夢七雑録

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レム「ソラリス」(ソラリスの陽のもとに)

2018-07-15 12:49:59 | 私の本棚

図書館の雑誌コーナーを見ていて、ソラリスという見出しに気が付いた。手に取ってみると、“100分de名著”というNHKの特番のテキストだった。放映は既に終わっていたので、とりあえずテキストを一読したあと、自宅の本棚の片隅に長らく放置されていた文庫本の「ソラリスの陽のもとに」(ロシア語版からの翻訳を後に改版したもの)を探し出して、久しぶりに読んでみた。あらすじについては未だ記憶に残っていたが、個々の文章については、始めて見るような気がした。

 100分de名著のテキストは分かりやすく簡潔に書かれている。ただ、古いテキストの中には品切れのものもある。

【書誌】

書名「ソラリスの陽のもとに」。ハヤカワ文庫SF。早川書房。

スタニスワフ・レム著。飯田規和訳。1979年七刷(1977出版)。¥360。

 

ポーランド語による「ソラリス」が出版されたのは1961年。スターリン死後の雪どけの時代になってからで、この年にはガガーリンが人類初めての宇宙飛行を成し遂げており、宇宙に対する関心が高まった時期でもあった。レムはロシア語版への序文において、人類は宇宙に飛び立とうとしているが、宇宙は地球とは似ても似つかぬ現象で満ちていると思うとし、「ソラリス」を予想や仮定や期待を超えた未知のものと、人類との遭遇のモデルケースの一つとして書いたとしている。

 この小説には、未知の惑星ソラリスについての学問とその歴史について、実際にそのような学問があったかのように、詳細な記述がなされている。多少煩わしいところもあるが、作者が造り上げた仮想の学問なので、理解しようと思わずにそのまま読むしかないのだろう。この小説で多くのページが割かれているのは、ソラリスの海が人の心の内を探って造りだした、“お客さん(人間のそっくりさん)”に関わる話だが、中でもクリスとハリーの物語には心を動かされるところがある。この小説の最後の章では、当時のソ連では使う事がはばかれたという神という言葉が、ソラリスの海に対して使われているが、何故そうしたのか少々気にはなる。

 ソ連の映画監督タルコフスキー(1932-1986)は、この作品を「惑星ソラリス」として1972年に映画化している。タルコフスキーはドストエフスキーの作品の映画化など幾つかの企画を持っていたが、国家映画委員会によって次々と却下され、残ったのは青少年向けの無害な作品と思われていたSF映画(ソラリス)だけだった。タルコフスキーは地球でのシーンを主体とするシナリオを書いたが、これにはレムが反発した(「タルコフスキーの世界」による)。結局、小説の大筋を変えないということで折り合いがついたが、出来上がった映画にはレムの作品に無いものが持ち込まれていたため、レムとタルコフスキーは喧嘩別れすることになった。「惑星ソラリス」は、以前、映画館で見たことがあり、未来都市の設定で日本の高速道路が使用されている事に驚いた記憶があるが、このシーンはレムの小説には無いものである。また、この映画のラストは、主人公の父親の家のシーンになっているが、これもレムの小説には無い。ただ、映画の最後を、レムの小説に沿った映像にしていたら、映画的には、盛り上がりの無いラストになっていた気もする。

 私の本棚には、他のレムの作品として「泰平ヨンの航星日記」「枯草熱」「すばらしきレムの世界2」の三冊があるが、いつか再読することにして、今回は取り上げない。

 

 


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