夢七雑録

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荒川一中前から三ノ輪橋へ

2011-04-02 10:46:04 | 都電荒川線に沿って

 荒川一中の停留所から少し戻って、三ノ輪商店街を歩く。最初のうちは閑散としていて、シャッターの閉まっている店も幾つか見かけるが、そば屋の砂場総本家から先は、活気ある商店街になっている。買い物客の間を抜けて商店街の先を右に折れると三ノ輪橋の停留所に出る。大正2年に三ノ輪線のターミナルとして、三ノ輪の名で開業した停留所である。三ノ輪橋停留所は関東の駅百選に選定されているが、レトロ風に改修されているらしく、趣のある停留所になっている。その積りで見るせいか、停留所だけではなく、電車を待つ人、周囲の家並み、買い物帰りに近くを通る人の何れもが、昭和という時代に連なっているように思えてくる。

 都電荒川線の早稲田から三ノ輪橋まで12.2Km。その沿線を歩いてみると、今や遠くなりかけている昭和という時代を、都電荒川線が、何とか繋ぎとめてきたのではないかという気さえしてくる。もし、都電荒川線が、他の都電の路線と同様に廃止されていたら、その沿線は今どうなっていたのだろうか。


 三ノ輪橋の停留所に別れを告げ、ビルの下の古いアーケードを抜けて、日光街道を渡る。振り返ると、王子電気軌道株式会社が昭和2年に建てた三ノ輪王電ビルが、持主は変わっても、当時の姿を残したまま、そこに建っていた。

 日光街道を歩きJRのガードを潜って、停留所名にもなっている三ノ輪橋の跡を見に行く。石神井川から分流された下郷用水、またの名を音無川と呼ばれていた用水は、飛鳥山に続く台地の下を通り、日暮里から三ノ輪に流れ、山谷堀を経て隅田川に落ちていた。三ノ輪橋は、この用水に架かっていた橋だが、今はこの用水も暗渠化され、三ノ輪橋も消滅している。三ノ輪橋跡の標柱の傍らで、日光街道の車の流れを見ていても、江戸時代の音無川の清流と三ノ輪橋を想像する事は難しい。せめて、山谷堀の方向でも眺めようかと、少し先まで行ってみる。すると、通りの向こうに、空に向かって伸びつつある東京スカイツリーの姿が見えた。

 都電に沿って歩いて、王子を過ぎた頃からは、度々、東京スカイツリーを見かけるようになった。その一方で、早稲田から三ノ輪橋までの間、東京タワーを見た記憶は無い。或いは、見えていても気付かなかったのかも知れない。そして、昭和の時代を繋ぎ留めているように思える都電荒川線の、その終点の果てに、東京スカイツリーはどこか誇らしげに聳えている。東京スカイツリーが、テレビ塔としての主たる役割を引き継いだ、そのあと、昭和の真っただ中にあった東京タワーは、恐らく、その存在感を徐々に失っていくのだろう。昭和という時代の何がしかの輝きを道連れにして。
(完)

 今回の連載にあたっては、次の資料を参考とさせていただきました。
「王電・都電・荒川線」「今日ものんびり都電荒川線」「都電荒川線歴史散歩」「東京都市地図」「明治・大正・昭和東京一万分の一地形図集成」「豊島区地域地図第4集」「豊島郡の村絵図」「江戸情報地図」「文京区史跡散歩」「新宿区史跡散歩」「豊島区史跡散歩」「北区史跡散歩」「荒川区史跡散歩」「旧鎌倉街道探索の旅・中道編」「新版・江戸名所図会」「東京ぶらり暗渠探検」その他の資料。ホームページなど。


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