のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

RENT / 2005年アメリカ

2006年06月12日 23時02分17秒 | 映画鑑賞
■ストーリ
 家賃(RENT)さえも払えない貧しい生活の中、
 ドラッグやエイズといった様々な問題に直面しながらも
 夢に向かって生きるアーティストの卵たちの姿を綴る。
 1989年、ニューヨークのイースト・ヴィレッジ。
 人気バンドで活躍していたロジャーは、恋人がエイズを苦に
 自殺して以来、作曲ができなくなっていた。ルームメイトの
 マークはドキュメンタリー作家を目指している。
 そこへやってきたのは、かつてふたりと共に暮らしていた
 ベニー。金持ちの娘と結婚したベニーは、この付近の土地の
 所有者となり、彼らに立ち退きを迫るようになっていた。

■感想 ☆☆☆☆☆
 ミュージカルを見るたびに歌の力のすごさ、人の声が持つ
 強さに圧倒される。歌うとき、人は自然と声を張り上げる。
 感情をこめる。時に歌は言葉以上のものを伝える。

 この作品はそういった歌の特性を活用できていて
 ミュージカルだからこそここまでのチカラを持ったのだと思う。
 見る人を圧倒するのだと思う。
 それぐらい人のエネルギーに圧倒された作品だった。

 1989年。つまり今から17年前のアメリカ。
 私がエイズの存在をニュースで初めて知ったのは
 小学校一年のとき。と、考えると、エイズが発見されて
 急速に患者が増えていた頃。そしてエイズに対する偏見が
 今以上にひどかった頃。薬物中毒やエイズや三角関係や
 同性愛など様々な問題を抱え、それでも夢や希望を手放せずに
 いる若者たちを丁寧に描いている。

 確かに描かれている問題も、それらを取り巻く環境も
 「時代」を感じさせるものではある。
 けれども、そういった事態に直面したときの人々の感情の揺れや
 明日に対する希望、葛藤は時代を超えて普遍だと思った。

 もっとも、共感できないところも多数ある。
 そもそもエイズになったきっかけもほとんどが薬物中毒による
 注射の使いまわしだし、夢も大切だけれども、それよりもっと
 「生きること」「生活していくこと」が大切なのでは?と
 現実的な私は思う。夢のために現実を犠牲にしてはいけないと
 思うのだ。

 けれども、そこまでして譲れないものを持っている彼らを
 うらやましく思うし、「死」と隣り合わせになることで
 「生」の美しさを「知る」とか「理解する」とか薄っぺらい
 ものではなく、体全体で体感できている彼らはある意味
 幸せなのかもしれない、それが彼らにとっての「生きること」
 なのかもしれない、とも思う。

 それでもやはり思うのだ。
 「未来はない  過去もない
  あるのは今日だけ 今日という日があるだけ」
 この考え方は寂しすぎる。
 今日は昨日の上に成り立っていて、明日は今日の延長線上にある。
 だから、今日、自分が悲しい思いをしているのは
 昨日の私のせいだし、明日、私が笑っていられるように
 今日の私は精一杯生きなければいけない、と。
 それは、明日、死ぬかもしれない人も同じなのだと思う。
 「今」を楽しむことは大切だけれど、どんなに短くても
 明日を見つめること、過去に感謝することも忘れてはいけない。

 そんなふうに共感できるところ、共感できないところと
 別れたものの、最初から最後まで堪能した。
 とにかく出演者の歌唱力には感動。
 久々にサントラを購入いたしました。
 他にもまだ欲しいサントラはたまってるのに。

 けれど、買ってよかったな、と聴きながら思ってます。 

オカメインコに雨坊主/芦原すなお

2006年06月12日 22時35分00秒 | 読書歴
■ストーリ
 妻を亡くした絵描きさんが、偶然辿りついた村。ちょっぴり怖くて、
 あたたかい。見知らぬ人が懐かしい。
 そこは生者と死者がめぐり逢う場所だった。静かな時の流れが
 心を癒す掌篇小説集。

■感想 ☆☆☆☆☆
 表紙の絵のやわらかさ、桃色の優しさに心惹かれて手に取った一冊。
 表紙だけでなく、小説自体も柔らかく優しく、まるで春の靄に
 包まれているような印象を受けた。
 登場人物の声や川のせせらぎ、柔らかく降る雨の音などが
 実際に聞こえてくるような幸福な瞬間を何度も味わえた。

 時代設定も村の場所もすべて特定されていないものの、
 おそらく今よりもう少し前。まだ戦争のことが「過去」ではなく、
 少し前の痛みとして残っている時代。
 「村」という言葉がぴったりのまだまだのどかな場所に迷い込んだ
 画家はそこで様々な人に、動物に、そして人でも動物でもない
 「何か」に出会い、この世の神秘について思いを馳せる。
 静かに季節が変わり、人工的なものなどどこにも見えない空間の中では
 「神秘」や「不思議」や「動物との意思疎通」がごくごく
 当たり前に行われ、そのことに何の違和感も抱かせない。
 「不思議な出来事」や「懐かしい風景」に、時にぎゅっと胸を掴まれ
 穏やかに暮らす人々との会話に、画家だけではなく読んでいる私までが
 ふと人生について思いを馳せてしまう。
 その「日常の中でふと非日常なことに想いを馳せる時間」がもたらす
 幸福を存分に味わえる。

 登場人物たちの会話は日常生活のごくごく普通の会話にも関わらず、
 ユーモアと示唆に富んでおり、私たちを楽しませ、
 そして考えさせてくれる。
 特に英語教師ノートンとの会話は印象的だ。
 この世に存在している「魂」の神秘について。
 「死ぬ」ことは哀しいことなのか。
 死んだ人の魂は「消失」することはなく、
 自分たちを見守っていてくれると「分かっている」にも関わらず、
 なぜ自分はこんなにも別れが悲しいのか。
 
 宗教がかってはいるものの、易しくたどたどしい日本語で
 繰り広げられる彼の考えは深く私の胸に染みこんできた。

 帯の言葉は「命の源を知ればさみしくなんかないんだよ」。

 時間が「残された人」を癒してくれる。
 けれども、命について、死について思いをはせることによって
 悲しみを風化させるのではなく、乗り越えること、
 自分を納得させることも必要なのだと思う。
 「残された人」は死んだ人を忘れるのではなく
 死んだ人の思い出とともに生きていくのだ。
 そういう天寿を全うした「死」に対して、肯定的な
 捉え方が優しく伝わってきた。

 そして、小学生らしくない言葉遣いのチサノ。
 彼女の繰り広げる人生訓のような言葉の数々には
 くすりと笑わされ、なんとなしに愉快な気持ちになる。
 そして、同時に屁理屈を思う存分こねることができた
 ちびっこ時代の幸福やとてつもなく長かった一日の終わりの
 夕暮れの郷愁を思い出してセンチメンタルな気持ちになる。

 最後の1ページを読み終えるのがこんなにも寂しい小説に
 久々に出会えた。