夢七雑録

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34.石巻から仙台へ

2008-10-03 21:28:29 | 巡見使の旅
(140)享保2年8月18日(1717年9月22日)、雨天。
 この日は門脇に行き日和山に上る。葛西三郎清重の古舘跡といい、山上に愛宕山社、麓には鹿島明神があった。ここから、北上川を船で渡り、湊に出る。このさきは、金花山[金華山]への道となり、渡波、祝田を経て風越峠を越え蛤浜を通って桃の浦で休憩する。そのあと、萩浜、小積浦、小網倉浜を経て、大原に出て泊まる。七里半の行程であった。

(141)同年8月19日、雨天。
 小淵浦を経て石峠に上る。ここから金花山へは、山鳥まで二里行き船で渡ることになるが、無風の時しか渡れないと聞き、金花山行きを断念。峠の上から金花山を望み、案内者から金花山についての説明を聞くにとどめ、石峠から引き返す。この日は大原を経て、石巻に戻って宿泊。行程は九里半である。休憩地は記載が無いが、往路と同じであれば、桃の浦である。ところで、宝暦と天明の巡見使は、石巻から先へは行かなかったが、天明の巡見に随行した古川古松軒は、金花山に至らざること、生涯の残念にてと書き記している。

(142)同年8月20日。
 この日は、涌谷に向う予定であったが、玉造川[江合川]となひれ沼(名鰭沼)が洪水のため、一里半にわたって通行ができなくなり、石巻に逗留することとなった。

(143)同年8月21日。
 この日も通行が出来なかったため、石巻に逗留する。

(144)同年8月22日。
 この日も石巻に逗留となる。

(145)同年8月23日、曇。
 ようやく石巻を出立。蛇田、赤井、須江を経て広淵に出て休憩する。そのあと、大堤という、縦千二百七十間、横千二間の溜池(広淵沼)を見る。そのさき、北では田村将軍の馬立城ありと記し、また、慈覚大師開基の箱泉寺を参詣している。ここから、前谷地、馬場谷地を通る。ここに六郎舘ありと記す。この日の宿泊は涌谷。行程は六里半である。

(146)同年8月24日。
 伊達淡路守の籠城のある涌谷を出て、南小牛田、北浦、鶴𡉻を通り、奥州街道の宿場、古川で休憩。稲葉に歌枕の緒絶橋を見る。また、古川刑部の古舘、青塚左衛門の古舘ありと記す。その先、奥州街道から分かれ、飯川、平柳、上狼塚を経て中新田で泊まる。七里の行程であった。

(147)同年8月25日。
 中新田を出立。四竃、大、大瓜を経て、大衡冶部大輔古館のある大衡を通り、七つ森を見つつ、奥山勘解由陣屋のある吉岡に出る。吉岡で奥州街道を横切り、御所舘のある蒜袋を通り、舞野、北目大崎、大平、鶉崎、中を経て、常山城守のあしけ舘のある羽生、味明、初原、高城本郷を通って松島に出る。高城本郷には高城外記のかみ舘があるが、巡見使の一人、高城孫四郎の先祖に当たるという。この日の行程は六里半、松島に泊まる。なお、日記役の記録には、大谷原村迄六里十九丁休み、とあるが誤記ではなかろうか。

(148)同年8月26日。
 松島では瑞巌寺を参詣。五大尊堂を拝観したあと、島々を眺めつつ塩釜に出る。明記はされていないが、船で湾内を周遊したと思われる。塩釜では一宮(塩釜明神)を参詣し、御釜や牛石を見物したあと、八幡、山王、南宮、岩切、燕沢、小田原、南目、躑躅ケ岡を経て仙台に出る。途中の名所旧跡として、末の松山、沖の井、坪の石文、野田玉川、玉田横野、宮城野についてふれ、また、岩切の志波彦明神や躑躅ケ岡の天神宮・釈迦堂などの寺社、岩切の信田小太郎古館についても記している。塩釜まで海上三里、塩釜から仙台国分町まで四里半。この日は仙台に泊まる。
 

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