book486 西行 その聖と俗 火坂雅志 PHP研究所 2012
火坂雅志(1956-2015)氏のデビュー作は「花月秘拳行」(book475参照)で、主人公は西行である。
西行(1118-1190)については教科書で歌人と習った記憶があるが、「花月秘拳行」では和歌に詠みこまれた拳法の奥義を探す旅に出る武人として描かれている。
火坂氏も武人としての西行がなぜ出家し、放浪の歌人として名をなしたか気になっていて、その後の検証を踏まえ、この本で第1章・武人、第2章・恋の人、第3章・政治の側面から西行を読み解いている。
第1章 武人・西行
1 武芸の達人 武芸の名門に生まれたエリート/平安時代の武術は弓術や馬術だけではない/鞠聖といわれた西行の師・藤原成通/歌に出てくる西行の必殺技/怪僧・文覚に狙われた西行
2 武のエリート 源平をしのぐブランド力をもつ家系/奥州藤原氏も西行と同族/西行の甥は義経とともに/源頼朝に一晩かかって教えたことは?/頼朝の政治的デモンストレーション
西行は元永元年1118年に、左衛門尉・佐藤康清と監物・源清経の娘とのあいだに生まれ、佐藤義清と名付けられた。左衛門尉も監物も律令制の官職で、佐藤家は藤原秀郷の嫡流になる。火坂氏はP39平氏略図、P47佐藤氏略図、P51源義経をめぐる人間関係図、P119閑院流と天皇家の関係略図を載せ、本文で相互の関係や歴史の中での位置づけをていねいに解説するが、日本史に疎いとなかなついていけない。
要は藤原氏は源氏、平氏と並ぶ武家の棟梁であり、西行もその血を引いた武のエリートということになり、18才で左衛門尉、20才で鳥羽院の北面の武士に選ばれている。
北面の武士とは宮中行事に供奉し、貴人の護衛をする役職で、武芸とともに容姿端麗、高い教養を身につけていた。とくに火坂氏が着目したのは、鞠聖と評された藤原成通から西行が高度な鞠技を習ったことや必殺技を身につけていたことである・・「花月秘拳行」では必殺技が再三登場する・・。
西行は藤原秀郷の嫡流、奥州藤原氏も秀郷を祖としていて縁があり、東大寺再建を進める重源は奥州藤原氏への砂金献上の交渉役に出家した西行を向かわせている。西行と奥州のつながりの伏線になる。
源頼朝に追われた義経が奥州藤原氏にかくまわれていたこと、源頼朝が奥州に向かう西行から秀郷流弓馬の術を聞き出そうとしたことなども史実を引きながら語られているが、西行の出家や歌人西行とのかかわりはない。
第2章 恋の人・西行
1 恋・戦さ・旅の歌 花と月に託された恋心/平家物語にも通じる戦乱を詠んだ歌/鳥羽院との浅からぬ因縁/旅先のことも積極的に取り入れて詠む
2 出家の謎 出家の理由は複雑に入り組んでいた?/璋子は魔性の女/権勢を失い謀叛の疑いをかけられた璋子/最初の奥州行に隠された意味/フリー志向だった西行
第2章は歌人としての西行がテーマで、「わび人の 涙に似たる 桜かな 風身に染めば まづこぼれつつ」などを例に花と月の歌人と呼ばれる所以を代表的な歌を取り上げ紹介している。
西行の出家のキーワードに、74代鳥羽天皇の皇后・璋子=のちの待賢門院(1101-1145)をあげている・・P119天皇家関係略図を見ないと複雑な人間関係が読み取れない・・。璋子は72代白河天皇=白川院に溺愛されていた。さらに、家庭教師をしていた藤原季通や多くの情人がいたらしい。
白川院に勧められて鳥羽天皇に入内後はのちの75代崇徳天皇、77代後白河天皇、78代二条天皇を始め多くの子を生んでいる。ところが白川院が崩御すると、鳥羽院が得子=のちの美福門院に気が移り、76代近衛天王が生まれる。複雑な人間関係が、第3章に紹介される勢力争いの渦につながっていく。
西行は鳥羽院の北面の武士だったから、璋子とも面識があったようだ。火坂氏は、西行の出家は璋子の権勢が失ったころと重なることから、政争を目の当たりにし、璋子の苦しみを見ながら手を差し伸べられない無力感が引き金ではないだろうかと推測する。
しかし、璋子の没落や醜い政争に嫌気がさすぐらいで、栄誉ある武士の地位、妻子を捨てて出家するだろうか。火坂氏も断言を避けている。
第3章 政治と西行
1 崇徳院 崇徳院との身分を越えた信頼関係/保元の乱に破れた崇徳院に会いに行く/怨霊にならないように諫める/荒ぶる崇徳院の霊を鎮める
2 平家 部長・清盛と課長・西行/平治の乱で勝利して全盛期に/清盛とのつながりは変わらなかった/費用の免除を清盛に陳情する/実家である佐藤家の没落
3 後白川院 数奇者の縁で結ばれた二人/後白川院とつねに行動をともにしていた上西門院/十八首収録された千載和歌集/密偵西行
第3章では出家したにもかかわらず俗世との縁を絶ちきれず、政争を達観しつつも、人の縁に引かれていることを歌をはさみながら紹介している。
最後に、西行の歌は勅撰和歌集「詩歌和歌集」には詠み人知らずとして一首だったが、勅撰和歌集「千載和歌集」には十八首収められていて、選者に次ぐ数を指摘し、これは奥州への旅が密偵だったことを裏付けるとして、本を締めている。
西行が、文武に秀でた歌人だったことはよく理解できた。西行の出家の謎は解けないが、天皇家の複雑な人間模様、平氏が滅び、兄頼朝が弟義経を殺そうとし、奥州藤原氏が滅ぼされるといった時代に嫌気がさし、思慕の璋子が没落したことが引き金という説は納得できそうである。(2019.3)