夢七雑録

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品川神社の品川富士

2016-11-06 17:09:47 | 富士塚めぐり

品川富士は品川神社の境内にある。品川神社の最寄り駅は京急の新馬場駅だが、今回は品川駅から歩く。品川駅を東口に出て歩行者専用歩道のスカイウエイを南に向かい、八ツ山方面に進んで歩道橋を下り、都バス品川営業所の先の角を右に折れ、信号を渡って上がると旧東海道に出る。ここからは旧品川宿を南に向かい、聖蹟公園入口の次の角を右に進むと、品川神社の下に出る。ゆっくり見て歩きたい道筋だが、今回は急ぎ足で通り過ぎる。

品川富士の入口は品川神社の石段の中ほど左側にある。品川富士については、正徳寺住職の日記に明治2年5月29日に富士塚浅間神を馬込村より移したとある。この富士塚は廃仏毀釈の影響で後に壊されたらしく、再建したことを示す明治5年の再建碑が残されている。大正11年には国道建設のため品川神社境内の東側が削られたため、富士塚も西に移動して再建されたようで、この時に登山経路も現在のように変更されたらしい。

品川神社の石段途中にある鳥居をくぐる。ここは一合目に相当し猿田彦の祠がある。ここから五合目までは石段で楽に上がれて、眺めも良い。五合目は品川神社の社殿がある境内とほぼ同じ標高であり、五合目から下は台地の東側の斜面を利用している事になる。

五合目から上は黒ボク石で覆われた富士塚となる。狭く急な石段を上がれば、すぐに山頂である。山頂は富士塚としては広い方で眺めも良い。富士塚は神社の境内にあたる台地の端に築かれ、高さは5mほどだが、国道と境内との高度差があるので、国道から見た品川富士の高さは15mぐらいになる。この富士塚は品川区の有形民俗文化財に指定されている。

富士塚の頂上に奥宮は無いが、富士塚の裏手にあたる品川神社の境内には浅間神社がある。品川富士を築いたのは、身禄の三女はなの弟子であった赤坂伝馬町の近江屋嘉右衛門を講祖とする丸嘉講に属する品川丸嘉講で、この富士講による山開きの神事は品川区の無形民俗文化財に指定されている。

江戸時代、牛頭天王社(現在の品川神社)の山続きは御殿山と呼ばれ、桜の名所としても知られていた。そこで、品川神社の帰りに寄ってみる事にした。品川神社の石段を下りて左へ、次の角を左に入って進むと権現山公園の下に出る。道は右に曲がり上り坂となり、その先で下りとなり跨線橋に出る。左に跨線橋を渡ると御殿山庭園に出る。江戸の面影がどの程度残っているか分からないが、桜の季節に来てみたい場所である。その先、翡翠原石館に出て左に折れ、公開空地を通り抜け、小関通りに出れば、大崎駅はさほど遠くない。

<参考資料>「日本常民文化研究所調査報告2」「富士信仰と富士塚」「ご近所富士さんの謎」

 


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