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つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

「ピラミッド」斜め読み

2022年12月28日 | 斜読
book542 ピラミッド デビッド・マコーレイ 岩波書店 1979  <斜読・海外の作家一覧>  


 デビッド・マコーレイ著の中学上級~レベル大型図解本が、1973年のcathedral、 1974年のcity、 1975年のpyramid、1977年のcastleと続けて出版された。子どもに読み聞かせようと購入した。文章は中学上級~で平易だが、内容は専門的考察をもとにしていて高度である。「pyramid」は2000年10月にエジプトを訪ねたときの参考資料にもなった(写真はカフラー王のピラミッドと大スフィンクス)。
 その後も古代エジプトに関する膨大な研究、新たな発見が蓄積され、報道番組でも再三取り上げられている。
 「pyramid」は変色やシミ(紙魚)はないものの出版から40年も経ったので終活=断捨離することにし、その前に読み直した。
 
 P5~P6に古代エジプトの基礎知識が紹介される。なぜピラミッドを造ったのかの導入になる。ナイル川は7月~11月が洪水期、紀元前3000年~1100年にかけてファラオと呼ばれる王が支配していた。自分の肉体のほかにバーと呼ばれる霊魂とカーと呼ばれる精霊的な分身をもっていると信じていた。
 墓はカーの住むところと考え、国王は死と同時に神になるので、墓は巨大になり、四角錐のピラミッドは神になった国王の上に輝く太陽光線をあらわし、太陽は西に沈みあの世に旅するのでピラミッドはナイル川の西側に造られた。
 P7 紀元前2470年、上・下エジプトの新しい王が即位する。戴冠式は首都メンフィスで行われた。即位後2年目、建築家に墓の設計を命じる。
 P8~9 ナイル西岸ギーザにはクーフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドが造られていた。新国王のピラミッドの高さは最大のクーフ王のピラミッドより3m低い140mとし、ギーザの丘より6m高い土地を選んだ。
 P10にピラミッドの配置図、P11にピラミッドの断面図、P12~15に職人の様子、道具が紹介されている。P14に石切り道具の一つであるドレライトが紹介されている。訳注によると緑色粗粒玄武岩だそうだ。


 P16~P17にナイル川沿いの建設予定地、P18~19に石切場から石灰岩を切り出し、P20~21に船で石を運搬する光景が描かれる。
 P22~23は建設地に円形の壁をつくり、ある星が東に現れ、西に沈む位置を壁に印し、その角度を二分して真北を測定する様子が紹介される。
 P24、紀元前2468年11月、国王出席のもとで起工式が行われ、P25、水準器を用いて敷地を水平にしたことが図解される。
 P26~P27、流域殿、参道、霊祭殿の基礎工事、ドレライトを用いたピラミッドの墓室への通路工事が紹介される。
 P28~P29、墓室は手前の宝物室、奥の石棺を納める玄室が続き、壁は花崗岩で覆われ、花崗岩のおとし戸が設置される。
 P30~P31、紀元前2467年9月には花崗岩と石灰岩が建設予定地に並べられる。
 P32~P33、玄室に砂を詰め、石棺を砂の上に載せ、砂を少しずつかき出して石棺を玄室の床まで下ろしていく。P34~P35、同じ方法で玄室の上に花崗岩の切妻屋根をかける。
 P34~P35、ピラミッドの第1層の石材が水平に並べられる。P38~39、第2~第123層の石材を運び上げるためナイル川の泥と粗石で斜道をつくり、斜道に丸太を埋め、橇で石材を運ぶ。
 P40~P41は工事中のピラミッド断面図で玄室に通じる通路が図解される。


 P42~P43に紀元前2461年春のピラミッド工事中の鳥瞰図が描かれる。隣に王妃のための小さなピラミッドの整地され、P44~P45に王妃のピラミッド工事中の鳥瞰図が描かれている。
 P46~P47、工事開始から10年目の冬の農民の住まい。
 P48~P49、紀元前2457年7月のピラミッド工事の様子、それから14年間、洪水期に石材を船で運び、工事が進められた。
 P50~P51、国王のピラミッドの高さが122mに達したころの鳥瞰図、隣の王妃のピラミッドも完成に近づく。
 P52~P53、紀元前2468年の着工から26年、紀元前2442年10月には124層が完了、頂上部は3m四方になる。四角錐の花崗岩頂上石が運び上げられ、P54~P55、頂上に頂上石が据えられる。
 P56~P57、国王と王妃のピラミッド鳥瞰図。
 P58~P59、工事のための斜道を取り除き、新たに木の足場を組む。最上段の頂上石を磨き、積み上げた石の段々を削って滑らかにし、表面をすりみがきして、ピラミッドが完成する。


 P60~P67に霊祭殿の平面図、石の積み方の過程、柱頭の彫刻、ピラミッド周辺につくられた重要な廷臣のためのマスターバ墓と彫刻、霊祭殿両側に掘られた溝と死後の国王が使う船の様子が描かれている。
 P68~P69、流域殿の平面図、 P70~P71に流域殿、参道、霊祭殿、国王のピラミッド、王妃のピラミッド全景の鳥瞰図が描かれている。
 紀元前2439年春に国王が亡くなる。P72~P73、遺体は流域殿近くのミイラつくり作業場に運ばれる。内蔵はカノプス壺に収める。遺体を清め、麻の包帯と布で巻く。布のあいだには金や貴石の装身具を挟み込む。
 P74~P75、ミイラを流域殿に運び、「開口の儀」を行う。数日後、ミイラを木棺に安置し、参道を通り、霊祭殿に移す。
 P76~P77、祭祀が木棺を玄室に運び、石棺に収め、花崗岩の蓋をかぶせる。カノプス壺、国王が生前使った品物、死後に必要と信じられた品物を玄室、宝物室に並べ、おとし戸をおろす。
 P78~P79、玄室に通じる斜道を取り除き、亡き国王のための200万個の石を使った永遠の家が完成する。ナイル川から見た鳥瞰図が描かれ、物語が終わる。


 大概の子どもは、小さいころから古代エジプトやピラミッドを題材にした漫画や子ども向けの本に接し、興味をもつ。
 その後もクレオパトラやカエサルが登場する映画、本、テレビドラマを見聞して古代エジプトに詳しくなった。ピラミッドに関する報道も多い。私は2000年10月にはピラミッドを訪ね、カフラー王のピラミッドの斜道を歩き、玄室も見学したから、「pyramid」に書かれた内容はほとんど既知である。
 それでもマコーレイの見開きに渡る鳥瞰図は一見の価値がある。最近の子どもはアニメやゲームを通して知識を吸収するのであろうが、大判の鳥瞰図をじっくり眺めているうちにいろいろな考えが浮かんできて発想が広がっていく。考える力になるという点で、アニメやゲームに引けを取らないと思う。 (2022.5)
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