諦三氏である。

加藤諦三氏については、高校2年生の頃、学級で彼の書いた「俺には俺の生き方があるーある青年の手記(1966年)」を回し読みした記憶がある。

(この本は、編集者が大分、手を入れたということを後日読んだが、この原稿の熱い思いに、感ずるものがあったようだ。)

その本のテンションにつられて、高揚した気分になったこと
を今でも覚えている。

その後、不思議なことに、わたしが大学に進学したら、その大学の非常勤講師をしていて、彼の講義を受けることになった。

なんとなく、高校生の頃に読んだ本の印象とは、全然違うなと思った。

今でも、覚えていることは、「ゲゼルシャフト、ゲマイシャフト」という言葉である。

この大学には、彼の父親も勤めていて、氏の父親の縁もあったのかと、邪推をしてしまった。

(ただ、大学は、彼のような若者受けする人材を集めているような気もしたから、本当はどうかわからないが)

その後、時折、彼の本を読んできたように記憶している。

ところが、彼のことも忘れかけた頃、大分月日も経って、久しぶりに彼の本を手にすることになった。

そこで、とんでもないショックを覚えてしまった。

それは、自分の父親を謗ったり、兄弟を非難したりしていたからである。

さすがに、その時には、彼もいい年をして、今頃になって、身内の恥を大っぴらに語ることもあるまいと。怒りに近い感情がわきおこってきた。

彼は、1938年(昭和13年)生まれである。わたしからは、11歳年上である。記憶は、定かではないが、彼は50歳をこしていたかも知れない。

とにかく、プライベートなことで、公の場で泣き言を言える歳ではないだろう。と感じたことがあった。

遠い昔の話しである。


さて、今回、岸田秀氏が、長年母親との軋轢に悩んだという文章を読んで、なんとも言えない戸惑いを覚えてしまった。

実は、数日前に、香山リカ氏の「親子という病」(講談社現代新書)の最初の方をちらっと覗いたが、仲良し親子とおぼしき親子が、親が80代、娘が40代という時に至って、罵り合っている事例を取り扱っていた。

ショックで、その場で、本を閉じてしまった。

ということもあって、岸田氏の文章に複雑な思いもしたが、加藤氏のような厭味がなく、理路整然とした文章に惹きつけられて、読み通してしまった。

「『嘘も方便』という諺もあり、人に嘘をつくのは必ずしも悪いわけではないと思うが、自分に嘘をつくこと、すなわち自己欺隔は決定的に悪い。」ということについて、自分の経験談を踏まえて、話しを展開しているが、その分かりやすさに、個人的にも学ぶものがあって、この文章に出会ったこと、幸運だったなと思っている。

やはり、このくらい綿密な考察を読まされると説得力がある。

そう意味では、加藤氏が、社会学畑の出身であり、心理学や精神医学の教育・訓練を受けていないということには、驚いてしまったが、彼の話しの展開が、紋切り型になって、分かった気になってしまうだけで終わっているきらいがあるのは、しようがないかも知れない。

話しは、変わるが、加藤諦三氏が非難して止まない父親の存在があって、実は今の自分があるという皮肉はどう思っているのだろう。

ウィキペディアで、彼の著作を数えようとしたが、あまりにも膨大である。アバウトだが、150冊以上は、結果として彼の謗った父親が存在して、生まれた作品だ。

彼は、非難してやまない父親の存在で、勝ち組として、人生を完結させたように思われるのだが。

又、岸田氏についても、気の毒ではあるが、愛しない、愛されない母子という不幸で、彼の人生のキャリアが積み上げられたのをみていると、人生って、何だろうと思ってしまう。

「禍福は糾える縄の如し」、「人間万事塞翁が馬 」という諺があるが、幸福って何だろう。
自分の存在の原点の不幸が、自分の人生を展開させてくれる。

最近の児童虐待、子殺し、親殺し、兄弟殺し、又、老老介護に疲れての夫殺し、妻殺し、孤独死等、家庭・家族って、もしかして、共同幻想?なんて目眩がしそうな今日にあるが、家庭・家族ってなんだろうね。

テレビでは、睦まじい親子のコマーシャルが、これでもかこれでもかと流されるのだが。

本当は、家庭ってなんだろう?

ところで、岸田氏は、「生きがいを得るために、何か価値がありそうな目的を無理に考え出してその実現に努めるというようなことをわざわざしなくても、自分に嘘をつかず、そのまま現実を生きていれば、現実とのかかわりのなかで自ずとやりたいことが湧いてくるし、自ずと生きがいは感じられてくる。」と語った。

実は、ここからが問題だ。

わたしは、どのような真実を否認し、いかなる自己欺隔に逃げ込んでいるのだろう。

岸田氏は、説いた。「生きていることが虚しいのは現実を生きていないからである。」と。

わたしの現実って、何だろう?
わたしは、どのような自己欺瞞におちいっているのだろうか?




血糖値を下げる奇跡の食事法(糖質制限食)

2009-12-27 23:15:07 | 健康
文芸春秋 SPECIAL 2010 季刊冬号

こころとからだの処方箋 健康への道


この特集で、わたしにとって大変興味深い記事があった。


「血糖値を下げる奇跡の食事法 宮本輝」である。


以下、抜粋。


いまでもよく覚えていますが、2008年3月20日のことです。

昔からの友達である推理作家の鏑木蓮さんとお会いする機会があって、糖尿病で困っているという話をした。

そうしたら鏑木さんが、「え、輝さんも? 僕もなんです。でも、あんなの完璧にコントロールできますよ」と言う。

薬も飲まず、インスリンも打たず、好きなものを食べて、お酒も飲んで、完璧に糖尿病をコントロールする方法がある、それが江部康二医師(京都・高雄病院理事長)の提唱する糖質制限食だ、と言うんですね。

炭水化物はいかんと。ご飯も麺類もいも類も食べるのをやめなさいと。

ポテトサラダをおかずにご飯を食べるなんて滅相もない話だと。

日本酒やビールといった醸造酒もダメ。その代わり、肉や魚、玉子、チーズはOKだし、糖質を含まない蒸留酒のウイスキーや焼酎なら飲んでいいと。鏑木さんはこう言うわけです。

そして江部さんのブログ「ドクター江部の糖尿病徒然日記」を教えてくれました。

最初はやっぱり疑ってかかりましたよ。

僕らはお米の国の人間ですからね。離乳食の重湯から始まって、ずっと炭水化物、糖質を摂取して生きてきたわけだから。

ご飯を食べない、麺類を食べないなんて、そんなことが果たして自分にできるのかと思いましたし、そもそも医学的に正しいことなのかどうかも疑問だった。

それで江部さんのブログを読んでみたんです。過去ログにも全部目を過しました。

すると、非常に納得がいった。

自分の病院で糖質制限食を取り入れるようになった経緯や、なぜ糖質を制限すべきなのかを人類の歴史を辿りながら解説してあるものを読んで、これなら信頼できると思ったんですね。

江部さん自身が糖尿病の患者であるのも説得力があった。


という文章があった。

とんでもない方法であった。

わたしも6月の定期検診で、糖尿病の疑いをかけられた。そして血圧も高めである。

そこで、必死になって痩せようとしてきた。当時からすると、5㎏ほど痩せたと思う。

しかし、まだ、腹部に脂肪が残っている。なんとか、この脂肪をとりたいと思っているのだが、なかなか思うようにならない。

今回、このような記事に出会って、大変喜んでいる。


この特集では、 宮本輝氏の記事の次に、この提唱者の江部康二氏の「宮本さんの身体はこうして変わった」という記事があった。

とても、論理的でわたしの多くの疑問への答えが載っていた。

大変、貴重な資料に巡り合って、喜んでいる。

次年度の定期検診が楽しみである。

なかなか減らすことのできない腹部の脂肪がどれだけ減るのか楽しみにしたいと思っている。




貧困と格差が拡大=食料補助受給8人に1人

2009-12-27 11:01:36 | 経済
ヤフーのニュースである。



貧困と格差が拡大=食料補助受給8人に1人-金融機関の高額賞与は復活・米

12月26日14時41分配信 時事通信

【ワシントン時事】米政府の「フードスタンプ」と呼ばれる低所得者向け食料購入補助制度の受給者数が長引く不況で最高記録を更新、3700万人に達したことが26日までに、分かった。

巨額の公的資金を注入された大手金融機関が息を吹き返し、数千万円の高額賞与を復活させる中で、米国人の8人に1人が空腹と闘う格差がある。
 
フードスタンプは1964年にジョンソン大統領が生活困窮者の食料購入を補助するために制度化した。

受給資格は4人家族の場合、月額総所得が2389ドル(約21万円)未満。一世帯の月平均支給額は2009年9月時点で約292ドル(約2万7000円)。
 
農務省によると、受給者は08年度に2800万人を突破し、今年9月には前年同期比558万人増の3700万人を記録。

10カ月間連続で過去最高記録を更新した。現在も1日2万人のペースで利用者は増え続ける。 





全米15%世帯が食料不足=不況直撃、子供の飢えも急増

【ワシントン時事】米農務省が16日発表した2008年の食料安全保障報告によると、全米の14.6%に当たる1714万世帯が、同年中に収入不足などから家族全員に十分な食事を与えられない「食料不足」を経験したことが分かった。

前年比で3割強の増加で、1995年の調査開始以来で最悪。
未曾有の経済危機が国民生活に深刻な影響を与えている実態が浮き彫りとなった。
 
報告は、子供の食事まで制限せざるを得ない世帯が50万6000世帯に達し、前年比56.7%も増加していると指摘。

「通常は保護されるはずの子供まで、食料を確保できないケースが増えている」と警告した。(2009/11/17-10:21)



世界の貧困率で、先進国ではアメリカがトップであった。

100年に一度の大不況、ダメージは計り知れないようだ。

ところで、同じデータで日本は、先進国ではアメリカに
ついで、2位だった。

この状況が、何時の日かの日本の話しになるはずだ。








英国の高齢独居男性100万人に新たな社会問題化

2009-12-27 09:04:45 | 老後
ヤフーのニュースである。

英国で60歳以上の高齢独居男性の数が初めて100万人に達したことが、老人福祉団体「ヘルプ・ザ・エイジド(Help the Aged、高齢者助成会)」の調べで明らかになった。

このうち半数の50万人が「寂しさや孤立を感じる」と答えており、英国では寂しいお年寄り男性の増加が新たな社会問題となりそうだ。

高齢男性は同世代の女性と比較して、地域社会や家族との関係維持に苦慮する傾向がみられる。

高齢女性がサークル活動などの社会参加を楽しいと感じているのに対し、男性はこうした場に溶け込みづらいと感じていると、「ヘルプ・ザ・エイジド」の政策担当エイミー・スワン氏は語る。

スワン氏は、こうしたサークルは女性を対象としたものが多く男性が少数派となることから、男性に参加をためらわせていると指摘する。

さらに、離婚の増加による家庭崩壊も、高齢男性の孤立化の一因となっている。「ヘルプ・ザ・エイジド」の調べでは、孫に半年間も会っていない高齢男性は高齢女性の2倍もいるという。

こうした状況を受け、イバン・ルイス保健相も「平均寿命が延びる一方で、高齢者の間では認知症や心臓疾患が多く健康状態は良好とはいえない」と指摘。

高齢者ケアは21世紀の英国における「新たな児童保護」問題だと述べ、高齢者問題への注視を呼び掛けた。



高齢者問題は、先進国の共通の課題なのかも知れない。

長生きのリスクがこんなにもあったなんてね。

誰も想定していなかったなんてね。

それこそ、合成の誤謬だ。