週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

§ 平和の祈り

2009年03月04日 00時00分01秒 | たわごと(少し硬派に振って)
パンダさんのブログ『パンダの気持ち』で知った「平和の祈り」。
勿論、たわごとではありません。

この平和の祈りを読んで未だ纏まりがありませんが自分が感じたことを。

アッシジの聖フランチェスコ

ああ主よ、
わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。
争いのあるところにゆるしを、分裂のあるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りのあるところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
悲しみのあるところに喜びを、
闇のあるところに光をもたらすことができますように。
ああ主よ、わたしに、
慰められるよりも、慰めることを、
理解されるよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを求めさせてください。
わたしたちは与えるので受け、
ゆるすのでゆるされ、
自分自身を捨てることによって、
永遠の命に生きるからです。


反語的ではあるが、「平和」と声を大にして叫ばなければ手にする事が出来ない平和。
平和を手に入れる事も、平和を維持していく事もそれほどまでに大変な事である。

心の平和 と 身体的平和

 ○ 愛と裏腹の戦い。
愛には排他的な側面は本来持ち合わせていない筈が、歪んだ愛が排他的な側面を持つ事に繋がり易い。
個人個人でいさかいが発生すれば喧嘩である。
個人の喧嘩であるれば相手を負かすべく努力する。
身近な所では、兄弟喧嘩であろうか。
兄であれ、弟であれ、姉であれ、妹であれ、自分以外の兄弟に負けたくないのである。
即ちそこに存在するのは、誰しも自分自身が一番大切である。
自己愛なのか。


 ○ 家族間のいさかいであれば自分の所属する家族を応援する。
いさかいは無いにしても、スポーツ対抗など自分の家族の勝利をねがう。
兄弟喧嘩していた兄も弟も一致団結して他家と戦う。
家族愛なのか。



 ○ 都市間でも自分の所属する所を応援する郷土愛。
高校野球など自分の所属する都道府県を応援する。
排他的に他の都道府県を打ち負かす事を願う。


 ○ 国家間の対立になれば戦争である。
国を守り、地域を守り、家族を守る為に戦うわけである。
今まで国内部で抗争を繰り返していた組織間にあっても協力し合い、自国の敵に戦火を交える。
独裁者が自分の地位などが危うくなるとよく使う手法である。
自国の外に敵を作る事により、国が一つに纏まる。
自国での地位が危うくなると自国外に敵を作り戦争の脅威を煽ることにより団結して忠誠心を引き出す。
実際に煽るだけで済まず、隣国と戦火を交える事態になる。

個人から国家間の戦争へと拡大してきたが、何時も自己が存在する組織・国家などが忠節の対象である。
だとすると、国家間の戦争ないし紛争を無くす為には地球外からの敵を作らねば人類は、内部間での殺戮たる戦争を止める事がないのであろうか。



反対に、国外の敵が消滅した時は、団結が崩れて内部抗争・紛争即ち内戦が始る。
東欧の多民族国家も外部に仮想敵国が存在した時は、民族の違いを超えて団結していた。
其れが、冷戦が終結してソビエト連邦の崩壊により、外部からの危険が減少した事で、内部での異民族間の殺戮の始まりである。
かっての、ユーゴスラビアなどが良い例である。
五の民族、4の言語、3の宗教、2の文化と云われて一つに纏まっていた国が、強力な指導者が無くなり、外のタガが緩んだだけで、民族浄化をするが如くの殺戮戦争の勃発である。
人間の所業とは思えない戦争犯罪の数々である。
NOTO軍などの兵力や国連などの兵力により和平が保たれているにすぎない状況である。

聖フランチェスコが説く宗教者たる非暴力の考えは重要である。
この考えが通じる世界であって欲しいと願わずにはいられない。

もし、最後まで読まれた方はご苦労様です。
まだ思考途中のまとまりの無い内容の為さぞかし苦労された事と思います。

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2 コメント

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恐縮します。 (パンダ)
2009-03-04 18:13:12
私は、クリスチャンではありませんが、14才の時に教会で1枚のはがきを頂きました。それに書かれていたのが「平和の祈り」でした。
最初に言葉だけに感動したのを、今もわすれません。
「わたしをあなたの平和の道具にしてください。」
心に届いたのは、この言葉です。
原村さん、なんか・・ありがとうございます。
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平和の祈り (原村)
2009-03-04 21:22:10
こんばんは、パンダさん。

パンダさんのブログを通じて、この「平和の祈り」を知りました。
宗教人としての尊厳などを感じます。
平和とは永遠の命題でしょうか。

個人の戦いと言う側面からすると、進歩や進化まで関係すると思いました。
生きるもの全て、競争し適者生存の法則に従っているのでしょうか。

戦後生誕した世代は凄く恵まれた時代を歩んでいると感謝です。

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