大人の勉強&フリーランス生活

働きながら通信制大学卒業、大学院の修士、博士課程を修了し、博士号を取得しました。

思った事を書いてみます

2011年08月01日 | 生き方
年齢を重ねるごとに


色々な事に”鈍感”になっているように

思います。


いちいち小さな事に気にしなくなっているので

随分楽になりました。


まぁ、これからはわかりませんけどね。


少なくとも今はそんな感じです。


”あきらめ”


もあるのかなぁ…と思います。


受け入れてしまったというか。


こんな私でも


20代の頃は


安定した企業に勤めた
ちょっとしたエリートと
結婚して

子供産んで

安定した生活をしたいなぁ…


と思っていました。


周りもそんな感じの結婚をする子が

結構いて、


私もその波に乗りたいなぁ


と思っていました。


ところが人生とはそんなに甘くないですねぇ^^;


私が良き結婚相手だと思っていた人も


色々な面があり


表向きだけでしか判断できない


自分の浅はかさに


ガックリしました。


その人がヒドイ人だったと言うわけじゃなく、


その人にも良い面が沢山あったはずなのに

私は表面上の事しか見てなくて


その人をきっと傷つけていたんではないかと

今になると思うのです。

しかし、その時は


何だかとてもヒドイ事をされたなぁ


と思ったりもしました。


あまり詳しく書けないので、
ぼんやりとした書き方しかできないのですが、

人のやったことで
自分が傷ついたり落ち込んだりしているうちに


いつしか、

他人に影響されず


1人でも楽しめる人になりたいなぁ


と思うようになりました。


何だかその時、


自分がどれだけ、人に依存していたのか


って事を知って


全然自分が無かったんだなぁ


と思ったのです。


その人を基準に生活設計を考え、


仕事を考え

趣味を考え


色々な事を考えていたのに、

その人がいなくなったら


何もかも崩れてしまう。


何だかすごく危うい状態だったんだなぁ


と思い知らされました。


まさかそんな状態だったなんて


全然思ってもいませんでした。


無くなって初めて気付くっという

感じだったのです。


先日後輩に


「1人で完結している」


って言われて、


自分のこれまでのことを思い出していました。


この言葉


聞いた時期が違っていたら

すごく落ち込んでいたかもしれないのですが

私は苦笑いしながらも

少し嬉しく感じていました。


確かにいつでも

「1人でやっていける方法」


というのを常に考えているなぁ…


と思いました。



人とも会社とも


少し距離を置いて


「このくらいだよね」


とあきらめ

にも似た気持ちがあります。


でも、これは悲しいとか寂しいという感じでもなく


今の私には


快適さを


もたらしています。


依存しなくなると


楽になる。


でも人は支え合っているし


それを忘れてはいけないと思っています。


ただ1人で立てると少しでも思えれば


周りとの関係や色々な事が


快適になるように感じるのです。



落ち込まない方法を探して

2011年08月01日 | 生き方
立て続けに飲み会やら友達との小旅行などが続き

慌ただしくも楽しい時間を過ごしていました。


気付けば今年はたっぷりの夏休み。


日頃忙しくしていると

ポッカリ空いた時間

何をすれば良いのかわからない

ということになります。

私の場合、

仮に何もせず家でボーっと過ごしていたら

「別に今日でなくてもいいかっ」

となりひたすら外に出るのが億劫になります。

そのうち、思考もネガティブになり
落ち込みモードに。


何度そんな事を繰り返したでしょう。。。


1人で何か作り出すっというのが
あまり得意ではなく


単純に目標とかが

あった方が楽しいなぁ。。。


と思います。


だからFPのスクールに通うことにしました。

それを人に言うと

「偉いねぇ」


と言われることもありますが、


行動の原動力はそんな高尚なものではなく


元々興味があったという事はもちろんあるのですが、


「ポッカリ空いた時間に落ち込みたくなかった」


というのも理由の大きな一つです。


何かやっていると

余計な事を考えなくて済むのです。


結局浮かんでくるのは


ぼんやりとした不安とか不満とか
後悔とか


そういうことで、


考えても仕方ないことがほとんどです。


だから、それを考えないで良いように


新しい事を始めました。