1991 中国北京市内 菊儿胡同 /建築とまちづくり誌 1993.7
6回の予定で書き始めたこのシリーズもいつの間にか18回となった。連載の最後に取り上げたのは、北京のもっとも庶民的な住宅である胡同である。
胡同とは、路地や横町の意味で、蒙古語の馬が踏みつけた小道に由来すると言われる。恐らく元の時代にこのような仕組みの街が作られたためであろうが、街の人に尋ねても言葉の由来に詳しくない。
北京の旧市街は、紫禁城を中心とした碁盤目状の大通りを骨格としている。うち、南北の大通りを東西に結ぶ細道が胡同で、ここに塀を連ねて四合院形式の庶民住宅が隙間無く並ぶ。
いずれも煉瓦組積の平屋で、多くは中庭側に増築が繰り返され、相当の高密になっている。胡同はもともと狭いうえに、物が置かれたり、小屋が作られたり、ときには物売りが店を広げるのですれ違うのがやっとの胡同も少なくない。
そこで再開発が期待されてくる。もし高密のまま居住環境を改善しようとすれば、最初に浮かぶ手法は高層化であろう。日本の都心がそれで、いつの間にか公開空地と高層ビルによって住民のいない街に変わり果ててしまった苦い体験が私たちにはある。
しかし北京市は、旧市街を囲む環状道路の内側の高層化を抑え、歴史都市の景観保全を優先する方針を採用した。
そして、街のコミュニティも伝統的な町並み景観も、歴史都市の文脈のもとで模索されることとなった。
紹介する菊儿胡同は、下町のコミュニティと伝統的な町並み景観を生かした成功例の一つである。1991年11月、北京で開かれた中日農村建設学術研究会後の見学会で訪ねた。
このあたりに建っていた四合院形式の住宅が古く、かなり痛んできたので、地区全体を再開発した。新しい住居群は、四合院形式を準用して中庭をとり、その四周に住戸を配列する方式としたうえで、高さを2・3階建に抑え、瓦屋根をのせて、旧来の街並み景観に馴染ませている(写真、中庭から見た住居群、写真はホームページ参照、写真はホームページ参照)。
特に道路側は2階建とし(前頁写真の左手、ホームページ参照)、通り側の家並みの調子を整えている。
面積は2LKタイプの場合で約60㎡ほどである。以前の集合住宅が同タイプで45㎡だったそうだから、かなり改善されている。
図に示した住居は3LKタイプで、夫婦と子供2人の4人暮らしである。中庭に対して北西隅の位置で、中庭側に入り口、続いて8帖強の客庁を中心におよそ8帖の夫婦用房間(下写真、ホームページ参照)、約6帖の子供用房間2室とキッチンが並ぶ。
明るい色調の仕上げに、照明器具やベッドカバーもあか抜けている。市の意欲作のため要人、外国人の見学も多いそうで、私たちの質問にもおおらかに応えてくれる。
国際都市の面目躍如を感じた。が、間取り図をみても客庁が家族の団らん、食事、接客の場となり、さらに各部屋の動線空間となっていて、奥のキッチンは機能的に連続するとしても、トイレも客庁の面して、面積不足による無理がうかがえる。
面積の壁を破ることが期待される。これは日本の公営住宅の歴史でも同じことが起きているので、失敗の轍を踏まないために参考にしてほしかった。
ただ、旧来からの居住者の家賃は、新しい居住者のわずか1/10に優遇する措置をとっている。これなら旧来のコミュニティも発展的に残されよう。埼玉県上尾市の共同建て替え住宅を彷彿させる仕組みである。
また、中庭側に入口を配置したのも、コミュニティの醸成には有効である。いずれにしても首都北京の中核ともいえる場所で歴史景観を生かした2~3階の集合住宅への挑戦は賞賛に値しよう。