yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

バルセロナ・グラシア通りにはモデルニスモ代表作カサ・パトリョ、カサ・アマトリェール、カサ・リェオ・モレラが並ぶ

2017年11月06日 | 旅行

久しぶりのスペイン紀行続編 スペインを行く56 2015年ツアー13日目 サグラダ・ファミリア展示室 カサ・ミラ カサ・パトリョ カサ・アマトリェール カサ・リェオ・モレラ

 サグラダ・ファミリアのらせん階段を下ったあと、地下の展示室に向かった(写真は力の安定を確かめる構造模型)。1993年ツアーのときより広く、展示も整然としていた。かつてガウディと弟子たちが使っていた工房には、スケッチ、図面、メモ、模型、材料などが所狭しと置いてあったそうだ。ガウディ(1852-1926)が事故死した10年後に始まった内戦(1936~1939)で、フランコ軍はカタルーニャに総攻撃し、カタルーニャを支配下に置いた。戦時下、占領下の混乱で、貴重な資料が破損、焼失、散逸したらしい。カタルーニャが解放されたあと、弟子+職人たちは資料を整理し、ガウディの言葉を記録し、スケッチを補い、模型を修復して、サグラダ・ファミリア建設を再開した。サグラダ・ファミリが広く知られるとともに来場者が増えたので、もと工房を開放し展示室とした。1993年ツアーで見学したのは、もと工房展示室だったような気がする。
 2010年のローマ教皇ベネディクト16世による献堂式にあわせ?、あるいは世界中から押し寄せる来場者に応えて?、展示室が拡張、整備されたようだ。1993年時にはどちらかといえば雑然としていた気がするが、いまはいくつかのコーナーに分けられ、系統的な展示になっていて、展示品も補充され、見やすくなっている(写真はサグラダ・ファミリア完成スケッチ)。力の安定を確かめる構造模型、デザインを検証する石こう模型、完成予想スケッチなどをぐるりと見て回ったあと、聖堂の内外をもう一度鑑賞する。

 3時になった。サグラダ・ファミリア見学?、参拝?はここまで、希望者はこのあと添乗員のOさんの案内で散策である。もちろん、スペイン通のOさんについていく。ディアグナル通りAvinguda Diagonalを歩き、グラシア通りPasseig de Graciaに折れた先にカサ・ミラCasa Miraが建つ(上写真)。ガウディ50代の作品で、竣工は1910年である。グエル公園となった住宅地(1900~1914)や、1883年から設計に取りかかったサグラダ・ファミリアと随所に類似を見つけることができる。そのどれも、100年以上経っているにもかかわらず現代に通じる?、あるいは未来を予感させる?斬新さを感じさせる。いずれも、石とは思えない柔らかな暖かい表現になっていることにも驚かされる。室内の様子をテレビで見たことがあるが、包み込まれたような安らげる空間だった。あらかじめ申し込んでおけば玄関ホール~階段室・共用室~屋上の見学ができるが、今回のツアーでは予定に入っていない。門扉から中庭をのぞき込む。鋳鉄製のような門扉のデザインもユニークである(中写真)。絡み合った枝が不整形な楕円を描きながら扉を埋め尽くしている。自然がヒントのようだ。

 何人かがバッグの店に入った。スペインの革製品は品質が優れている。1993年ツアーで購入したバッグはいまも健在である。

 今回は革製品を買う予定はないので、ぶらぶらと通りに並ぶ建物を眺めた。向かいに、伊東豊雄氏が2003~2009年にファサードをリノベーションしたスィーツアベニューアパートホテルが建っている(写真)。室内への採光・通風を妨げず、ファッション性を打ち出したファサードのリノベーションは目を引くし、街並みにも馴染んでいる。私は建物のファッション化は好みではないが、バルセロナはどんな挑戦も受け入れてしまえる底力があるようだ。
 同行の一人がバッグを買ったそうで、みんな店から出てきた。いい買い物をしたようで、にこにこしている。

 散策再開、グラシア通りPasseig de Graciaを南東に向かう。グラシア通りは事務所、マンション、専門店などが軒を連ねている。歩道は広く、並木が木陰をつくり、おしゃれな街灯が目を楽しませていて、歩き心地がいい(上写真)。少し先に、アントニオ・ガウディ(1852-1926)のカサ・パトリョが建っている(中写真)。カサ・パトリョは1877年建設で、1904~1906年にガウディによって改築された。カサ・ミラは建物全体に造形力が発揮されているが、カサ・パトリョは改築のため造形力はファサードに集中しているようで、異空間を彷彿とさせる造形性は目を離させない(下写真)。
 カサ・パトリョの隣はチョコレート王アマトリェールの館カサ・アマトリェール、その隣にカサ・リェオ・モレラが並んでいる(次頁写真、手前がカサ・アマトリェール、その先にカサ・リェオ・モレラが建つ)。
 カサ・アマトリェールは1851年建設で、1898~1900年にジュゼップ・プッチ・イ・カダファルク(1867-1956)によって改築された。カサ・アマトリェールは1864年建設で、1902~1905年にリュイス・ドメネク・イ・ムンタネー(1850-1923)のデザインで改築された。
 ムンタネーはバルセロナ建築学校=現カタルーニャ工科大学建築学部の教授としてガウディを指導している。ムンタネーは若くして教授に抜擢され、ガウディは教え子になるが、互いにデザインを競い合うほど才能は伯仲していたそうだ。カダファルクは2人よりも15才ほど若いが、おそらくムンタネー、ガウディの偉才的なデザインの影響を受けたに違いない。この3人は、ムデハル様式を取り入れたスペイン版近代芸術の先駆者として、スペイン・モデルニスモの3代巨匠と呼ばれている。その3人3様のデザインがグラシア通りに隣り合っているのだから、建築デザインに疎い人でも興奮するのではないだろうか。

 まずカダファルクがカサ・アマトリェールを改築し、次いでムンタネーがカサ・リェオ・モレラを改築、続いてガウディがカサ・パトリョを改築する順になる。ガウディは、隣の若き建築家カダファルクによるカサ・アマトリェール、師でありライバルであるムンタネーのカサ・リェオ・モレラをじっくり観察したうえで、独自なデザインを展開させた。ガウディたちは、対立するでもなく同調するでもなく、個性を発揮しながらも調和させている。バルセロナの底力は計り知れない。

 少し歩いた先の右がカタルーニャ広場Placa de Catalunya、左がショッピングプラザのEl Corte Inglesである。ショッピングプラザに入り、スペインの記念にとワインとチョコレートを買った。

 さらにグラシア通りを進み、左の脇道に入り、大聖堂広場に出る。広場には大勢が思い思いに時を過ごしている。大道芸が演じられ、喝采を浴びていた。一息したかったので、Oさんの案内でタピネリア通りCarre de la Tapineriaに面したカフェvalor1881に入った(写真)。1881年創業の老舗、姉妹店もあるらしい。甘いチュロスを飲むと元気が出てきた。続く(2016.10現地、2007.11)

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