<長野を歩く> 2018.8 松本を歩く5 浅間温泉&御殿山トレッキング→まつもと市民芸術館+信州蕎麦
16:35千歳橋近くのバス停から、今日の宿がある浅間温泉行きのバスに乗る。今回の宿は、①温泉、②眺め、③ポイントが決め手になった。事前にwebの松本観光を眺めていて、松本市街東の山裾の温泉を見つけた。ハイキングコースもあるらしい。松本駅からバスの便も良い。松本城下を初日に歩く→温泉でくつろぐ→2日目にハイキング、というイメージになった。クレジットカード決済のRには3500ほどのポイントがたまっていて、3500円分のぜいたくができる。Rトラベルの宿を見比べ、浅間温泉の外れの眺めの良い山映閣を選んだ。
浅間温泉行きのバスは信州大学前を経由する。現役のころ信大の先生、研究者と交流した。信大を初めて眺め、先生たちの顔を思い浮かべた。キャンパスも広々とし、勉学や研究にふさわしい環境のようである。
ほどなく、浅間温泉停留所に着いた。25分ほどと近い。停留所周辺は住宅地である。あとで分かったが、温泉宿は住宅地の先の急斜面に並んでいて、道が狭いため、バスは温泉街の手前からバスの通れる道を回遊して松本駅に戻るコースを走っていた。
温泉宿が建ち並ぶ急斜面の細い道を上る。息を切らしたころ視界が開け、崖の上の山映閣が見えた。浅間温泉は1000年ほど前に開湯され、藩主石川氏のころは藩主別邸が設けられたり、家臣が利用したりし、御殿の湯とも呼ばれたらしい。近世には若山牧水、与謝野晶子ら文人や著名人が泊まったようだ。
山映閣は温泉街から一歩奥まった高台の立地で、新しい宿である。息を切らして上ってきただけあって、宿からの風景は開けている。部屋はベッドの和洋室で、部屋からの眺望も良い(前頁写真)。露天は崖際にあり、風景を独り占めできる。
夕食席からも松本平の夜景が見える。夕食は品数少なめの和会席を頼んでおいたが、前菜、馬鈴薯や長芋を料理したお椀替わり、馬刺しも入ったお造り、信州手打ちそばのお凌ぎ、岩魚の塩焼きあたりでお腹はかなり満たされた。続いて、信州豚と湯葉の豆乳鍋、信州和牛などを料理した揚げ物、安曇野山菜ご飯、デザートである。どれもおいしく、腹八分を通り越し、満腹になった。
お酒はアルプス正宗大吟醸、続いて善哉生貯蔵酒をいただいた。夜景に和会席に地酒、気分良く食事を終える。
歩数計は12700歩、寝る前にもう一度露天風呂に入って足の疲れを癒やし、休んだ。
2日目、天気良し。事前のweb情報で、浅間温泉から直線で2kmほど山奥の美鈴湖を見つけてあった。美鈴湖一周ハイキングの散策路も整備されている。美鈴湖まで直線で2kmなら往復1時間半ぐらいか、美鈴湖を一周して1時間、計2時間半のハイキングをしようとフロントに聞いたら、山道はかなりの急勾配、往復1時間半は無理、美鈴湖を一周するなら休憩を入れて4時間ぐらいになる、とアドバイスされた。
浅間温泉あたりが標高600m、美鈴湖あたりが標高1000mだから、水平距離およそ2km×垂直距離およそ400mを登ることになる。行くならおにぎりを用意するからもって行った方が良いとも言われた。往復4時間では、帰りの特急13:47には間に合わない。代わりに、御殿山展望台トレッキングコースおよそ2時間を勧めてくれた。散策路も整備されていて、松本平の眺望を楽しめるそうだ。
9時過ぎ、宿に荷物を預け、散策マップに参勤交代の道と書かれた道を登る。勾配がきつい。この山道を大名行列が行き来したのだろうか。参勤交代に使うエネルギー、資金、人材を産業や文化に振り向ければすばらしい発明や発展につながったであろうが、それこそが徳川幕府の恐れたことだから、地方大名は参勤交代というくびきから逃れられず、幕末を迎えることになった。
誰もいない山道で「したに~したに~」の掛け声をこだまさせながら行軍するのを想像すると、哀れさを感じる。
御殿山登山口の看板から山道に入る。看板には展望台まで「なだらかな登山道、約30分」と書かれている。登山道は樹林に覆われているが、明るい(写真、左が参勤交代の道、右が御殿山散策路)。1人分ほどの幅だが、しっかり踏み固められている。
雑草もはえていない。手入れが行き届いている。分かれ道には「展望台へ 240m 約10分」などの標識があり、迷うことはない。ところどころに、「ジュウニヒトエ(十二単)5月、花が幾重にも重なって咲く様子を昔の女官の衣装に見立て・・」などの解説板が設けてあり、散策を楽しませてくれる。難所はないが、ところどころには急勾配もあった。
登山口から25分ほどで御殿山展望台に着いた。展望台の標高は850mほどで、松本平を一望できる(写真)。その向こうに北アルプスが広がっている。すばらしい眺めだ。女鳥羽川らしい筋を見つけ、松本中心街の高層ビルも判別できるが、松本城は分からなかった。藩政時代なら松本城が抜きんでていただろうから、浅間温泉を訪れた藩主、家臣はここから城下を眺めたのではないだろうか。
樹林の中の山道を下る。つづら折れの道を下っていくと、小笠原家廟所に出る。秀吉時代の藩主・石川家は家康により改易され、その後の松本藩主が小笠原家である。石垣が積まれた奥に石塔が並んでいた。
さらに下り、舗装道路を渡って御射神社に参拝する(次頁写真)。山の神が春になると田に下る。その田の神を祀る浅間宮春宮が御射神社と呼ばれたらしい。
舗装道路を戻り、民家の間を縫って、山道に入り、天満宮に参拝する(写真)。
松本藩主が水野氏の時代、白金=鉛が産出し、祝福祈念で天満宮が勧進されたそうだ。学問の神様ということで、夏祭りは子どもが主役になるらしい。
山道を下ると薬師堂、第1号源泉がある。少し先の西宮恵比寿堂、不動の滝まで歩き、宿に戻った。およそ1時間半の散策になった。宿では仕事の手を休め、お茶を点ててくれた。
温泉街の湯坂という通りを下り、浅間温泉会館前から松本駅行きのバスの乗った。12時近くに松本駅に着く。雰囲気の良い食事処を探しながら、あがたの森通りを東に歩く。
ユニークなデザインのまつもと市民芸術館を見つけた(写真、web転載)。小澤征爾氏による松本フェスティバルの主要会場で、2004年、伊東豊雄氏の設計で開館した。ロビーなどのユニークなデザインを眺める 。
松本駅に戻り、石臼挽き手打ちそば・榑木野(くれきの)という蕎麦屋に入った。更科系の白い蕎麦でコシがあり、私好みで、松本散策の仕上げになった。
歩数計は14900歩、いい旅になった。 (2019.4)