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気がつけばふるさと離れて34年

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時事ひとりごと - 39 (新型コロナウィルス対策 ドイツと台湾)

2020-03-01 01:04:01 | 時事ひとりごと
ドイツでも新型コロナウィルスの感染が拡大しています。
感染経路が確定でき、まだ市中感染がないこともあるのかもしれませんが、感染対策に関して、今の所行政への批判の声は聞かれません。

ここ2週間ほど感染者数は16人で抑えられていましたが、カーニバル直後から衝撃的な新型コロナウィルスの話題がメディアに登場するようになりました。

私が住むNRW州にあるハインツベルグ郡の男性が新型コロナウィルスに感染し重症であること、奥様も感染したこと。
お二人は2月15日にカーニバルの集会(参加者300人)に参加したこと、そして奥様は幼稚園の先生であることなどです。
それでこの地区では濃厚接触者1000人に対して2週間の自宅待機が要請されました。
2週間分の食料に対しては市の危機対策本部の職員が責任を持って宅配業者や当事者の親類知人と調整することなどが発表されました。

ここケルンでもハインツベルク郡のカーニバルの集会に参加したケルン在住の人物が感染者となりました。
新聞は「ケルンにも遂にコロナウィルス到達」とセンセーショナルなタイトルで一面トップで記事を掲載しました。


その日のお昼にシュパーン保健大臣がゼーホーファー内務大臣と共に記者会見を行いました。
テレビ中継を視聴したのですが、39歳という若い保健相の理路整然とした説明と答弁(原稿なしのフリースピーチ)は大臣の頭脳明晰さを示していました。

余談ですが、先日ベルリンで仕事をご一緒した在独日本大使館の方がシュパーン大臣は保健省の中でも人気があるということを述べておられました。政策ビジョンがはっきりしているので職員は仕事がしやすいのだそうです。
この記者会見でシュパーン保健相が「パンデミック・プラン」の発動準備について語っていたので、ドイツでは各自治体レベルまでそのような「行動計画」が策定されており、それが緊急時にはすぐに実行に移せることを知りました。
この記者会見は国民がパニックになるのを防ぐのに効果的だったと思います。

また先日シュパーン大臣は「マスクが品薄になるのではないか」という質問に対して、「マスクの輸出を禁止し、緊急時には接収することも考えられる」と答えています。

今日のネットで閲覧した「AERAdot.」の新型コロナウィルス対策で成果をあげている台湾政府の政策に類似していると思いました。
台湾では中国へのマスク輸出禁止や厳しい渡航制限などがかなり早い時期に施行されたということです。

ドイツでは中国などへの渡航制限は各会社毎に決められているようです。
ただ中国、韓国、日本、イタリア、イランなど感染者数の多い国からドイツへの入国者に対しては「所在追跡・健康質問票」への記載が義務付けられ、後日感染経路が追跡できるようになりました。

多くの感染者の引き金となったハインツベルグ郡在住の夫妻に対しては「この時期カーニバルの集会に参加した」ことへの非難の声も聞かれますが、それに対して現在「危機管理本部」の広報担当をしているプッシュさん(この郡の郡長)のお答えが良かったです。
「夫妻がカーニバルの集会に参加したのは2月15日です。その頃ドイツでは新型コロナウィルスは他の国の出来事としてほとんど話題にならなかったではありませんか。そんな時ちょっと鼻かぜ気味だったらアナタだって集会には参加するんじゃありませんか?夫妻も誰かから感染された被害者なのです。非難よりも重症者にはお見舞いの言葉を述べるべきではないですか」





時事ひとりごと - 38 (良医とは)

2019-12-09 14:54:50 | 時事ひとりごと

先頃アフガニスタンで銃撃されて亡くなられた中村哲医師の追悼記事を読んで感動したのは、

中村さんが医師の使命である「命を救うこと」を終始一貫して遂行されていたことです。

アフガニスタンでは気候変動のため砂漠化した地域で餓死する児童が急増しましたが、

子供が多数死亡した原因は栄養不足ではなく、汚染水を飲用して赤痢などにかかり下痢をしてしまい、
水分を補給できなかったからです。

どんなに薬を投与しても、体内から失われた水分を補給できなければ、患者を救うことはできません。

診療所での治療よりも大切なことは住民に十分な水を提供することだということで、

用水路の建設に着手し、8年間かけて27kmの長さの水路を完成させます。

コンクリートで護岸するのではなく、付近に大量にある岩石を金網に積める「蛇籠」を使うのは、

江戸時代の用水路技術からヒントを得たそうです。

用水路完成後の維持管理は、そこに定住する住民のみができるということで、

上流に新しく村を建設します。

噂を聞いた以前の村人たちが次々に集まってきます。

砂漠化した土地で一体どんな植物が育つのかと色々試行錯誤して、大豆、スイカ、米、綿花、菜種などが栽培できるようになります。

初めての収穫時で見せた住民の笑顔が印象的でした。

「食べるものがある安全な場所には人々がやってくる」と中村さんが話していたとおり、

難民としてその地を離れていった人々が戻ってくるようになります。

現在世界中で問題になっている「難民対策」に中村さんの取り組みは大変良い参考になると思います。

銃撃で亡くなられてしまったという悲しい出来事により、中村さんという素晴らしい方の存在を初めて知りました。

祖国にこのような方がいらしたということを誇りに思います。

時事ひとりごと - 37(自由の値段)

2019-11-07 16:50:57 | 時事ひとりごと
明後日の11月9日は「ベルリンの壁」が崩壊して30年になる記念の日です。

今週ドイツのメディアは色々な記念特集記事や番組を報道しています。

今週の月曜日から3夜連続でドイツ第二テレビ(ZDF)で放映されたテレビ番組”Preis der Freiheit(自由の値段)”もそのひとつです。



東西ドイツに分断されていた頃の東ドイツ(ドイツ民主共和国)と西ドイツ(ドイツ連邦共和国)間には東ドイツ側に収容されていた政治犯を釈放して西ドイツに引き渡すという密約がありました。

そして釈放される政治犯ひとりあたりに対する対価(西ドイツマルク)も交渉で決められていました。

1963年から1989年までの間に33755人が西ドイツに釈放され、その対価として西ドイツは合計で約35億マルク支払ったということです。

当時の東ドイツの対外貿易省には商業調整部があり、この部署の仕事は資本主義国と(非公式に)対外貿易をして外貨を獲得することでした。

上の写真の真ん中に座る女性がこの商業調整部のチーフをしています。

この商業調整部が西ドイツ側の担当官と政治犯の「値段」の交渉にあたるシーンは「政治犯の自由」があたかも物品のように取り扱われており、とても奇異な感じでした。

どこまで史実に即して描かれているかわかりませんが、今年視聴したテレビドラマの中では秀逸な作品だと思います。

ベルリンの壁が崩壊して西側への通行が自由になったことや自由に自分の意見を表明できることで当初はみんな歓喜に浸っていたし、
流血事件もなく東西ドイツが統一したことはやはり「奇跡」と呼んで良いと思います。



ただ当時の東ドイツにはそれまで真面目に仕事をして、裕福とはいえないにしてもある程度自分たちの生活に満足していた人々も多くいたこと。自由な言論、西側への自由な移動をそれほど重要なものとしてとらえていなかった人たちも多くいたこと。そしてその人たちが大量に解雇され失業してしまったことは事実です。

40年間、違う政治体制下で分断されてきた国を統一するのはとても困難なことだと痛感します。












時事ひとりごと-36(テューリンゲン州議会選挙)

2019-10-28 12:06:17 | 時事ひとりごと
今朝の新聞は昨日行われた東部ドイツ、テューリンゲン州の州議会選挙の結果を報じていました。



現政権の左派政党と極右のAfD(ドイツのための選択肢)が躍進し、メルケル首相の連立与党キリスト教民衆同盟は前回の選挙を12%以上支持率が下がり、第三勢力になってしまいました。
来年の連邦議会選挙はどうなるか気になります。

この選挙結果について色々述べられていますが、私はやはり東西ドイツ国民の意識の違いではないかと思っています。

30年前にベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一されたとはいってもあいかわらず格差はあります。

確かに当時、東西ドイツには国境があり、東ドイツには言論の自由はなかったとはいっても、当時の東ドイツでは失業率はゼロ(東ドイツの憲法には国民全てに労働の場を与えるということが唄われていたらしいです→確かめたわけではないのですが)、全ての幼児は幼稚園に入ることができました。西側への旅行はできませんでしたが、社会主義国の東欧諸国や場合によってはカリブ海のキューバへの旅行も認められていました。

もしかすると当時の東ドイツの状況は「そんなに悪いものではなかった」と思う人々がかなり多くいて、当時の東ドイツの独裁政党SED(社会主義統一党)の後継政党である左派政党に一票を投じたのかもしれません。

極右のAfD(ドイツのための選択肢)に投じた人々はやはり現在の難民政策に不満を抱いている人なのではないかと思います。
以前(30年以上前)東ドイツでは外国人を目にすることはほとんどありませんでした。
外国人といえばやはり社会主義国の北朝鮮とかベトナムの留学生、あるいは医療技術が優れたキューバのお医者さんもいたかもしれません。
そして数年前から多くの難民の姿を目にするようになり違和感を抱いたとしても不思議ではありません。

外国人ということでは従来から外国人労働者を受け入れてきた西側のドイツ人は比較的違和感が少なかったとは思いますが、それでも多くの難民を受け入れ、そしてその難民の何人かが罪を犯してしまうとやはり難民に対して不信感を抱いてしまいます。

1949年5月に当時西側の戦勝国(アメリカ、イギリス、フランス)の管理下におかれていた西ドイツがドイツ連邦共和国の成立を宣言し、それに対抗する形で同じ年の10月にソ連の管理地域だった東ドイツがドイツ民主共和国を宣言したので、東西ドイツの分断期間は40年間です。

今年はベルリンの壁崩壊から30年の記念の年ですが、東西ドイツの人々の意識格差が埋まるまでにはもしかするとあと10年は必要なのかもしれません。

時事ひとりごと - 35 (商業捕鯨)

2019-07-02 17:14:07 | 時事ひとりごと
日本で商業捕鯨が再開されたニュースは昨夜のテレビ報道に続いて、朝刊でも記事が掲載されていました。



記事の最後に「戦後の食糧難時、蛋白質摂取のため占領米軍が捕鯨を指示、しかし現在、鯨肉の需要はほとんどない」と記されていました。

商業捕鯨は日本近海での捕獲なのか、これまで南極で行われてきたいわゆる「調査捕鯨」は続行されるのか不明ですが、ともかく今後日本への批判が強まりそうです。

我が家の鯨の置物です。
以前、かつての捕鯨地(和歌山の太地とか?)訪れた時に購入したのだと思いますが、どこかは覚えていません。


今日は対韓国経済制裁の記事も掲載されていました。
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「商業捕鯨再開」と「対韓国経済制裁発動」はあまりポジティブとは言えないニュースですが、昨夜のバラエティ番組での「ウォークマン発売40年」は日本製品が世界を席巻したということで海外在住組としてはちょっと鼻が高かったです。

古いウォークマンを若者に見せて、「何かわかる?」と問う街頭インタビューでしたが、スマホ世代の若者のほとんどはわかりませんでした。

銀座ではこれまでのウォークマンが展示されているようですね。
我が家のウォークマンはどの世代なのでしょうか。
今後絶対に使用することはないと思うのですが、私はやはり壊れていない機器を捨てるのはできない古い世代に属しているのでしょう。