直接、面識はなかったのですが、最近また付近に住んでおられた日本人のご婦人が亡くなられました。
彼女の息子さんとは20年以上前に「国際指揮者コンクール」で一緒にお仕事をしたことがあります。
映画監督志望だった彼は2006年に公開された日本映画『バルトの楽園』でアシスタントを務めています。
「バルト」はドイツ語で「髭」を意味します。
「楽園」は「らくえん」ではなく「がくえん」と読みます。
この映画の舞台は第一次世界大戦中の徳島県鳴門市にあった板東俘虜収容所です。
この収容所は俘虜による楽団が『交響曲第9番 歓喜の歌』を日本で初めて演奏した所として知られています。
「バルト(髭)」がタイトルに用いられているのは収容所の所長、松江豊寿(まつえとよひさ)とドイツ兵俘虜の中心的人物だった
クルト・ハインリッヒ(ドイツ軍青島総督ー少将)の二人が立派な髭の持ち主だったからです。
ちなみにハインリッヒ少将を演じたのはブルーノ・ガンツというスイス人ですがドイツ映画界の名優で、「ヒトラー最後の12日間」では
ヒトラーを演じ、高い評価を受けました。
以前、このブログで紹介した「ドイツと日本を結ぶもの」にもこの板東収容所の記載があります。
この板東収容所ではスポーツや菜園のために収容所外に広い土地が借り上げられ、捕虜の自主的活動が奨励されました。
そのため料理店、菓子店、肉屋、木工、金属加工業などドイツ人が得意とするさまざまな手工業が営まれ、定期的にドイツ語の新聞も発行されていました。
第一次世界大戦中、1914年の11月に日本陸軍がドイツ帝国の租借地だった青島(チンタオ)を占領したのち、ほぼ4500名のドイツ軍捕虜は1919年12月末から翌年の1月にかけての開放までの間、約5年間、日本各地の収容所(最終的には6か所)に滞在することになります。
日本各地の収容所の中でも、特に板東収容所は所長の松江の配慮で俘虜にはかなり自由な活動が許され、遠足は50回以上も行われたとされます。
またよく付近の住民を招いて交流会や俘虜の作品展示会も催されました。
製作品展示会の写真ですが、水車小屋、メリーゴーラウンド、人形劇舞台などのかなり大がかりな模型がみられます。
会場内を見学する日本人の姿もみられます。
捕虜生活ですから確かにかなり制約された生活だったのでしょうが、解放後、何人かは祖国にもどらず神戸でベーカリーや肉屋を開業したということは、板東収容所の暮らしで日本びいきになったドイツ人捕虜がいたということなのでしょう。
主人公のひとりであるハインリッヒ少将は初め、松江所長と対立することもありましたが、
板東を去るにあたり、松江に感謝の言葉とともに愛用のステッキを贈るのです。
もう一度、鑑賞したい映画です。
余談ですが、昨日からドイツでも映画「サイレンスー沈黙」が公開されています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます