九次元霊って、要するに神さまたちなんでしょ。天上界でどんな姿でおられるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
九次元の神々というのは、昔の物語で語られているように、宮殿のなかで、大きな肘掛け椅子を用いて座っており、膝の下までたれる白い衣を着て、王冠をかぶっているのかといえば、決してそうではないのです。
九次元存在とは、やはり、電磁波であり、エネルギー体であり、意識体なのです。そのようにして活躍しています。そして、その意識体の一つにおいて、豆電球を一つつけてみると、その豆電球の形と光でもって、人々に認識されることができるのです。
たとえば、イエスは九次元存在であるといっても、十字架にかかったイエスという、痩せて口髭を生やした髪の長い人物が、九次元で生活をしているわけではありません。イエスの特徴を持った光の塊があるということなのです。そして、必要とあらば、それが地上の人たちを指導したり、八次元以下の霊人たちを指導したりすることになるのです。
ただ、八次元の諸如来、七次元の諸菩薩を指導するために、イエスが現れるときには、生前の姿をとって現れてきます。そのほうがイエスであることを彼らに認識させやすいからです。
といっても、イエスの姿が見えるのは、八次元、七次元、せいぜい六次元ぐらいの人までです。それ以下の世界になると、イエスがイエスの姿をとって現れたとしても、まぶしくて単なる光の塊のように見え、その姿が見えないというのが実情です。ほんとうの姿は分からないのです。
つまり、光の量がそれだけ違うということです。あの世における次元の違いの話をずいぶんしてきましたが、結局、次元が違うと、そこに住んでいる意識体の光の量が違うのです。
光といっても、単純な光ではなく、特色を持った光です。たとえば、黄色の光が束となっている。あるいは、白い色の光、赤い色の光、緑色の光が、それぞれ束となっている。これがほんとうの姿です。
もっとも、黄色、白、赤、緑などという色も、地上的に分かるように語っているだけであって、本来はそうしたものすらないのです。
地上においても、ほんとうは色というものは存在しないのです。つまり、青い色をしているように見えている物は、結局、太陽光線のなかの青の色を反射しているだけなのです。光を全部吸収すると、黒になります。また、光を全部反射すると、白になります。黄色い光を反射すると、黄色になります。
このように、色というものは本来ないのであって、その物質をつくっている粒子が、太陽光線のなかのある色の光を反射すると、その色に見えるということにすぎません。
「本来、色はない」ということは、あかりを消してしまえば何の色も放たないということで分かるはずです。もし色が実在するものであるならば、闇のなかでも、その色を発するはずです。しかし、赤であろうが、白であろうが、黄色であろうが、闇のなかでは色がありません。
結局、そうした色は、その波長の光を反射しているにすぎないのです。したがって、光がないときには色もありません。本来、色はなく、ある波長の光を反射すると、その色に見えるというだけなのです。
(257~261ページ)
九次元存在とは、電磁波であり、エネルギー体であり、意識体である。
その意識体の一つにおいて、豆電球を一つつけてみると、その豆電球の形と光でもって、人々に認識されることができる。
光といっても、単純な光ではなく特色を持った光であり、黄色、白、赤、緑などという色も、地上的に分かるように語っているだけであって、本来はそうしたものすらない──。
うーん、わざわざたとえを使って私たちにもわかりやすく説いて下さっているというのに、それを短く要約してしまおうとすると、逆に分かりにくくなってしまうのは残念です。
これを映像化した世界は、映画『永遠の法』でとても美しく目に見える形で描かれていたと思います。
いずれにしても、今日のところは、九次元世界というのは、なんとなくこんな世界なんだとつかむことができたところで満足することにしたいと私は思っているのです。
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『永遠の法』
大川隆法著
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