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リタイアーのよもやま話

価格破壊に追従しない理由

2009-12-20 22:26:28 | 読書
とある月刊誌に、塩野七生氏の文が掲載された。

女性の作家で、彼女の文章については、どういう訳か、親しみがわく。

彼女の文章があると、目を通すことにしている。



今回も、興味深い文章に出会った。彼女ならではの視点であり、惹かれてしまった。


以下、その文章と感想である。



価格破壊に追従しない理由

塩野 七生(作家・在イタリア)


数カ月前のこの誌上に掲載一されていた浜矩子氏の一文
 『ユニクロ栄えて国滅ぶ』を、興味深く読んだ。

なぜなら似たような状況は、イタリアでも起っているからである。
 
ヨーロッパでは今や円安・ドル安・ユーロ高だが、おかげでイタリアでも、高級ブランドの売れ行きが激減した。

それまで安定して買ってくれていたアメリカと日本の旅行者が買わなくなったからで、と言ってロシア人と中国人がそれに代わったわけではない。

お金を使う経験量が不足しているのか、おカネを充分にかけることによってこそ生れるほんとうの価値、がわかる水準には達していないのである。



ここまで、彼女の文章。


[感想]
「お金を使う経験量が不足しているのか、おカネを充分にかけることによってこそ生れるほんとうの価値、がわかる水準には達していないのである。」

この文章に、彼女ならでの説得力を感じてしまう。

「お金を使う経験量が不足している~、」

お金について、このような考え方があるということ、全く考えたことがなかった。

かなり、貴族的な発想だ。残念ながら、全く違う世界に住む人の話しに聞こえる。

この考え方に触れると、いかに自分が下流社会の存在であるかということを認識させられる。

「おカネを充分にかけることによってこそ生れるほんとうの価値、がわかる水準には達していないのである。」

この文章にも、唸ってしまった。

残念ながら、このレベルの金の使い方、死ぬまでにも、分かり得ない世界の話しである。

しかし、これくらい、ランクの違う世界の話しに触れると、かえって爽快な感じもする。

言い切れるところが、とにかく凄い。




塩野氏の文に戻る。


その結果はどうなったか。
 
二、三の最高級ブランドを除けば、日本人がイタリアン・モードと思っているブランドの多くは、中国式の商いのやり方に屈したのである。

ユニクロのように、中国へ行って生産するのではない。

ヨーロッパに来たい中国人は多いので、これらの不法入国者を同国人である中国人が組織し、その〝工場〟にイタリアのブランドが注文して作らせるようになったのだ。

こうして、イタリアの職人を使う場合の十分の一の経費で、メイド・イン・イタリーが出来上ることになった。

ちなみに、イタリア側の注文を受けて作る中国側のトップだけ
は、合法的にイタリアに入国した人々であり、工場も、イタリア人ならば働らくことを拒否すること確かな地下室や車庫であったりする。

従業員たちはその中で、食事もし、眠り、それ以外の時間はただひたすらに働らく。

警官に見つかると国外退去になるので外出もしないから、外部との接触などはまったくない。


ここまで、塩野氏の文章。


「感想」
凄まじい。まさに、裏世界の話し。

「イタリアの職人を使う場合の十分の一の経費で、メイド・イン・イタリーが出来上る~」

それにしても、密入国する中国人。自由を求めて、「たこ部屋暮らし」、同じ中国人による収奪、なんという民族だ。


塩野氏の文章に戻る。
 
この種の現象も価格破壊ではないかと思うが、これによって、イタリアの伝統でもあり高度な技能とアイデアの豊かさを誇ってきた職人層が、壊滅的な打撃を受けたのである。


途中、カット。


世間全体が、なんであれ安ければ良し、の一色に染まっ
てしまったからである。

途中、カット。
 
ところが帰国してみて驚いたのは、高いというだけで今風ではなく、何もかもが安ければ良しとする風潮に、日本もまた染まっているということだった。

しかも、この風潮は服やバッグに留まらず、書籍にさえも及んでいるという。

これはもう、価格破壊の先に待つ文明の破壊になると思い始めたのである。
 
なぜ価格破壊が文明の破壊につながるのかは、多くの女同様にショッピング大好きの私に言わせれば、次のような関係にある。
 
ショッピングとは、ただ単に物を買うという経済上の行為に留まらず、想像力をきたえる行為にもなりうる。

途中、カット。
 
要するに、その品を買ったことによって、私の想像力が
刺激を受けるのである。

そして、想像力とは筋肉に似て、使わないと劣化するという性質を持つ。
 
筋肉の劣化を阻止したいがために、人はジムに通うでは
ないか。

それも、相当なおカネを使って。

ならば、想像力の維持にも役立つショッピングでおカネを使うのも、充分に意味ある投資ではないかと思う。

筋肉であろうと想像力であろうと、必要なのは「刺激」なのだから。


 
途中、カット。



だからこそ、私の想像力は刺激されたのである。そして、高い
品と安い品のちがいは、買い手の想像力を刺激するかしな
いか、にもあるのではないかと思っている。
 
一千円のユニクロのセーターは、セーターにすぎない。

だが二十万円のアルマーニのスーツは、私を幸福な気分に
するだけでなく、これをいつどのように使うかにも考えをめぐらせることで私の想像力が高まり、めぐりめぐったとしてもその成果は、一冊の歴史物語にもなりかねないのである。

こうなると、安物買いのゼニ失いという昔の人の智恵も、一理あるのではないか、と思ったりする。
 

ここまで、塩野氏の文章。


「感想」
じつは、この文章でとても、惹きつけられたのは、以下の箇所を読んで、新鮮な印象を受けたからであった。



「そして、想像力とは筋肉に似て、使わないと劣化するという性質を持つ。
筋肉の劣化を阻止したいがために、人はジムに通うでは
ないか。

それも、相当なおカネを使って。

ならば、想像力の維持にも役立つショッピングでおカネを使うのも、充分に意味ある投資ではないかと思う。

筋肉であろうと想像力であろうと、必要なのは「刺激」なのだから。」


以上、彼女の文章であるが、退職生活になり、こんな不景気なこともあって、節約モードに入っている。

勿論、年金生活者の身分なので、身の程をわきまえた生活をしなくてはならない。

だから、本当の話としては、かなり、経済的なランクでは、貧乏の身分である。

それでも、父親のおかげで、わりと、本代には、不自由しなくて済んでいる。

今、自分がブログをやっていることなんて、純粋に年金生活者の身分だったら、とてもできない話しだろう。

そういう意味では、運がいいのかもしれない。わたしの生活は中途半端である。

それにしても、想像力を劣化させないために、金を使わなければならない。まったく、想像だにしなかった。びっくりである。

言われてみれば、本当の話しである。

金を使うのは、浪費。という発想しかなかったし、そういう努力しかしなかった。

しかしである。

「想像力を劣化させないために、金を使わなければならない。」そのように言い切れる人間がいるなんて、ショックである。

住んでいる世界が違うようだ。しかし、本当に本質的で大事な話しであると、感心してしまった。




彼女の文章に戻る。


処女作以来一貫してきた私の創作態度は、恥ずかしくない作品を書く、という一事につきる。

だがそれで行くには、一冊あたりの値段は高くならざるをえない。

一冊三千円お払いになっても損はさせません、と言える作品を書くには、頭脳と時間とおカネは充分に使う必要があるのだから。
 
その私に対してもこの頃は、話してくれさえすればこちら
でまとめて七百円で一冊作れます、という申し出が寄せら
れるようになった。

それに対して私は、頭が働らくうちは自分で書きたい、と答えることにしている。


読んでくれる人のためというよりも、何よりも私自身のために。
    
(十一月十九日記)


以上、彼女の文章。


「感想」

作家魂、この文章に出会えて、清々しい気分になった。

わたしにとって、気掛かりな作家の心意気に触れて、嬉しく思った。

「処女作以来一貫してきた私の創作態度は、恥ずかしくない作品を書く、という一事につきる。」と彼女は、書いた。

何かで、読んだのだが、物書き、このことが難しいようだ。処女作を超える作品、厳しいらしい。

しかし、塩野氏の心意気、ファンの一人として、嬉しく思った。

大分、引用してしまって、すこし、悪い気がするが、素人の遊びの文章なので、勘弁してもらいたと思っている。