上村愛子
冬季オリンピック 4度目の挑戦
長野から母とのメダルを追い続けた12年間
1979年12月9日兵庫県伊丹市生まれ、「先天性心室中隔欠損症」と言う、
心臓病の持病を持ち、2才の時に長野県白馬に移り住んで、アルペンスキーに
夢中になる日々であったが、小学校での陰湿ないじめで、スキー部を辞め
中学2年の冬、知人のいるバンクーバー近郊にひとり旅し、そこで観戦したのが
モーグル競技にのめり込んでいったことが、少女の人生を変えた。
そのご、わずか4年後、高校3年になった愛子は、1998年の長野オリンピックの
舞台に立ったこの長野大会では7位 2002年ソレトレークシティー大会では6位
2006年トリノ大会では5位
その後、2007-2008シーズン、怒涛のW杯5連勝で日本モーグル界初となる
種目別年間優勝を達成。
2008-2009世界選手権大会シングルレース、デュアルレースの二冠を
達成するなど、2010年バンクーバーオリンピックでの悲願達成を目指し、
進化を続けて 冬季このカナダ・バンクーバ冬季五輪フリースタイルスキー
女子モーグルの大会に、4度目に挑戦メダルを期待されていたが、
上村愛子の滑りは、世界でもトップ級の技術を見せながら、
無念の4位でメダルに届かなかった。
試合後
なんでこんなに一段一段なんだろう、どうやったら、オリンピックの表彰台に
上がれるのかな、本当に運命のイタズラか、メダルにはわずか無念の0.75秒
最後に滑った、ハンナカニー選手が優勝した途端にメダルを逃しこの瞬間まで
3位でもいいからメダルが欲しいなって、気持ちは少しあった、今回もメダルに
届かなかったけど、自分の中では残念ではあったが、自分としてはしっかりと
満足したよい滑りができた、しかし、ちょっと悔しいですけどねと言いいいながら、
みんなが良く頑張ったというか、いい滑りだったと言ってくれるのが、
すごくうれしいと語った。
上村愛子さん、まだまだ若い、次の2014のソチに挑戦して,今度こそ一気に
金メダルを目指してほしい。 愛ちゃん、ガンバッテ期待している。
上村愛子オフィシャルブログより
どうして、こんなにも沢山の人が私を支えてくれるのに、
なんで、結果は残せないんだろう。
メダルはいつもちょっとのところで届かない。
昨日の夜はいろんな事を考え、眠れませんでした。
オリンピックでのメダルを夢見て ずっと戦い続けてきました。
成功したときの喜び 失敗したときの悔しさ悲しさ
心が折れるとき また立ち向かうときいろんな自分自身と向き合い
スキーの技術の成長と同じように自分自身を成長させることができました。
オリンピックのメダルをとることは 自分自身に課せていた責任でした。
周りの方からの大きな支援とご協力。それにお返しが出来るのは、
やはり結果が全てだといまもそうおもいます。
大きな、プロジェクトを最後は自分の手で失敗に終わらせてしまいました。
ものすごくつらかったです。
私を支えてくださったみなさんは最高にプロフェッショナルな人たち。
最高の環境で、最高のみんなに囲まれてスタートからゴールまで
悔やまれる失敗をせずに滑り切れたことは本当に幸せでした!
私には、おおきなプロジェクトを大成功に収める力は少し足りなかったけれど
その為の準備は万全だったし、私たちの技術が世界一なんだ!
と胸を張って滑ったことはたしかです。
あのターンを日本に教えてくれたヤンネさんに心から感謝します。
自分を支えてくださった、全ての皆様に心から感謝します。
昨日は、最高に楽しかったです!最高の舞台で、自分の技術に自信を持って
いいスタートをきり、私らしく滑り切ってゴールができて、本当に幸せでした!
皆様、本当にありがとうございました。
皆様のご理解とご協力とご支援に心から感謝します。
愛子
冬季オリンピック 4度目の挑戦
長野から母とのメダルを追い続けた12年間




1979年12月9日兵庫県伊丹市生まれ、「先天性心室中隔欠損症」と言う、
心臓病の持病を持ち、2才の時に長野県白馬に移り住んで、アルペンスキーに
夢中になる日々であったが、小学校での陰湿ないじめで、スキー部を辞め
中学2年の冬、知人のいるバンクーバー近郊にひとり旅し、そこで観戦したのが
モーグル競技にのめり込んでいったことが、少女の人生を変えた。
そのご、わずか4年後、高校3年になった愛子は、1998年の長野オリンピックの
舞台に立ったこの長野大会では7位 2002年ソレトレークシティー大会では6位
2006年トリノ大会では5位
その後、2007-2008シーズン、怒涛のW杯5連勝で日本モーグル界初となる
種目別年間優勝を達成。
2008-2009世界選手権大会シングルレース、デュアルレースの二冠を
達成するなど、2010年バンクーバーオリンピックでの悲願達成を目指し、
進化を続けて 冬季このカナダ・バンクーバ冬季五輪フリースタイルスキー
女子モーグルの大会に、4度目に挑戦メダルを期待されていたが、
上村愛子の滑りは、世界でもトップ級の技術を見せながら、
無念の4位でメダルに届かなかった。
試合後
なんでこんなに一段一段なんだろう、どうやったら、オリンピックの表彰台に
上がれるのかな、本当に運命のイタズラか、メダルにはわずか無念の0.75秒
最後に滑った、ハンナカニー選手が優勝した途端にメダルを逃しこの瞬間まで
3位でもいいからメダルが欲しいなって、気持ちは少しあった、今回もメダルに
届かなかったけど、自分の中では残念ではあったが、自分としてはしっかりと
満足したよい滑りができた、しかし、ちょっと悔しいですけどねと言いいいながら、
みんなが良く頑張ったというか、いい滑りだったと言ってくれるのが、
すごくうれしいと語った。
上村愛子さん、まだまだ若い、次の2014のソチに挑戦して,今度こそ一気に
金メダルを目指してほしい。 愛ちゃん、ガンバッテ期待している。
上村愛子オフィシャルブログより
どうして、こんなにも沢山の人が私を支えてくれるのに、
なんで、結果は残せないんだろう。
メダルはいつもちょっとのところで届かない。
昨日の夜はいろんな事を考え、眠れませんでした。
オリンピックでのメダルを夢見て ずっと戦い続けてきました。
成功したときの喜び 失敗したときの悔しさ悲しさ
心が折れるとき また立ち向かうときいろんな自分自身と向き合い
スキーの技術の成長と同じように自分自身を成長させることができました。
オリンピックのメダルをとることは 自分自身に課せていた責任でした。
周りの方からの大きな支援とご協力。それにお返しが出来るのは、
やはり結果が全てだといまもそうおもいます。
大きな、プロジェクトを最後は自分の手で失敗に終わらせてしまいました。
ものすごくつらかったです。
私を支えてくださったみなさんは最高にプロフェッショナルな人たち。
最高の環境で、最高のみんなに囲まれてスタートからゴールまで
悔やまれる失敗をせずに滑り切れたことは本当に幸せでした!
私には、おおきなプロジェクトを大成功に収める力は少し足りなかったけれど
その為の準備は万全だったし、私たちの技術が世界一なんだ!
と胸を張って滑ったことはたしかです。
あのターンを日本に教えてくれたヤンネさんに心から感謝します。
自分を支えてくださった、全ての皆様に心から感謝します。
昨日は、最高に楽しかったです!最高の舞台で、自分の技術に自信を持って
いいスタートをきり、私らしく滑り切ってゴールができて、本当に幸せでした!
皆様、本当にありがとうございました。
皆様のご理解とご協力とご支援に心から感謝します。
愛子
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