大男3人組の旅、ココフカ。
ゆきたんく、お父さん、じまさんの3人で編成される旅行ユニットだ。
ゆきたんくの本名小〇〇。
お父さんの本名深〇。
じまさんの本名小〇。
の頭をとってココフカである。
いつもは8月初旬に旅をするのだが、じまさんに予定が入り,開催が危ぶまれていた。
緊急会議を開いたココフカ三人組は8月下旬に日帰りで行うことを決めた。
場所は茨城、テーマは「戦争遺跡」だ。
方面は2つ。
阿見と笠間だ。
阿見では、海軍霞ヶ浦航空基地周辺の散策をした。
夏場で草ぼうぼうなので、近寄れないところは諦めた。
当時の発電機室と、ボイラー室横の煙突
鹿島航空隊燃料庫跡
ここは1938年(昭和13年)に稲敷郡美浦村安中、霞ヶ浦湖畔に開隊。
1938年5月11日に霞ヶ浦空航空隊安中水上隊になり
8月30日に鹿島海軍航空隊になる。
偶然にも、鹿島海軍航空隊誕生の日に訪れたのである。
その他旧隊門(阿見町立阿見小学校)、飛行機発進のためのカタパルト跡(霞ヶ浦)、忠魂碑(茨城大学農学部横の弾薬庫の上に設営されていた)、予科練記念館、雄翔館と回った。
阿見の仕上げは、民家の中にある掩体壕だ。
かつてここに零戦が格納されていたのだろうか・・・
阿見町の指定文化財で、21基造られたが現在する唯一のものだ。
戦後、海軍から払い下げられたあと、居宅となっていたので残ったという。
そして40㎞離れた笠間へ移動だ。
「永遠の0」の主人公、宮部久蔵のモデルになった人物がいるところだ。
訪れたのは、「筑波海軍航空隊記念館」だ。
映画「永遠の0」の撮影に使われた施設である。
宮部久蔵が部下の名誉を守るために、上司に諫言したあと、態度が悪いと散々殴られた後に階段を登る。
同僚の名誉を守ってくれた宮部が、生徒の信頼を集めた場所を見た時には感動した。
足を引きずりながら登る宮部を、生徒たちが姿勢を正してその心に迎えた場所・・・
ここで様々な資料を読んで気が付いた。
宮部久蔵のモデルになった人物は一人ではなかった。
何人かの人生のエポックを集めたものだったのだ。
映画の中で、今は亡き夏八木勲氏が演じる大石賢一郎(宮部久蔵の妻、まつのの再婚相手)が映画の最後の方で娘と孫に話していた場面の台詞が蘇る。
それはこうだ。
「私たちだけが特別なのではない。あの時代、一人一人にそんな物語があった。みんなそれぞれ胸に秘めて、何事もなかったように生きているんだ。それが戦争で生き残ったということなんだ。あと10年もすれば、私たちの世代はほとんどいなくなる。この話をお前たちに伝えられてよかった。」
この全文を覚えているほどゆきたんくは頭の性能は良くはない。
ここに残されている資料を見ていくうちに、映画のこの部分が思い起こされたということだ。
「あの時代」を生きた方々の思いを、未来の日本に反映させていく立場にあるのが自分たちということを忘れてはいけないと思った。