goo blog サービス終了のお知らせ 

ロッコさんの散歩

街を歩く。近くの山に登る。店に入って安くておいしいものを食べる。掘り出し物を見つける。それが散歩の醍醐味。

フリーソロ

2019年09月12日 | 映画

アメリカのクライマー、アレックス・オノルドがヨセミテの高さ約1000Mの垂壁エル・キャピタンを一切の道具を使わずフリーソロ、つまり単独で素手だけで上るドキュメンタリー映画。

以前にやはりヨセミテのハーフドームを上る映画を観た時は登る映像だけだったのだが、今回は私生活から登るまでの準備、撮影隊の様子なども詳しく描かれている。その時はどうやって撮っているのか不思議だったが今回はそれもよくわかった。

何回もロープを使った下見をしたうえとはいえ、誰もなしえたことのないフリーソロでの登攀は失敗すれば死は必至。無謀なことは本人が一番わかっているはずだがそれでもどうしてもしたい、しなくては気が済まない。常人の理解を越えてしまっている行動をガールフレンドを含め誰も止めることはできない。

準備が終わっていちど上りかけるがその時は途中で止めてしまう。そして再度の挑戦。滑り止めのチョークをいれた小さなバッグだけを腰に着け、ヘルメットさえ着けず(着けても無駄だけど)上っていく。成功したことは分かったうえで観ているのだがそれでもハラハラしてしまう。撮影隊の人でさえ、怖くて見ていられないと途中で目を背けてしまうほどだ。上り始めから4時間弱、生きて頂上に立つ。

これまで世界中の岩壁で道具を使い、ロープで確保した登攀でも亡くなったクライマーは数知れず。そんな人が天国から見ていたら「何してくれてんねん」「こっちへきたらあかんで」と声をかけたくなったのではないだろうか。

今回の成功で彼はやり切った感を得られたのだろうか。肉体的にもう無理と納得するまで命懸けの挑戦は続くのか、それとも守りに入った人生を送るのか。周囲は皆、もうやめておいたらと思いつつ、また新しい挑戦を見てみたいと心のどこかで無責任に期待しているところがあったりして。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新聞記者

2019年07月18日 | 映画

内閣情報調査室の内幕に迫るちょっと硬派の作品「新聞記者」。

大学の新設を巡る隠された真実を追う新聞記者と情報調査室に出向している外務官僚の2人の協力で驚愕の事実が暴かれる話だが背景としてメディアの内幕、官僚の良心の葛藤などが描かれる。

大学新設というとこの何年かの政府と官僚の実際の出来事を思わせるが、他にも、公文書隠ぺい、改ざんなども散りばめられているのは、原作が菅官房長官に嫌われたあの東京新聞の女性記者なのでなるほどと思わされる。

内調のキャリア官僚が冷徹に言い放つ「日本の民主主義は形だけでいいんだ」という言葉が政治家や官僚の本音だとは思いたくはないが、一連の政府や官僚のやり方からすると案外本音なのではと思えてしまうところが怖い。

外務官僚に扮する松坂桃李が男前なのに、非常にシリアスな演技をしているのが意外だったというと失礼か、ただこの作品に出たことで今後の仕事に影響が出なければいいのだが。

深刻で重い内容の作品を観終わって三宮の地下道を歩いていると最近設置された街角ピアノからショパンの流麗な響きが聞こえてきた。ちょっと見にはサラリーマン風の男性だったが譜面も見ずに弾いていたのでプロの人なのだろうか。かっこいいなぁ。せめて私も「ネコ踏んじゃった」でもいいので全曲弾ければと思うのだった。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バイス

2019年05月02日 | 映画

久しぶりに映画を観た。アメリカのブッシュ(ジュニア)政権時の副大統領ディック・チェイニーの出世物語ともいうべきブラックコメディ「バイス」。

チェイニーという名前は知ってはいても恥ずかしながらこれまでどんなことをしたのか知識も興味もなかったのでかなり衝撃的な内容だった。

大学時代から副大統領になるまでが家族関係までを含めて実写映像も交え詳しく描かれていてアメリカの歴代政権の内幕が語られる。ドラマだが登場人物は当然実名、しかもどこで集めててきたのか、チェイニーはじめブッシュ大統領やパウエル国務長官などもけっこうそっくりさんが演じていてリアル。

特に9.11後のイラクの大量破壊兵器所持を口実にした報復攻撃に至る政権内部の決定プロセスが生々しい。このことがのちのIS誕生につながっているこの報復にはイギリスも日本も同調していたんだから。

国家権力の強大さ、恐ろしさはコメディタッチで描かないと重すぎるということか。笑っている場合ではないと思うが時々クスリと頬が緩んでしまう。

 アメリカ政権内部の暗い部分、数々の横暴、過ちを描けるのは情報公開ができていることでもあり、アメリカのある意味健全性と多様性のいいところなのだろうな。同じような映画、日本では絶対作れないだろうなと思うのだった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クレイジー・フォー・マウンテン

2018年08月15日 | 映画

山の絶景とその山に取り付く人間のドキュメンタリー映画「クレイジー・フォー・マウンテン」を観てきた。

ロッククライミング、スキーなどはもちろん、その他にも自転車、フライングスーツなど、命知らずの映像には驚いたり、呆れたり。それでも山は泰然自若としている。何せ人間とはキャリアが違う。太古の昔からそこにあるのだから「どうぞご勝手に遊びたまえ。ただし命の保証はしないかんね」とでもいっているようだ。

音楽にビバルディの四季の冬が使われていたり、雪山の映像が多く、正気とは思えないようなスリル満点の映像もあって涼しくなること必定。今の猛暑を忘れさせてくれる作品だ。

 

さらにこれも鑑賞

こちらは世界の厳しい現実を切り取った写真ばかりで観ているとつらい。

理不尽に命を奪われる人間の映像、自ら進んで山に命を懸ける人の映像。両方を見るとなんとも複雑な気分にさせられたのだった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

否定と肯定

2017年12月13日 | 映画

久しぶりの映画、「否定と肯定」を観る。法廷劇は結構好きでよく観るが今回はナチスのホローコースト否定論者アーヴィングとユダヤ人女性歴史学者リップシュタットの実際の裁判を元にして作品。

イギリス人歴史家アーヴィングはナチスのホローコーストを否定、強制収容所のガス室などなかったと主張。それに対して「ホローコーストの真実」という著書で真っ向から反論したリップシュタットはアーヴィングから名誉棄損で訴えられる。裁判はイギリスの王立裁判所で行われそこでは訴えられた方が証明しなければならないことになっている。

そこでリップシュタット側には優秀な弁護団が結成され、アウシュビッツでの実地検証を経て、緻密な弁護作戦が練られる。ともすると感情的になりやすい被告本人やユダヤ人生存者などの証言はあえて避け、弁護士のみが発言する異例の裁判となる。その過程でアーヴィングのユダヤ人や女性に対する差別主義があぶり出され、結果は被告側の勝利となる。歴史的事実を否定しても自分の主義主張を曲げない人に対しては冷静、緻密な事実の積み上げで論破するしかないという当たり前のの結果だった。

アーヴィングの主張は実際に犠牲になったユダヤ人にしてみたらとんでもない主張でその怒りは当然だが、イスラエル建国以来の中東での紛争で、アメリカをバックにしたイスラエルのやり方もなんだかなぁと思ってしまう。エルサレムを首都に認定したアメリカもこれからどうするつもりやら。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣

2017年07月28日 | 映画

クラシックバレエは美しく優雅だが、踊るダンサーたちは男女とも鍛え上げた究極の細マッチョ。そのなかでもひときわ目立つウクライナ出身のセルゲイ・ポルーニンの記録映画。

19歳で英国ロイヤル・バレエ団のプリンシパルに昇りつめるが、彼はその地位を2年で捨てて退団してしまう。そんな天才の苦悩が描かれる。

名門バレエ団のなかでも彼はクスリをやったり、体のあちこちに入れ墨を入れたりする異端児。保守的なバレエ団が息苦しかったのかさっさと退団し、バレエを止めてしまうことを考える。そんな彼が引退を意識して踊る"Take me to church"にはいろいろな思いが詰まっていて感動的だ。白タイツの王子様ではなく、入れ墨も隠さず穴の開いたタイツで踊る姿はありのままの自分を観てほしいといっているかのようだ。

幼いころからその世界しか知らず、文字通り血のにじむような努力をして頂点を極めた者がある日突然その人生に疑問を感じてしまう。天才には天才の悩みがあるのだ。最近話題の将棋少年、大丈夫かな。

観終わって外へ出ると自分も背筋を伸ばして思わずクルクル回ってジャンプできるような気分になるのだった。

神戸市の新作マンホール発見

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ターシャ・テューダ 静かな水の物語

2017年04月17日 | 映画

アメリカの絵本作家ターシャ・テューのアメリカバーモント州の自宅での生活を撮ったドキュメンタリー映画。バーモントの美しい四季と彼女の作り上げた美しい庭の映像はさながら楽園のようだ。しかし彼女の語る人生はなかなかハードだ。

結婚して4人の子供と、優しいが生活力のない夫の面倒を見つつ、農場の経営、絵本の執筆、様々な手仕事をこなしてきたというのだからそのバイタリティーたるや、ただものではない。

後年はバーモントに家を建て、美しい庭を作り、亡くなる直前まで様々な手仕事を楽しみ、スローライフとシンプルライフの手本のような人生を過ごして92歳で亡くなったがその丁寧で静謐な生き方は今も多くの人を惹きつけている。人生を楽しむ術を心得た達人の語ることばは単純だがその通りに生きるのはなかなか難しい。心の持ちようだけではなかなかそうもいかない。それ相当の努力もいるのだろうな・・・。

自分にはできそうにない厳しい山行をする人にも憧れるが、日々の端正な生活を実践できる人もうらやましい。せっかちで雑な自分にとっては永遠の理想だ。せめて、いつもはマグカップにティーバッグで飲んでいるお茶をたまにはポットとティーカップで淹れてみるか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MERU/メルー

2017年01月02日 | 映画

インドの6500M峰メルーのシャークスフィンと呼ばれる壁を登る3人の男たちの物語。といっても俳優によって演じられるのではなく実際の記録映画である。それだけに映像には迫力がある。

さらには、1回目の挑戦に敗れて2回目に挑戦する間のドラマがすごい。雪崩に巻き込まれて無傷で生還する者あり、頭蓋骨骨折、頸椎損傷の瀕死の状態からすさまじいリハビリで半年後に再挑戦に復帰する者ありといろいろのドラマがある。せっかく助かった命をまた賭けようとするのだからロッククライマーという人種は本当に業が深く、全面的に共感するのは無理だが、少なくともその映像は魅力的だ。

人の命はあっけないほどはかない場合もあるが、恐ろしく強靭でしぶといこともあるのだとつくづく思ってしまう。

ただもし日常的に命の危機にさらされているような紛争地域の人たちがこの映像を観たら、ただただ「登りたい」ということのために命をやりとりするというのはものすごく贅沢なことと受け止められるのではないかとふと考えてしまうのだった。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イングリッド・バーグマン~愛に生きた女優~

2016年10月18日 | 映画

若いころ名画座(今や絶滅危惧種!)でよく観たイングリッド・バーグマン、その生涯を本人が撮った16ミリフィルム、残した手紙、日記をもとに彼女の4人の子供たちが母を語るドキュメンタリー映画。今でいう不倫事件でずいぶん非難された時期もあったが、3度結婚し、できた4人の子供たちが皆母親を慕い懐かしく語っている。

彼女自身が映像を撮ることが好きでたくさんのホームムービーを残していたので、最近よくテレビで観られる陳腐な再現ドラマとは別物の貴重なプライベートフィルムで彼女の人生を辿ることができて興味深かかった。

同時代のハリウッド映画の女優のなかでは、肉感的な雰囲気はなく理知的な美しさとたくましくかわいらしさも備えた、私の好きな女優の一人だった。それらはプライベートな生き方にも通じるものだった気がする。

亡くなったのが67歳だったそうでいかにも早い。物持ちのいい人だったらしく、たびたびの引っ越しにも関わらずフィルム、日記、手紙など多くのものも捨てずに残していたとのこと。そのことが今回の記録映画に繋がったのだから捨てないことにも大いに価値がある。

しかし残して価値のあるものならいいが、膨大なガラクタが捨てられない私は真剣にその処分を考えなくてはと頭が痛くなるのだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パコ・デ・ルシア

2016年10月03日 | 映画

フラメンコギターのパコ・デ・ルシアのドキュメンタリー映画があると知って観に行った。昔時々聴いていたが最近は聴いていなかったので懐かしかった。

パコの息子が撮った映画は、その生い立ちから亡くなる(亡くなっていたんだ!知らなかった)までを本人、共演者へのインタビュー、演奏で描いていたがなんといってもやはりそのギターのテクニックがすごい。

父親がフラメンコギター奏者で兄に教えるのを見よう見まねで覚えたらしい。楽譜は読めなかったが持って生まれた才能とものすごい練習の賜物の文句なしの天才だ。楽譜が読めない名手は他にもいるので、楽譜にとらわれず自分の感性が活かせるという点では決してマイナス要素にはならないのかもしれない。

右手と左手のどちらが重要かという問いに「左手の方は頭を使うが右手は動かしているだけ」と答えているがその動かし方が半端じゃない。「観客の反応よりむしろ自分が演奏を楽しめたかが大事」みたいなことも語っている。

始まりはフラメンコギターだったが、次第にジャズなど違うジャンルの奏者とも共演し、演奏の幅も広がっていき、フラメンコギター界からは異端視されていた時期もあったようだ。溢れる才能が狭い世界には収まらなかったのは、聴く方にとっては幸運だった。

家に帰ってから改めて昔のCDを聴いてみたがやはりすごかった!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポイント募金はこちら