2018.10 九品仏浄真寺・等々力渓谷を歩く
<日本の旅・東京を歩く>
①九品仏浄真寺を歩き、九本往生を知る
大学は東急電鉄・大井町線大岡山駅前だった。1年次~3年次は大岡山駅を利用して通学した。3年次のとき、新学科棟が隣の緑が丘駅近くにできた。キャンパス内を歩いても行けるが時間がかかるので、卒業まで緑が丘駅を利用した。
ごくたまに自由が丘か渋谷に出るぐらいで、ふだんは学内の生協、学生食堂、大岡山駅周辺の店で用が済んだし、とくに専門に属してからはほぼ毎日終電近くまで学科棟、研究室にいた。
そのため、自由が丘駅の先が九品仏・尾山台・等々力・・だということは知っていたが、行ったことはなかった。
先日、テレビで九品仏浄真寺を紹介していた。境内は広々としている。もみじの季節には賑わうそうだ。九品仏駅の先の等々力渓谷は東京都の名勝に指定され、都会のオアシスとしてよく報道される。どちらも行ったことがない。
2018年10月10日、天気良し、10時ごろ家を出て、九品仏、等々力を目指す。大学に通っていたころは大森に住んでいたから大岡山までは30分もかからないが、さいたま市のマンションからは大岡山あたりまでおよそ1時間半もかかる。
コースは、湘南ライン・渋谷駅~東横線・自由が丘駅~大井町線・九品仏駅、または湘南ライン・恵比寿駅~山手線・目黒駅~目黒線・大岡山駅~大井町線・九品仏駅、あるいは上野東京ライン・品川駅~京浜東北線・大井町駅~大井町線・九品仏駅のどれかがよさそうだ。
昔の記憶を頼りに、~渋谷駅~自由が丘駅のコースを選んだ。ところが、渋谷駅は大改造中で迷路のような通路を歩かされた。湘南ライン・渋谷駅はときどき利用したが、いつの間にか私の知らない渋谷駅になってしまったようだ。
なんとか東横線渋谷駅を見つけ、自由が丘駅で大井町線に乗り換え、11時半ごろ九品仏駅に着く。このあたりはまだ高架化、地下化されていないので、中央プラットフォーの改札を出ると上り線側、下り線側のどちらも踏切を渡らなければならない。かつて私鉄はこうした駅が多かった。町が発展し、踏切を利用する交通量、駅の乗降客が増えれるに従い駅形式、踏切が改善される。初めて降りたが、のんびりした雰囲気を残す駅に懐かしさを感じた。
地図には北側に浄真寺が記されている。踏切を渡った先は商店街で、すぐ先の左に樹林が見え、浄真寺参道と彫られた石柱が待ち構えていた(写真)。
松並木の参道は石敷きに整備され、一直線に伸びている。両側は住宅、店舗、オフィス、公共施設が並んでいる。参道は静かで、木陰でくつろぐ人、犬を連れた散歩、ジョギング、ベビーカーを押したママとすれ違う。
200mほど先に総門が建つ。説明坂によると、江戸時代初期の珂碩カセキ上人が4代将軍徳川家綱から奥沢城跡を賜り1678年、九品山唯在念仏院浄真寺を開山したそうだ。
珂碩(1618-1694)をwebで調べると、江戸の念仏堂で弟子とともに9体の阿弥陀如来坐像を彫ったが洪水の被害を受けたので、徳川家綱に願い出て奥沢城跡を賜り、浄真寺を開山し9体の阿弥陀如来坐像を移したそうだ。
説明坂には、江戸名所図会にも描かれていて伽藍配置は当時のままだとも記されている。とすると、この総門も1678年だろうか?。
樹林のあいだを進むと右手に閻魔堂がある。閻魔大王が真っ赤な顔でにらんでいるが、どことなくコミカルな顔つきに見える。建物は新しそうだ。
参道は左=西に折れる。右に珂碩上人を祀った開山堂が建っていたので参拝する。尊像の珂碩上人は珂碩本人が42才のときに彫ったそうだ。9体の阿弥陀如来像といい、彫刻の腕前も素晴らしいようだ。建物は近年である。
参道正面に紫雲楼と名付けられた山門=仁王門が構えている(写真)。左右に、真っ赤な身体の憤怒した阿吽の仁王が見下ろしている。ここで邪気を払うということであろう。1793年の再建らしい。屋根は茅葺きから銅板に葺き替えられている。一礼し、山門を抜ける。
山門の左に1708年建立の鐘楼が建つ。梁、軒下の組物に彫られた獅子が勇ましい。こちらも銅板に葺き替えられている。
右手に西を正面とした、御龍殿と呼ばれる本堂が建つ(写真)。1698年建立で、方形屋根は茅葺きから銅板に葺き替えられている。本堂は珂碩上人が彫ったと伝えられる釈迦如来座像を本尊とし、法然上人像、善導大師像、珂碩上人像が祀られている(写真)。
本堂の向かいには広々とした中庭を挟んで、東を正面とする阿弥陀堂が3堂建っている(次頁写真、写真は中央の上品堂)。いずれも本堂と同じ1698年建立で、寄棟屋根を載せている。本堂と同じく茅葺きが銅板に葺き替えられている。
この阿弥陀堂3堂に前述の珂碩上人が弟子と彫った阿弥陀如来坐像が安置されたが、1体は修復のため欠けていて、3体、3体、2体だった。
阿弥陀如来はそれぞれ印相が異なり、堂に説明があったが浅学では字面は読めても本意は難しかった。
浄土教の聖典の一つの観無量寿教に九品往生クホンオウジョウが説かれていて、功徳の高い場合は上品上生ジョウボンジョウショウという往生をし、以下順に上品中生チュウショウ、上品下生ゲショウ、中品チュウボン上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生と段階があり、極悪人は下品下生ゲボンゲショウという往生をするそうだ。
9段階の往生=九品を表した9体の阿弥陀如来像が祀られていることから、九品仏浄真寺は信仰を集めた。かつては自由が丘駅が九品仏前駅と呼ばれたほど、九品仏が広く知られていたようだ。
本堂と阿弥陀堂のあいだは木立の多い中庭になっている(写真、林に隠れているが中庭の向こう右が中品堂、中央が上品堂、写っていないが左が下品堂)。8月16日の「お面かぶり」の行事は、本堂と真ん中の阿弥陀堂のあいだの中庭に特設の橋が架けられる。この橋を信者25人が菩薩のお面をかぶって渡ることから「お面かぶり」の名が付いた。
これは本堂が此岸、阿弥陀堂が彼岸で、彼岸の阿弥陀如来が此岸の信者を救世しに渡御することを象徴しているようだ。
境内を近在の人が散策し、本堂の前で一礼、合掌、阿弥陀堂それぞれで一礼、合掌している。子どもを連れたパパは子どもに合掌を教えていた。ベビーカーを推した若いパパママとすれ違う。杖をついた古老が本堂前でお賽銭をあげ、経を唱えていた。九品仏浄真寺は近在の人の支えになっているようだ。
正しく生き、上品の往生を願う。いま一度合掌して、山門を出た。50年ほど前の学生のころに九品仏浄真寺に来ても、まだ仏教・寺院に関心が低かったから通り一遍の見学で過ぎてしまったと思う。九品仏を知ることができたのは50年という時のお陰であろう。(2018.11)