1996 中国・山東省のカン /1996.3
1996年3月、半年ぶりに北京空港に降り立った。当時の空港は国際都市にしてはやや薄暗く雑然とした感じを受けるが、中国人のエネルギーはそれを補って余りある。
例えば、空港出口には「○○ツアー」や「歓迎△△」、あるいはただ「I」のように名前だけ書いたカードがひしめき、人が通るたびにカードを少しでも高くしようとするためまるでサッカーのウェーブのようになり、加えてかん高い声が、これもまた人が通るたびにいっせいに声をあげるためうなるように響きわたって、気の弱い人は一瞬たじろいでしまうほどである。
そうこうしていると、一足先に帰国した留学生・S君の顔が見えた。「先生、ここです。お元気ですか」の声に、緊張感が一気に解きほぐされていく。百万人の味方を得たように、さっそく迎えの車に乗り込んだ。
今回の目的地は山東省煙台市。以前、内モンゴルを駆けめぐったとき、「カン」を見つけた。カンは漢民族の生活文化であり、機会があればカンをじっくり調べたいと思っていた。
そんな話を内モンゴルに同行したS君に説明したところ、「そういえば自分の出身地である山東省にはカンが多い、しかし暖房方式が発達しカンをもたない住まいも増えてきた。カンの消失によって伝統的な生活様式がどう変化するのだろうか」、「これを課題に調査を実施したい」と発展した。
日本の農家住宅でもガスや水道の普及によって井戸やかまどが消失し、台所が大きく変容した。農村の婦人解放はこの台所の近代化と軌を一つにしていると言ってもいい。
ところが、空間的な近代化は、台所と続く個室の充足にとどまり、続き間の存続や基本的な部屋配列には及んでいない。
これについては別の機会に論じるとして、ではカンの場合はどうなるのか、私も興味を強くそそられた。
カンのことを私は暖房寝台と説明したが、暖房寝台は私たちが考えるベッドより多様に使われていて、家族の食事や団らん、あるいは客人の接待にも用いられる。寒い地域にあっては、十分暖められた暖房寝台が起居生活の中心であることは容易に想像できるが、そのカンが変化すれば生活様式にかなりの影響が出るのは間違いない。
山東省の調査が熱を帯びてきた。そしていま北京から調査地である煙台に向かうところである。
翌朝、飛行機を乗り換えて煙台市に向かい、まず市街地の住宅、翌日は龍口市で現代的な農村住宅、さらに翌日は莱州鎮で伝統的な住宅、あわせ9戸の住宅調査を行うことができた。詳細な分析はこれからなので、いずれ別の機会に紹介するが、今回はそのうちの伝統を踏まえた新築住宅を紹介したい。
この住まいは若夫婦と幼児の3人家族で、農村でも核家族が定着していることをうかがわせる。屋敷は南をあけたコ字形の主屋と南側の塀で構成されていて、四合院形式の踏襲をみせる。
コ字の南向きほかのどの住宅にも共通し、南面志向の強さを示している。寒風を防ぐことが第一だろうが、風水のためとも思える。
カンは正面右、南側の部屋と左の側房にあり、訪ねたときは正面のカンで母親と幼児がくつろいでいた(写真、ホームぺージ参照)。南を向いたこの部屋は日当たりもいい。お母さんは「カンがぬくぬくして幼児にとても心地がいい」と言っていた。
隣の部屋にはカマドがあり、ここだけをみると内モンゴルのカンに共通した伝統的な形式が浮かびあがってくる。
ところが、正面の左手にはベッドをおいた寝室があり、衣服ダンスもおかれている(写真、ホームぺージ参照)。また、カマドの部屋にはプロパンガスを用いたガス台と温水暖房装置があり、明らかに現代的な生活様式の折衷がみられた。
カンからベッドへ、伝統から現代への過渡期と片づけることもできるが、カンは十分にその存在を主張しているではまいか。
伝統のもつ本来の意味を継承しつつ、そのうえで現代化しているつくりに、民の知恵、民のしたたかさを感じる。まさに建築家なしの建築の醍醐味である。