1945年の8月15日に終戦をむかえ長きに亘った戦争も終結した。
自分を含み殆どの国民が戦後の世代に移行した時代になった2015年の夏。
戦後70年の日本。
組織的な戦争も終わり、第二次世界大戦が終結した。
その後も世界を見回せば、お隣の朝鮮半島は言うに及ばず、殺戮の紛争が絶えない。
なのに、世界に紛争など無いか如くの平和な日本。
平和の果実と繁栄を謳歌して来た日本人。
自分の人生と重ね合わせると、辛苦を甘受しなければならない世界の人々と比べると幸せこの上ない。
戦後とは言え、多分世の中は貧しく簡単には食料も手にする事が出来ずに居た筈である。
親の温かい庇護の下、決して裕福な今のような社会で無かったが、幼すぎた為かひもじい想いの記憶はない。
戦後の日本人世代は、ひもじい想いもせずに、戦争や紛争の為に生命の危機を感ずることも無く生活してきている。
この地球上に性を受けた人類でひもじい想いをせず、生命の危機を感じる事無しに生活して来た人は一握りだ。
有史以来人類は絶えず飢餓と戦の歴史であった。
人類は人間同士の戦の無い時代は片時もなかった。
英知が発達して文化が進んでもこの事に変わりはない。
21世紀の現在に於いても、食料に窮して紛争により生命の維持すらままならない国民は枚挙にいとまがない。
なのに我ら日本は70年の長きに亘り、自然災害はあれど飢餓にも苛まれず、戦争や紛争にも巻き込まれる事無しに歩んでくることが出来た。
無神論者の自分ですら神に感謝し、次の世代にもこの平和と安寧を願ってやまない。
自分の成長と共に社会全体が裕福になる右肩上がりの世に育まれた自分たち。
終戦の記念の日にこの幸せを感じずにはいられない。
平和は政治に依って大きく左右される事象である。
自分達が謳歌して来たこの幸せを次の世代に繋いでいく責任があると感じる一日だった。
窓の外ではミンミンゼミが鳴いている。
一匹だから蝉しぐれと言う程五月蠅くはないが、一匹でも結構うるさく特徴のある声である。
幸せな日本、幸せな世界を考える貴重の一日。
自分を含み殆どの国民が戦後の世代に移行した時代になった2015年の夏。
戦後70年の日本。
組織的な戦争も終わり、第二次世界大戦が終結した。
その後も世界を見回せば、お隣の朝鮮半島は言うに及ばず、殺戮の紛争が絶えない。
なのに、世界に紛争など無いか如くの平和な日本。
平和の果実と繁栄を謳歌して来た日本人。
自分の人生と重ね合わせると、辛苦を甘受しなければならない世界の人々と比べると幸せこの上ない。
戦後とは言え、多分世の中は貧しく簡単には食料も手にする事が出来ずに居た筈である。
親の温かい庇護の下、決して裕福な今のような社会で無かったが、幼すぎた為かひもじい想いの記憶はない。
戦後の日本人世代は、ひもじい想いもせずに、戦争や紛争の為に生命の危機を感ずることも無く生活してきている。
この地球上に性を受けた人類でひもじい想いをせず、生命の危機を感じる事無しに生活して来た人は一握りだ。
有史以来人類は絶えず飢餓と戦の歴史であった。
人類は人間同士の戦の無い時代は片時もなかった。
英知が発達して文化が進んでもこの事に変わりはない。
21世紀の現在に於いても、食料に窮して紛争により生命の維持すらままならない国民は枚挙にいとまがない。
なのに我ら日本は70年の長きに亘り、自然災害はあれど飢餓にも苛まれず、戦争や紛争にも巻き込まれる事無しに歩んでくることが出来た。
無神論者の自分ですら神に感謝し、次の世代にもこの平和と安寧を願ってやまない。
自分の成長と共に社会全体が裕福になる右肩上がりの世に育まれた自分たち。
終戦の記念の日にこの幸せを感じずにはいられない。
平和は政治に依って大きく左右される事象である。
自分達が謳歌して来たこの幸せを次の世代に繋いでいく責任があると感じる一日だった。
窓の外ではミンミンゼミが鳴いている。
一匹だから蝉しぐれと言う程五月蠅くはないが、一匹でも結構うるさく特徴のある声である。
幸せな日本、幸せな世界を考える貴重の一日。
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