徘徊老人のひとりごと

地球上を徘徊する75歳のボケ老人のひとりごと

徘徊老人のひとりごと 「インド夢枕 第11回」(1993年5月30日) 再録9

2021年10月22日 | 南アジア
      「インド夢枕 第11回」  再録9

  久しぶりのインド (2)

  夕方6時、デリーのインディラ・ガンディー国際空港に着いた。予想していたよりも気温が
 高い。例年なら寒いくらいなのに用意したジャンパーが不要なのだ。タクシーで友人宅に向か
 う。至る所、道路を掘り起こしている。その土埃がすごい。友人宅の近所の邸宅も取り壊しの
 さいちゅうだ。だいたいがレンガを中心にしたコンクリートの建物だから、壊すときもレンガ
 を打ち砕くのでその埃が乾燥した空に舞う。それと自動車の排気ガスがあいまって鼻の中が
 真っ黒になる。友人宅に着くとすぐに顔を洗うことにする。友人の家は三世代18人位が一軒
 の家に暮らしている典型的はインド的大家族だ。18人位とあいまいに書くのは、いつも親戚
 が遊びに来ていたり、兄弟のだれかが出張で出かけていたりして常に人数が変わるからである。
 かく言う僕も家族の一員のような顔をして三階の書斎を自分の部屋にしてしまうのである。
 そんな僕が数年ぶりで来るというので孫の所に遊びに行っていた数人も帰って来て僕を迎えて
 くれた。ありがたいことだ。
 数年ぶりで会う子供達は皆青年になり大学に通うようになっていた。今回の滞在は5日間だけ
 なので夕食は家で取ることと釘を刺される。休養に来たはずがいつも走る回ることになるので
 みんなが家に居ろと言う。それでも本を買いに出かけたり、知人にばったり出会ったり、床屋に
 行ったり(日本では散髪代金が高いのでカミさんに切ってもらう。だからインドに来ると床屋に
 行くことにしている)、義理で知人の家に行ったり、と忙しい毎日で、出歩く度に鼻の穴が真っ
 黒になり、目やにも黒く、咳も出る。公害のひどさには閉口してしまう。ついには「まいった!
 デリーは公害都市だ」と文句を言う。インド人の友人はすかさず「お前のおかげでデリーが公害
 都市になってしまったんだ」と切り返す。「おまえ」つまり僕の名前は「スズキ」であり、
 今、デリーで爆発的に売れている自動車が鈴木自動車との合弁会社の「マルティ・スズキ」とい
 う小型乗用車なのである。排気ガス規制にマッチした車なのだが公害をまき散らさないガソリン
 よりも安くて走行距離の稼げるガソリンの方がいいと思っている人の方が多い。かくして「マル
 ティ・スズキ」の小型乗用車は安いガソリンでデリーの街を排気ガスをまき散らしながら走りま
 わるということになる。車の絶対量が急激に増えているのだ。オールド・デリーのダリヤガンジ
 地区などはバス、車、オートバイが相変わらずひしめき合い、昔のように野良牛が道路にのんび
 りと寝そべることもできないし、人間が道を横断することさえ難しいくらいだ。そして排気ガ
 ス。もう二度と冬のデリーには来るまいと思うほどだ。
  各地で頻繁に起きている宗教対立も個々人の意見では衝突はよくないと言うが集団心理の恐ろ
 しさ、その恐ろしさを知っているためテレビではこの宗教対立の模様を流さない。アヨーディヤ
 襲撃の映像は僕らは日本でテレビニュースで観たがインドでは流されなかったと言う。
 そう言えば「おしん」の放映がデリーでも始まった。英語の吹き替えなので、あまりピンとこな
 いがどのような反応か今後が楽しみだ。デリーの街は郊外も急激な勢いで宅地化が進んでいる。
 その最たるものはネルー大学裏の荒涼とした岩だらけの原を宅地に開発していることだ。ヴァサ
 ント・クンジュ地区というのだが宅地造成がまだ終わっていない所もあり大変な土埃だ。
 「ああ、やだやだ」と思いながらも義理を果たすために友人の家に。もう明日はロンドン発デリ
 ー経由ボンベイ行の飛行機に乗らなければならない。みんなになんで早く日本に帰るのかと文句
 を言われながらデリーの街を走りまわる。翌朝。11時の飛行機に乗るため空港へ。なんと飛行
 機はロンドンを発っていないという。こちらは明後日の飛行機で日本に帰らなければならない。
 どうしてくれるんだと係員に抗議すると今夜のモスクワ発デリー経由ボンベイ行の予約を取って
 あるので大丈夫と。「ノープロブレム」と言って友人宅までのタクシー代をくれた。また友人宅
 に逆戻りで、みんなに日本に帰るのを諦めたのかと冗談を言われる。夜まで友人宅で時間を
 潰し、今度こそはと空港へ。12時間遅れの別便も結局は午前3時まで遅れたのであった。
 飛行機はロシアの飛行機(後日、デリーで着陸に失敗したのと同じ型の飛行機)で心許なかった
 がなんとか早朝のボンベイに到着。そして12時間後のキャッセイ機で日本に。
 なにがなんだかわからないうちに10日間のインド旅行が終わったのであった。

 ※ 情報誌『Suparivaram』No.16  1993年5月30日発行
   (発行所:JAYMAL)
   情報誌には『インド夢枕 第9回』と記したが第11回に改めた。
 
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