夢七雑録

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35.仙台から中村[相馬]へ

2008-10-07 22:05:55 | 巡見使の旅
(149)享保2年8月27日(1717年10月1日)。
 仙台を出立。奥州街道を進み、仙台出口で馬継、また、廣瀬川を渡った長町でも馬継をし、郡山を過ぎて名取川を渡り中田から前田、飯野坂を経て植松に出る。途中、茂庭生出森の八幡宮、名取の老女が勧請した熊野堂と吉田の熊野三社、吉田の高舘、川上の小佐治(長者の娘との悲恋物語の主人公)の墓、塩手の中将藤原実方(陸奥守に左遷されこの地で亡くなった)の墓所、笠島の道祖神などを見聞きしている。植松では、弘誓寺を参詣し数々の宝物を拝観する。休憩地となった岩沼では竹駒稲荷明神を参詣して宝物を拝観。二木松と花輪の松、藤平王(東平王)の塚についても記す。南長谷では阿武隈川の稲葉の渡し、入万野(入間野)では笹谷峠越えの道、船迫では柴田外記居城しのぶ館、沼辺では、にら神山と照井太郎(藤原秀衡の家臣)の古跡、千塚を記す。行程は九里余、大河原に泊まる。

(150)同年8月28日。
 大河原から奥州街道を進み、右手に大刈田山、蔵王山、不忘山を望みつつ、宮、白石、中目、斎川、五賀を経て越河に出て休憩。半里先の貝田は、一行が4月24日に通過した場所である。長旅の果てここまで戻ってきた事を、一同実感したことであろう。郡境を見分したのち白石に戻って宿泊。十里の行程であった。途中、平の西木戸国衡(奥州藤原氏第四代泰衡の兄)の塚と馬取沼跡、津田の山崎源蔵天神舘と遠藤甚七かふき舘、宮の白鳥明神宮とやんべ館及び宮内因幡の古舘、内親の宮内因幡古舘、郡山の古舘、長袋の陣場跡、中目の中目日向古舘と大平館と赤館、同じく田村将軍堂と越王堂および桑折播磨の馬牛館と馬牛沼、五賀の見明館と小屋舘、越河の別当館などを見聞きしている。

(151)同年8月29日。
 白石から奥州街道を離れ、大町から山越えし笠島を経て角田で休憩。阿武隈川を舟で渡り金津で泊まる。七里弱の行程である。途中で見聞きした、大町の大町備前大館、笠嶋の金沢古舘、横倉の愛宕堂、小田の斗蔵山千手観音などについて記す。

(152)同年8月30日。
 金津を出立。藤田から、天明の巡見と同じであれば、明通峠を越えて大平に出る。ここからは、浜街道を進み、麻生(浅生原)を経て坂元で休憩。福田の地蔵森、真弓の東光山、杉目の鹿狼山を見ながら進み、駒が嶺で泊まる。六里の行程である。途中見聞きしたものとして、金津の高玉明神、尾山の亘理元安重宗医王館、麻生の亘理右近古館、高瀬のかひふき舘、谷地小屋の伊達安房要害屋敷及び杉目八左衛門・みの首館、などを記す。

(153)同年9月1日。
 仙台藩番所を通り、塚野辺(塚部)で相馬へ入り、初野の羽黒権現を右手に、古舘のある黒木を通り、千手観音のある小泉を経て中村[相馬]に出て泊まる。行程は短く二里である。相馬藩主の讃岐守が御見舞のため旅宿を訪れている。


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