徘徊老人のひとりごと

地球上を徘徊する75歳のボケ老人のひとりごと

徘徊老人のひとりごと 「インド夢枕 第10回」(1993年) 再録8

2021年10月21日 | 南アジア
        「インド 夢枕」 第10回    再録8

  久しぶりのインド (1)

  僕は5年間はインドに行かないことに決めていたのだが、昨年ころから何となくまたインドに
 行きたいという気持ちが募ってきた。
 サラリーマン生活で、それも、その生活が長くなると、世間一般の長期有給休暇などは取れそう
 にもない。せいぜい、夏季休暇か年末年始休暇に合わせて取るしかない。
 「そんなにインドに行きたいのなら行ってもいいわよ」と妻もあきらめ顔で同意してくれた。
 夏季休暇に合わせたインド旅行は飛行機の予約が取れなくて中止になったが、年末年始に
 インドに行こうと格安航空券の申し込みをした。しかし、11月になっても12月なっても
 予約を取れたという連絡がない。成田かシンガポール、シンガポールからデリーなら可能性が
 あるとの連絡に、何でもいいからインドに行く航空便の確保をお願いする。
 しかし、こちらの希望は12月27日出発、1月4日帰国という一番混雑する時期のフライト
 だ。12月中旬になっても連絡がないのであきらめようと思っていたところ、格安航空券を
 扱っている旅行会社から成田・香港・香港・ボンベイの予約が取れたのでそれでもいいですか
 と連絡があった。ボンベイには用はないが二つ返事で予約をしてもらう。
 どうせインドに行くなら、今度は目いっぱい贅沢しようと国際電話でボンベイのシェラトン・
 ホテルを予約する。4年ぶりのインドだ。どんなに変わっているか?変化しないのがインド
 なのか?ボンベイとデリーしか行かないのに胸が膨らむ。飛行機も今回はキャッセイだ。
 乗ったことのない飛行機に乗るのは楽しい。どんな美人のスチュワーデスがいるか、親切か、
 乗客の国籍?などなど。少なくともキャッセイのサービスは悪くはないとの情報にうれしくな
 る。しかし、僕は機内では隣の人と話などしない。ただ黙って乗っているのが好きなのだ。
 機内で隣り合わせた人と仲良くなってウトウトしたい時に話しかけられたらたまらない。
 黙っているのに限るのだ。もっとも、隣の人が外国人だったりして英語で話しかけられたら
 たまらない。こちらは英語が話せない弱みがあるのだ。
  出発の日、12月の27日、さぞや成田は混雑していると思ったら思いのほかすいている
 のには驚かされた、キャッセイ機は成田を定刻に出発。隣は香港に買い物ツアーに行くという
 あまり若くはないOL(筆者註:昔は働いている女性をこう言ったものだ)。この二人組も
 ほとんど黙ったままだったのでほっとする。旅は静かにありたいなどと勝手に思う。
 スチュワーデスはインド女性。キビキビとサービスしてくれるので気持ちがいい。定刻通り
 飛行機は香港啓徳空港に到着。インドへは直行便が増えてからは経由や乗り継ぎ便は使って
 いない。だから、香港には数回しか寄ったことがない。昔は免税店ばかりだったが、今では
 大きくな食堂というかカフェ・テラスtか言うものができていて驚いてしまった。
 その横をあたふたと乗り換え用の搭乗口に急ぐ。香港から乗り継ぎのドバイ行の飛行機は
 1時間遅れ。搭乗口には人が溢れ、それもインド人、アラブ人が多いため大きい荷物を
 あちこちに置いている。やっと搭乗開始になり機内に入ると日本人の顔立ちをしたオバサンが
 僕の座席に座って動かない。日本語で「ここは僕の席ですが」と話しかけても全然通じないし
 動じない。スチュワーデスに言って自分の席に連れて行ってもらう。バンコクに行く韓国人の
 団体さんだった。飛行機はバンコクで韓国人団体さんや日本人団体さんを降ろし、
 またバンコクからもインド人、アラブ人が大きな荷物を引きずりながら乗り込んでくる。
 これからインドに向かうんだぞといういつものなぜか訳の分からない気持ちが盛り上がって
 くる。飛行機はベンガル湾を南下しプリーから北上しプネーを左に見ながらボンベイの
 サーフー国際空港に着陸する。いやはや4年ぶりに飛行機に乗るとスクリーンに現在の
 飛行ルートの地図まで出るなんて知らなかった。長旅も飽きないと思っていたが歳のせいか
 疲れを感じる。ボンベイ国際空港からタクシーでホテルまで400ルピー。物価の高騰には
 驚く。日本円に換算すると2千円なのだ。
 翌朝、さっそくジョギングで汗を流し、アラビア海を見ながら豪華な朝食を取り、デリー行の
 飛行機の予約に行く。なんと、国内航空はストで運航便数が極端に少なく、デリー行なら
 2週間先まで無理と言われて青くなってしまった。エア・インディアなら明日の便が空いて
 ますよとのことで、東京行のエア・インディアにする。昨日、東京からやって来て、明日は
 東京行の飛行機に乗るとは不思議な感じだ。でも何はともあれデリーへ行くことはできる
 のだ。デリーからの帰りの便もエア・インディアのロンドン発デリー経由ボンベイ行にする。
 これで安心と午後はホテルのプールでひと泳ぎ。夜は最上階の今流行の回転レストランで
 伊勢海老のワイン煮などの中国料理とビールを飲む。回転レストランはゆっくり回転して
 ボンベイの夜景を楽しませてくれるのだが、時折、ズルッという感じで動くときもあって
 あまり気分がよくない。料理とビールで900ルピー。高級レストランだというのに
 満席だった。貧富の激しさを感じる。高級ホテルの中にいる限り新聞などの報道による
 ヒンドゥーとムスリムの衝突騒ぎなどは別世界のことのようだ。毎日殺戮騒ぎがある。
  翌朝、ジョギングと水泳で汗を流し、午後の東京行の便でデリーへ。
 懐かしいデリーの街は一変していた。

 ※情報誌 『Suparivaram』15号 (発行所:JAYMAL, 1993年)
  情報誌には「インド夢枕 第8回」と書いたが、訂正して第10回とする。
 ※ 昔はキャビン・アテンダントのことをスチュワーデスって言ったんですね~~。
 
 
 
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