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ロッコさんの散歩

街を歩く。近くの山に登る。店に入って安くておいしいものを食べる。掘り出し物を見つける。それが散歩の醍醐味。

土を喰らう十二ヶ月

2022年11月14日 | 映画

久しぶりに映画を観る。水上勉のエッセイを映画化した作品。

スマホもパソコンも無縁のアナログ生活のなか主人公は自ら作った野菜や山から採ってきた山菜などで季節ごとに精進料理を作り、時には人に振る舞ったりもしながら作家生活を送る。主に白馬山麓でのロケらしいが、描かれる季節ごとの風景が美しい。

作家を演じるのはかってのアイドル、ジュリーこと沢田研二。ジュリーがアイドルらしからぬ武骨な手で芋を洗い、ゴマを摺り、梅干し、白菜を漬けるのである。

作られる料理はあの一汁一菜を唱える土井善晴センセ監修なので間違いなく美味そうだ。手間暇かけた料理はどれも材料は質素だが贅沢な一品ばかりだ。

細かいところでは突っ込みどころ満載だが、大人の心豊かなおとぎ話として楽しんだのだった。飼い犬のサンショもいい味を出していた。

などと、書きつつ原作はどんなものかと読み始めたらけっこうリアルで映画以上に楽しめそうだ。奥付を見ると初版は昭和57年だが、その後も版を重ね今年の時点で37刷とある。時代は流れてもこういう生活に憧れる人が結構いるということか。

若いころ特にジュリーのファンだったわけではないがどうしてもあのジュリーがと思って観、人間は程度の差こそあれ誰でも老いていくのだと感慨にふけってしまった。ふと、20年後のキムタクはどうなっているのかと余計な想像をしてしまうのであった。

 

 

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峠 最後のサムライ

2022年07月11日 | 映画

幕末の長岡藩の家老河井継之助をモデルにした司馬遼太郎の小説を映画化した作品。

越後の長岡藩は官軍と幕府側にのどちらかにもつかない決断をする継之助だか、結局は流れに逆らえず官軍を迎え撃つことになり、大勢の犠牲者を出し、最後は敗走を余儀なくされる。その決断をする継之助の生きざま、死にざまが格調高く描かれるが、今見るとなんだかロシアの侵略に耐えるウクライナのことを思ってしまう。

攻められたらすぐに白旗を揚げて被害を少なくするという選択をしてはいけないのだろうか。そのことで領土を取られ、負けた後の支配者による圧政を考えるとそうもいかないのかもしれないが、日々ウクライナの悲惨な状況を見ていると、何の罪もない子供まで殺されることに大義があるのかとつい思ってしまう。

平時なら一人の人間の命を守るために経済的、時間的に膨大な犠牲を払う場面を多く見るのに、いったん戦時になれば何の配慮もなく簡単に殺されていくのが当然ということに暗澹たる思いがしてくる。

幕末からウクライナまでの間にいやというほど戦争があった。この間に目覚ましい技術の進歩を成し遂げた人間が戦争一つ止められないなんて・・・。

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アルピニスト

2022年07月09日 | 映画

猛暑を忘れられる映画「The Alpinist]を観てきた。

カナダのマーク・アンドレ・ルクレールは、以前観た「フリー・ソロ」のアレックス・オノルドもびっくりの天才クライマー。その彼のドキュメンタリー映画だ。オノルドが主に岩をよじ登るのに対してルクレールは岩、氷、雪のどれへもソロのフリーで登るというのだからあきれるしかない。

彼は少年時代にADSDと診断され学校になじめない。その特性を活かすために母親は自宅での学習を選び、自然の中に連れ出し、彼の素質を活かせるように育てる。そこで彼が夢中になったのがクライミングというわけだ。

命がけのクライミングだが彼には自己顕示欲がなく純粋によじることを楽しむので、撮影スタッフも予定外の行動に振り回されることになる。

岩の隙間に手を入れて素手で登る岩の壁もすごいが、さらにすごいのは途中で靴を替えたり、アックスを素手に変えたりして氷と岩のミックスの壁をよじていく場面だ。写した画像を公開しているのだから落ちないことはわかっているのだがそれでもヒヤヒヤする。

しかし映像を撮っていない終盤、思わぬ結末を迎えることになる

スリルに満ちたクライミング、美しい氷瀑、雪山の映像を冷房の効いた映画館で観れば凍えること必定

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PLAN75

2022年06月25日 | 映画

暗くて気が滅入るだろうなと思いつつ話題の映画「PLAN75」を観に行く。観客は高齢者ばかり、期待通りというか予想通り気が滅入る話だ。75歳になったらいつでも国家が殺して差し上げますよという話だから気も滅入る。

映画の中では、制度を運用するための一連の手続き、処理に係る若者の心の闇が大きいように思える。むしろ殺されていく高齢者が淡々としているようにも見える。

しかし見方を変えて考えてみると、75歳になっていつでも死ねるとなったら開き直って思い切ったことができるような気もしてきた。必ずしも社会のためになることばかりではないだろうけれど。

そのときのためにはせいぜい体も心も鍛えておこう。そのことで残った人生に生きがいを感じ前向きになれるかもしれない。

そんなことでも考えないと救われない。

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山の焚火

2020年12月16日 | 映画

久しぶりに映画を観る。スイス映画「山の焚火」。山といっても登る対象の山ではなくて生活の場としての山である。アルプスの人里離れた山の中腹で牛や豚を飼って暮らしている姉と弟とその両親、祖父母しか出てこない。

耳の聞こえない弟が時折立てる波風以外は自給自足の質素な生活が淡々と描かれ、セリフも少ない。話の展開が想像できてその通りになっていくのだが、終盤に少々驚きの展開があって、そのあとはセリフもなく話が進み、「これで終わりかい」という終わり方をする不思議な映画だった。

淡々と描かれているのだから、このあとどうなるのだろうとリアルに考える必要はなく神話のようにとらえて、観る方も淡々と観ればいいのかもしれない。

ところで焚火の「焚」という字、よくみてみるとそのままの形だと改めて気づいた。子供の頃は焚火は身近な存在だった。熾火にサツマイモを入れ焼き芋にしたのが楽しかったが今はそんな気軽に焚火ができない時代になってしまった。そこで六甲山中に有料の焚火場を作るというのはビジネスにならないかななどと思うのだった。

 

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ジョーンの秘密

2020年08月18日 | 映画

イギリスで核兵器開発の情報を東側のソビエトに提供した実在の女スパイの話がもとになっている「ジョーンの秘密」を観た。

ジョーンはソビエト側からの要求を拒否するが、実際に西側のアメリカが核兵器の製造に成功しそれを日本に使ったことに衝撃を受け、結果的にイギリスを裏切りソビエト側に情報を渡してしまう。

その後時は経ち米ロ以外にも核保有国が増えいくが、彼女が80歳を超えてから突然イギリス政府に逮捕される。彼女のしたことは国家への裏切りとして非難にさらされるが、彼女は自分の行為は平和のための信念に基づいたものだったと語る。

核兵器を東西両陣営で持つことでバランスが保たれ、結果的に日本で使われた後はどこも使うことなかったではないかというのだ。いわゆる核抑止論ということになるのだろうが、複雑な思いがする。

東西陣営がバランスを保つというなら両方が持たないことの方が理にかなっていると思うのだが。すべての国が持たずに均衡を保つというのは理想論にしか過ぎないのか。日本がアメリカの核の傘に下にいることを理由に核兵器禁止条約に署名しようとしないことにも疑問を持ってしまうのだ。

今年の夏もテレビで75年前の敗戦に関する番組があって、そのひとつに広島、長崎への原爆投下に至る日米の歴史上の経過を描いたものがあった。

日本の当時の政府高官がのちにイギリスの放送局のインタビューに「アメリカが原爆の開発に成功したことは知っていたがそんな残虐な兵器を使うとは思わなかった」と答えている。軍部の反対を押し切ってでも政治家が原爆投下に至る前に降伏の決断をしていれば・・・。

また当時核兵器の研究は日本でも行われ、結果的に資力、技術不足で頓挫したという話も出てきた。もし成功していたとすれば日本だって使っていた可能性を否定できないのではないだろうか。そんなことを考えさせられる作品だった。

 

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お名前はアドルフ?

2020年07月22日 | 映画

あまり観る機会のないドイツ語の映画。

大学教授と妻、妻の弟とその恋人、妻の友人の音楽家の5人が大学教授の家で食事を共にする。あとは離れたところに住む妻の母親も少しだけ登場するがほとんどが教授の家での5人の会話で話は進む。

久しぶりに会って最初は和やかに会話が進むが、近々子供が誕生する予定の弟がその名前をアドルフにするといったところから話がややこしくなっていく。アドルフはヒットラーのファーストネームでドイツではやはりかなり抵抗感のある名前のようだ。

会話が進むうちに本題と関係のない家族間の不満や秘密が暴露され、最後には妻の不満が爆発しての大演説。もともとは舞台劇だったらしいが、このご時世、舞台上演はとても無理というぐらい最前列の客には大量の唾液が飛びそうだ。

様々な言語のうち一番唾が飛びそうなのは何語だろう。日本でも岩手県をはじめ、東北地方に新型肺炎の発生数が少ないのは東北弁のような開口度が少ない方言のせいかも、というのは冗談としても、マスクをして大声の会話も控えてなどといわれる昨今、登場人物がこれだけ派手にしゃべりまくる映画は、観終わってなんとなくスカッとしてストレス解消にもなったのだった。

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レイニーデイ・イン・ニューヨーク

2020年07月08日 | 映画

久しぶりにウディ・アレン監督の映画を観る。これまで観たのは中年男女の話が多かったが今回は大学生のカップルが主人公。

2人とも裕福な家庭出身。男はニューヨークっ子でしゃれたホテルやレストラン好きの蘊蓄を語るタイプ、女は映画監督、俳優など有名人に興味津々のいわばミーハー。いつものウディ・アレンの作品のように相変わらず語りでもセリフでもグダグダとよくしゃべる。

いつも通りの男女間のドタバタに少々飽きたころに主人公の男の子の母親の思いがけない衝撃の告白があって、それまで母親に批判的な主人公が少しピリッとして人生を見直そうとするのだからお母さん、すごい!

特にウディ・アレンの映画が好きなわけではないのだが、男女の機微、ドタバタなどが独特のリズムで描かれ、なんとなく安心して観ていられるのでつい観てしまう。日本映画で小津安二郎が醸し出す独特感とはまた違うと思うのだが、どちらも個性的な独特感という点では似ているのかもしれない。

 

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21世紀の資本

2020年06月27日 | 映画

何年か前にフランスの経済学者トマ・ピケティが書いて話題になった「21世紀の資本」。興味はあったものの私の頭では無理かと読まなかったが、今回映画で分かりやすく説明してくれそうだったので観に行った。

これまでの歴史も語られ、何人もの学者が出てきて解説してくれたのはよかったが、それでも途中睡魔に襲われること2度ばかり。

睡魔の間にかろうじてわかったのは資本収益率は経済成長率より大きいということ。不労所得の方が汗水たらして働いた所得より大きいらしい。お金は豊富にあるところにより集まってきて大多数の労働者のところにはやってこないようだ。

ならば富裕層への累進課税を強化すればよさそうだが、その辺りの話は睡魔の間に終わってしまったのかよくわからなかった。

資本主義の国なら富の偏在は当たり前かもしれないが、共産主義や社会主義を標榜している国がそうでないとは決して言えないし、ユートピアでもなさそうだ。

お金があれば幸せかといえばそうとは言えないが、少なくても最低限の衣食住が保証されなければ幸せとは言えない気がする。

だからといって富裕層から累進課税で徴収し、その分ををベーシックインカムとして配分すればいいんじゃないという簡単な話でもなさそうだ。

普段ぼうっと生きているのでたまには回らない頭で考えるきっかけにはなったことはよかったが、頭が痛くなりそうなのでほどほどにしておこう。

下手の考え休むに似たり

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フリーソロ

2019年09月12日 | 映画

アメリカのクライマー、アレックス・オノルドがヨセミテの高さ約1000Mの垂壁エル・キャピタンを一切の道具を使わずフリーソロ、つまり単独で素手だけで上るドキュメンタリー映画。

以前にやはりヨセミテのハーフドームを上る映画を観た時は登る映像だけだったのだが、今回は私生活から登るまでの準備、撮影隊の様子なども詳しく描かれている。その時はどうやって撮っているのか不思議だったが今回はそれもよくわかった。

何回もロープを使った下見をしたうえとはいえ、誰もなしえたことのないフリーソロでの登攀は失敗すれば死は必至。無謀なことは本人が一番わかっているはずだがそれでもどうしてもしたい、しなくては気が済まない。常人の理解を越えてしまっている行動をガールフレンドを含め誰も止めることはできない。

準備が終わっていちど上りかけるがその時は途中で止めてしまう。そして再度の挑戦。滑り止めのチョークをいれた小さなバッグだけを腰に着け、ヘルメットさえ着けず(着けても無駄だけど)上っていく。成功したことは分かったうえで観ているのだがそれでもハラハラしてしまう。撮影隊の人でさえ、怖くて見ていられないと途中で目を背けてしまうほどだ。上り始めから4時間弱、生きて頂上に立つ。

これまで世界中の岩壁で道具を使い、ロープで確保した登攀でも亡くなったクライマーは数知れず。そんな人が天国から見ていたら「何してくれてんねん」「こっちへきたらあかんで」と声をかけたくなったのではないだろうか。

今回の成功で彼はやり切った感を得られたのだろうか。肉体的にもう無理と納得するまで命懸けの挑戦は続くのか、それとも守りに入った人生を送るのか。周囲は皆、もうやめておいたらと思いつつ、また新しい挑戦を見てみたいと心のどこかで無責任に期待しているところがあったりして。

 

 

 

 

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