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新しい視点

2017-10-22 20:18:15 | 音楽&本&映画
今年の秋から冬にかけて、若い頃公開されたSF映画の続編が続々公開される。
続編っても、何作目なんだってくらい続いている映画もあれば、これが2作目ってのもある。
夏にそのことを知って、きっと観に行っちゃうんだろうなあと思ったけど、こないだまで忘れてた。
慌てて調べたら意中の3作の内1作はすでに公開されていた。
まずい、もうそろそろ上映終了しそうな時間割だった。
てことで「エイリアン・コヴェナント」、観てきた。
その感想を。
もう公開終了間際だからいいんだろうけど一応、以下ネタバレ注意。



いつものごとく、どんな位置づけの作品かはまったく知らないまま鑑賞。
話の途中から、「プロメテウス」の後日譚であることが分かってきた。
プロメテウスで最後まで生き残ったショウ博士とアンドロイドのデヴィッド。
そのデヴィッドが再登場。
前作でデヴィッドを助けたショウ博士。
それが仇になった。
そもそもショウ博士の恋人のホロウェイ博士を殺したのはデヴィッドだ。
間接的に人を殺してしまう行動原理を持ち合わせてしまったアンドロイド。
そんなアンドロイドを修復してしまった優しさがさらなる悲劇を生む物語。

エイリアンといえば恐怖を味わう映画であるが、今作のコヴェナントは趣きを異にしている。
もちろん化物怪物の類が出てくるので怖いのは怖いが、これまでの作品で何度も見ているし正体不明の恐ろしさはもうない。
それでもこうして続編が作られるのは謎が残っているからだろう。
それはどうやってそんな化物が「できあがった」のか。

それは自然発生し得るものなのか。
その疑問はエイリアンに限らず我々人類に向けてもおかしくないもので、それを想像した結果のひとつが前作プロメテウスで描かれている。
誰が人を創造したのか。
ウェイランド社長が追い求めた人類の起源。

その社長が造ったアンドロイド、デヴィッド。
コヴェナントではエイリアンの生みの親について解き明かされている。
自らは生命を創り出すことのできないアンドロイドが、自分も何かを創造したいという欲求が、異星人の生物兵器という特殊な種を得ることで、宇宙最強の生命体を遺伝子操作で創り出してしまう。
新たな動機を既にある素材に掛け合わせ、うまいこと物語にしたなというのが鑑賞後の感想。



さらに同じ思考で遡れば異星人の創造主は誰なのかということにつながる。
それを表そうとするのかどうかは知らない。
ハリウッドの創造者(想像者?)にすれば可能なのかもしれないが、それが面白い物語となるかどうかは疑問だ。
次作も作成されるようだが、さて次の視点はどんな新しいものになるのだろう。

二子玉川にて

2017-04-12 00:18:50 | 音楽&本&映画
先週末は映画三昧なお休みになった。
三昧っても、観たのは二本だけだけど、連続して観ることはあまりないからな。
記事に取り上げたいと思ったのはそのうちの一本で「夜は短し歩けよ乙女」という、アニメである。
もう一本の方の座席予約をしようと映画館のHPにアクセスしたら、クリックしてもいないのにこの作品の情宣動画が流れ始めた。
間違ってクリックしたかな。
おかげでその時まで作られているとさえ知らなかった存在を知ることができた。



原作者の森見登美彦は個人的に気になる小説家。
ちょっと変わった作風で、人により好き嫌いが分かれそう。
私も作品により好き嫌いが分かれる。
この作者の小説で初めて読んだのが「夜は短し歩けよ乙女」だったと思う。
ずいぶん昔なので例のごとく内容はほぼほぼ忘れていて、なんか面白かった事だけ覚えている。
それだけだったら多分観に行かなかったろうが、昔TVでアニメ化された彼の別作品「四畳半神話大系」をDVDで持っていて、今回の映画の制作者が同じであると知った事が大きい。



この「四畳半神話大系」、だいぶ変わった作りで私はコロリとやられてしまった。
ちょっと特異なアニメなのである。
今回声優も同じ人が重なってて、二番煎じ的なものかもでもそれでもいいかと観にいくことにした。
しかし上映が始まり早々に、私の予想は大いに裏切られたことを知る。



作風は変わらぬものの、新たな要素を取り入れ、さらにパワーアップし、なんとも楽しい出来上がりになっていた。
小説と同じくやはり好き嫌いが分かれると思うけど。
原作のストーリーは忘れたのでどれだけ違うかは不明。
あー、そういえばこんなだった、というエピソードをいくつか思い出した。
彼の京都を舞台にした作品には重複して同じような組織、建物、人物、小物が出てきてニヤリとさせられる。



観に来てた観客の年齢層は高め。
まあ大人向けの作品と言える。
内容をうまく表現できる語彙を残念ながらもう持っていないが、頑張って書くと…
絵は細かなものでなくおおまか。
でも動きや構図が面白い。
自由闊達、ハチャメチャ、真摯、ストレート、早口、なんてのがキーワードだろうか。
予告編などの動画をチェックすれば、その雰囲気はいやでも伝わるはず。
興味が湧いたら観に行ってくだされ。




後事を託す

2016-12-23 00:03:09 | 音楽&本&映画
初めてのIMAX3Dで、ローグ・ワンを見た。
以下、その感想。
物語の内容に少し触れてるので、知りたくない方はご注意あれ。



今回もまったく予備知識無しで映画館へ。
予告編を何度か見てしまってるので、出てくる帝国軍の兵器や人物から、物語の時代背景はこの辺かなと想像していたが、エピソード4にこれほどダイレクトに繋がっているとは思いもよらず、ラストシーンにうれしくなってしまった。
映画の冒頭、いつものようにルーカスフィルムのクレジットと「A long time ago, …」で始まる出だしに、画面いっぱいの「STAR WARS」の文字とメインタイトルの音楽が鳴り響くタイミングを図っていたら、静かな宇宙空間から始まって肩透かしを食った。
サブタイトルにスター・ウォーズ・ストーリーなんて付いていたのでそんな期待をしたのだが、シリーズ本編とは違うローグ・ワンというサイドストーリーなんだと思い出す。
音楽もまんまスター・ウォーズのフレーズはあまり使われず、違う物語のようだ。

これは監督の好み?なのか、俯瞰した広大な背景の絵が多かった。
壮大な作品世界を表すのにはピッタリで、これまでのシリーズにない絵造りと思う。
加えてIMAXのでっかい画面でその広がりを堪能できた。
ただ、だからなのかそれとも3Dの弊害?なのか、飛んでる宇宙船がやたら小さく見えた。
実際に見せたいはずの大きさに見えず、時には模型のように見えたりして、ひと昔前の特撮っぽく見えること多々。
それだけが最新の映画らしくなく、しっくりこなかったな。

あとこれまでと違うなと感じたのが地上戦闘シーンでの爆発。
現代の戦争映画風で、身近で爆発するのがなにやら生々しい。
スター・ウォーズの戦闘シーンって未来の物語らしく、レーザー光線が行き交い、ライトセーバーが閃くものだった。
銃撃戦はレーザーが地面や壁に突き刺さり終わるので、スマートなイメージだった事に気付かされる。
爆発もあるにはあったが、基地施設の爆発を遠くから撮ったりとか、あまり過激でなかったよな。

そして一番の驚きはやはり懐かしの登場人物たちの再登場。
ダース・ベイダーはマスクを被ってるからなんとでもなるんだろうけど、モフ・ターキン総督、モン・モスマ最高指導者、レッドリーダーにゴールドリーダー、そしてレイア姫、なんて方たちが当時の姿で演じているのだ。
そんな事態が目の前に展開している不思議は、一作目を見てから40年弱という時を生きてきた記憶があるゆえの感慨だろう。
詳細不明だがさらりとネットで調べたところでは、昔の映像を使ったりCG合成したりを組み合わせて作っているらしい。
ターキン総督はシーン毎に微妙に違った印象を受けたので、昔の映像とCGの両方を使っていたのだろう。
その辺はIMAXの高精細な表現力が仇となったと言えるか。
レイア姫は一瞬だけだったので違和感なし。
でもちょっと美化しすぎ?
ツルピカの若々しいお姫様だった。
今のCGはホントにもうなんでも作れちゃうんだなあ。
そんななか、モン・モスマは当時と別人の役者さんが演じているらしい。
メイクで多少は似せてるのかもしれないけど、登場した瞬間彼女だと認識しちゃったのでうまいもんだ。
二人並べれば違いは明確なんだろうけど、…やっぱり違和感なかったなあ。

物語はそのモン・モスマがエピソード4での最終決戦前、とても多くの犠牲を払い入手したと静かに嘆くデス・スターの設計図奪取の顛末である。
多くの犠牲と言うとおり、この物語の反乱同盟軍側の主要登場人物は全て戦死してしまう。
ハッピーエンドな映画がほとんどのご時世だが、物語の性質上そうであるべく作られていて納得感がある。
大人の物語ですな。
そしてデス・スターがなんでたった一発の魚雷で木っ端微塵に爆発してしまうような造りなのか、その理由が明らかになる。

さて一作目から見ている者にとってはその他にも感涙もののシーンがオンパレードである。
両軍の兵器はほとんどエピソード4~6で登場したものばかりである。
デス・スターのスーパーレーザー管制装置は当時のイメージそのままだし、携帯式対戦車ロケット弾に頬を殴りつけられるAT-ATも相変わらずの存在感である。
ヤビンから飛び立つ船を見送る監視兵とか、旧作をうまく意識させるなあと思った。
なにも知らない人が見ても楽しめるのだろうけど、やっぱりスター・ウォーズのファンが最も楽しめる作品になってると思う。


なんで新しく感じたのか

2016-08-21 20:05:22 | 音楽&本&映画
小説は程度の差こそあれ、我々を日常生活から離れた仮想の世界に連れて行ってくれるツールだ。
時々うんと遠い世界に連れて行って欲しくなる。
そんな時は、SFなりファンタジーな内容のものを選び読めばよい。
先日そんな気分に陥ってしまった。
それで本屋に並ぶ文庫本の背表紙の文字に、手を伸ばしたのは「図書館の魔女」4巻セットの第1巻だった。
開いてみると、本文までに登場人物覚書に話の舞台の古地図、目次はひらがなばかりで、なにやらファンタジー小説の雰囲気が整っている。
帯のコピーは当然「こりゃお勧めですぜ旦那」な文言。
4巻もあるのか。
まあ、つまらなければ全部読まなくてもいいか、と買ってみた。
反対に4巻も楽しめて良かった、が読中読後の感想だった。

ファンタジーとは、乱暴に言ってしまえばこの世とは違う異世界での冒険物語だ。
例えば魔法が幅を利かせ魔物が跋扈する不思議の国の不条理が背景だったりする。
「図書館の魔女」は舞台設定こそファンタジーだが、語られる内容は理にかなっており、現実に「ありそー」なお話し。
物語はあくまで理詰めで進む。
魔女や魔術なんて表現も出てくるが、それらは隠喩で使われるだけ。
だけど異世界情緒たっぷり。
少し無理があるのは主人公の女の子男の子の、年齢に似合わぬ異常に秀でた能力くらいか。
まあ、これがないとこの物語は成り立たないのだが。

主題は言葉の力である。
話すということ、書くということ、読むということ。
その意の伝え方によりその意味するところが変わる。
言外に託した真意、ふさわしくない言葉の裏。
これらをあやつり、把握し、状況を鑑みて利用する。
書物は言葉を撚り合せたもの。
図書館はそれら書物を納めた場所。
主人公たちはその図書館を根城とし、文献より得た知識を駆使して、最も効果的に望む結果を得るための対処策を立案し、議会工作、諜報活動を手段として国を動かし敵国に対抗していく。

ふうむ、こう書くとなんか現代のスパイ小説みたいだ。
読んでてそう思えないのはなんでかな。
そこに筆者の腕があるのだろう。
物語の中で語られる上記の言葉の力を、物語を読む我々に対して使用している。
まんまと筆者の策略に乗ってしまった事になるが、策略に乗るのがお勧めだ。
謎解きの要素も多分にあるが、謎をミステリーっぽく使っていないのもいい。
私は純粋な?推理小説は苦手である。
謎解きが主題で、人が殺されているのにコップを割ってしまったみたいなただの出来事として書かれているのがしっくりこない。
この小説のように物語を進める上で必要な謎解きとして使用されるのが良いですな。

先の舞台地図が地球上のものでないので、完全に架空の世界の物語かと思っていたが、北方東方西方南方の観念が現世界のものと似通っていて、時代も中世頃のよう。
その頃の時代背景や環境をベースに使い、しかし登場する国はまったくの仮想、そんな設定だ。
図書館の蔵書の装丁のあり方や生活で使用する備品など、我々の周りに存在する道具を表す言葉で書かれている。
物語の舞台をまったく新しく作るのでなく、既存の概念をそのまま利用して説明にかかる手間を省き、誤った解釈を避けようとしている感じ。
言葉のあやを事細かに説明するのは難しいからな。
それで正解と思う。
その代わり使う言葉はやたら古めかしい。
大体の意味は分かるが、間違った意味に取りたく無い時は、スマホ片手に辞書を引きつつ読むことになった。

最近買った小説は新たな思考方法、アイデアの参考にしようとしたもの。
だからか集中して読むことはなく、ぶつ切りに通勤時間に読んではやめ読んではやめ、座って読むことができたら途中で眠ってしまうこと多々。
しかし「図書館の魔女」は違った。
読書するための時間を設けて読みたいと思わせるものだった。
夕食後、寝るまでの時間に読み進めてもまったく眠くならない。
高校時代に好きな続き物の新刊を手に入れた日に、一晩で読み切ったような面白さ。
その頃の体力は無いので、晩に読むときは翌日の仕事に影響のない範囲ではあったが。
それでも、休日の時間を使い、夕食後に読みたいと思わせる作品に会ったのは久しぶりだ。
である。


みなさんの視点はどんなかな

2016-01-27 23:04:05 | 音楽&本&映画
スターウォーズの7作目を観た。
思うところを書き残しておく。
絶対に観るんだと思ってるけどまだ観てない方はもういないだろうけど、内容に触れているので一応ご注意を。

もう観ることは叶わないと思っていた7作目。
ルーカスがディズニーに権利を売っちゃったので再開された。
ファンにとってはうれしい限りである。
でも人気があるからって10作目は作らないで、潔く9 話でキチンと終わらせてもらいたいものである。
意外だったのはディズニーの露出度の少なさ。
映画の前後にシンデレラ城に流星?のクレジットが映されなかった。
エンドロールにマークが入ってただけ。
いつもの雰囲気で始まり終わり、既存ファンに違いを感じさせない粋な計らい?だったのか。

まずは映像の出来に大満足。
最新の特撮技術?VFX?CG?今は何と言うのだろう、で作るとこんなに充実するのかと前作からの時の流れを感じた。
ジャクーとかの背景がいいね。
こういうのに私は弱い。
時の流れと言えば物語は第6話の30年後で、懐かしい顔が実年齢で30歳老けて再登場。
レイア姫はレイア姫に見えたけど、ハン・ソロはハリソン・フォードに見えた。
30年前はハン・ソロかインディ・ジョーンズのイメージしかなかったのに、その後の活躍でその二人のイメージを払拭したからなあ。
そうなんだ、画面に登場した時なんか違和感があったのはそれなんだ。
若い頃の向こう見ずなやんちゃさが消えて、なにやら人のいいおじ(い)さんに見えた。
反乱軍で過ごし、子育てしたから丸くなった設定なのかもしれないけど。

登場人物は新たな謎を秘めたメンバーばかりだ。
主人公の2人?は何故かフォースに目覚め、拙くはあるものの徐々に覚醒していく。
きっと出自に秘密があるに違いない。
どんな人間関係を設定しているのか。
また親子とか兄弟とかなんだろうか。
別の目新しい設定がなされていることを期待したい。
ハリウッドの優秀な脚本家のアイデアを見せてもらいたいものだ。

敵方のファースト・オーダーはこれで大丈夫なの?って感じの布陣。
新たな悪役カイロ・レンは怒りを制御できないし、覚醒し始めたばかりのレイに叩きのめされるし 、最高指導者スノークもおどろおどろしいんだけどルークをやたら恐れてる。
ダースベイダーや皇帝が発していた底知れぬ余裕と不気味さが感じられない。
なんかやっつけられそう。
ライトサイドに転向しないよう彼らを応援しないといけない有様だ。

物語には山がいくつもあって、一話ものとして見ると盛り上がり処が分散されてしまった感がある。
いや、ひとつの山の出来がいいので、それがいくつもいくつもやって来て、咀嚼しきれなかったと言った方がいいか。
戦いのメインイベントはまたデススターだ。
名称も変わり兵器としてはデススターより格段にパワーアップしているが、危機感の煽り方や攻撃の手法など一作目三作目と同じだ。
二手に別れシールドを破壊し少数部隊で急所を攻撃。
ここまで一緒だとワザとやってるとしか思えない。
再開に当たって一作目へのオマージュとしてこの展開にしたのだろうか。
ところで太陽近くからエネルギーを丸々吸収し蓄えるのに、惑星表面が氷雪で覆われてるってあり得るのだろうか。

もともとボロかったらしいミレニアム・ファルコン号がさらに薄汚れて再登場。
こちらは見覚えのある船内グッズがちょろっと出て来て、一作目を見ている者を喜ばせてくれた。
盤上で怪物を闘わせるCGゲームやルークが目隠ししてライトセーバーの練習をした相手の球体だとか。
他にもあったのかもしれないが、気付いたのはそんなとこ。

まあ、そんなこんなを楽しませてくれる第七作。
3D版を見に行こうかどうしようか迷っている。


偶然の出遭いを楽しむ

2015-11-28 21:43:11 | 音楽&本&映画
新居に越してから駐車場を探した。
なんとも都合よく、新居の駐車場に空きが出た。
さっそく契約し、駐車場が見つかるまで置かせてもらっていた実家から車を運転してきた。
伊勢自動車道から東名阪、伊勢湾岸道、東名、新東名を延々と走り、愛車を新居に連れてきた。
新しい土地でこれからもよろしく。

さてその道中、新東名の浜松SAに昼食に寄ると、中古のCD・DVDを売るお店があった。
こんなお店を見つけると、品揃えは薄いがもしや、と期待してひと通りラベルに目を走らす。
以前見つけた「ピッチブラック」みたいな自分にとっての掘り出し物が見つかるかもしれない。
そんな当てなく探すものとは別に、具体的に探すタイトルが実はある。
飯島真理の「midori」というCDアルバムだ。
学生時代にCDをレンタルし、カセットテープにコピーして部屋で車で繰り返し聞いた。
カセットテープはまだあるが、今の車にはカセットプレーヤーは備わっていない。
それゆえ、中古でCDが出回っていないかとそんな機会に探してみるのだった。

これまで、そのアルバムどころか飯島真理のCDにすら出会わなかったのに、そこの商品棚に「定番COLLECTION ROSE|飯島真理」なんて背表紙があった。

おお、思わず手に取った。
しかしなんだ「定番」って。
まあいい。
見たことない若い女の子が、バラ色を背景にポーズしたジャケットだ。
デビューアルバムとある。
ふーん、若い時はこんなだったんだ。
私が覚えているのはリンミンメイ役で有名に?なったあとのそれなりに年取った?彼女だ。
(んー、飯島真理のアルバムは「midori」という作品を一つ持っているだけで、熱烈なファンという訳では無い。)

収録されてる曲名を見ると「midori」に入ってた曲がいくつかあった。
「midori」はベストアルバムだったか。
その曲だけでも聞いてみたく買ってやろうかと値段を見ると、元の定価が1800円なのに1500円の値をつけてる。
おいおい、高いな。
お店の陳列棚の上には「500円~」と表示があったので、それくらいの値段ならと思っていたが、…1500円か。
やらしい値段をつけるなあ。
一般的に出回っているメジャーな作品にこんな値段がついてたら誰も買わないだろうけど、こんなマニアックなのに目をつけるのは一部の奴だけで、そんな奴はこんな値段でも買うだろうと値付けしているように疑ってしまう。
私はその狙いにまんまと乗る奴だった。

レジに持って行った。
係りの若い女の子に差し出すと値段を見て、「1500円ですがいいですか?」と確認してくる。
ふーん、高いと認識してるのね。
ならダメもとで、「安くならないの?」と聞いてみた。
するとかわいく身もだえて、「こちらもギリギリの値段でご提供していますので」と困ったように言わはる。
まあそうだろう。
私も生粋の大阪人ではないのでそれ以上食い下がる気にはならず、あっさりそれでいいよと買ってあげた。
女の子はホッとして、下りのSAでも店を出してるのでまたどうぞと次回100円割引券をくれた。
新東名を利用する男性諸君、浜松SAの中古CD・DVD屋さんでかわいい女の子がレジしていたら値切ってみよう。
身悶えてくれますよ。

車に戻ってさっそく包装を剥いでみると、ほとんど新品と見まがう状態の良さだった。
これなら仕入れ値もそれなりだったんだろう。
私の思った値付けの疑いは解消。
大変失礼した。
CDプレーヤーに挿入して聞いてみると、知らない歌だが知ってる声音が車内に広がった。

ジャケットはアイドル歌手然としているが、自身で作詞・作曲している。
編曲は坂本龍一だ。
普通のアイドルのデビューアルバムとは一線を隔した歌唱力と思う。
語りかける甘く透明な声。
高音部で声の厚みが変わり、苦しげに歌うよう聞こえるのが彼女らしい。
私には不要と思われる力点がそこここにあるのも、ああこんなだったと思い出す。
ほとんどが恋の歌である。
知ってる曲は「midori」の記憶のままだった。

彼女の歌を聴くと「マクロス」に記憶が振れることもあるが、それより学生時代に士郎正宗の「アップルシード」というマンガを繰り返し楽しむとき必ずBGMとして流していたので、そのマンガの場面に繋がることが多い。
今回引っ越しするとき、本棚の奥からその本が現れた。
再び彼女の声を聴きながら、オリュンポスでのデュナンの活躍をまた辿ってみることにしよう。




本の山の地質調査

2015-09-24 23:44:12 | 音楽&本&映画
さて、引っ越すことになって、一番の難題は部屋の片付けである。
古本を売っぱらってやるんだと息巻いてどれくらい経っただろう。
全く手付かず状態で転勤話が出た。
大仏さんのお尻の様に重かった私の尻を無理やり持ち上げねばならなくなった。
お休みは半分遊ぶのを取り止めて片付けを始めている。
遊ぶのは全部取り止めないと片付け切れない気もするが、遊ばぬ週末はありえない。

まずは本棚の前に山脈を成す、古本古雑誌の山を崩していくことから着手。
山の麓はテレビの番組表やカード会社の情報誌とかなんか。
これは捨てるしかない。
ここ何年か、送られてきても見ることなく山に積むのでビニールの袋が付いたままだ。
なので作業は少し手間がかかる。
袋を剥いで別の山に移し、持てそうな重さまで積み、まとめてくくる。

売れそうな文庫本漫画本は、随分以前に片付けた玄関前のスペースに移す。
埃をかぶっているのでそれを落としながら、ブックカバーを剥がして取り出す。
ブックカバーは本屋さんで巻いてくれる紙製のやつ。
ほぼ全てにブックカバーを付けたままにしていたので、読み終わった時点でその後目に触れることはなくなる。
今回ブックカバーを取って、ああこんなの読んだなあ、と懐かしく思い出した。

しかし漫画の場合は内容を思い出せたのだが、文庫本は記憶に無いものが多い。
ストーリーは忘れたが読んだ覚えのあるものはまだましで、まるっきり読んだ覚えの無いものがわんさか出てくる。
最近また小説を読みたいなと思う様になり、本屋で物色してるのだが、この間買おうかと思った文庫本が山から出てきた。
おっと危ない。
やはり興味の湧くタイプの本は今も昔も変わらないようだ。
山から同じ本が2冊出てきたし。
読んだ本のタイトル一覧を作っておかないといけないな。

記憶に無いのだから新しい本を買わずとも、これらをもう一度読めば安上がりではと思い、残しておこうかとも思う。
が、記憶に無いということはあまり面白くなかったということで、それをもう一度読んでもなあ。
なんて思いながら、カバーを剥いでは積み替え、カバーを剥いでは積み替えする。
手前からばかりだと山が急峻になるので、山頂からも崩しにかかる。
山の下層にいくに従い出てくる化石の時代が古くなるのが道理に適っていて面白い。
とうとう山の向こうの本棚に入った本が顔を覗かせた。
あはは、学生時代に愛読していたお気に入りだ。
何年ぶりかなこの背表紙見るの。

中学生の頃、始めて文庫本を買った。
SF小説だったが面白く、少しづつ本棚に増えていくのを眺めては悦に入っていたものだ。
本棚に綺麗に並べるのは学生時代も同じで、勉強せずに気に入った漫画本を取り出しては何度も読んでたな。
そんなだからあの頃は一度読んだ本を間違えてまた買うなんて考えられなかった。
これらは売る対象にはできない。
引っ越して時間が出来たらまた読み返してみよう。

さて、片付けはまだ道半ば。
玄関前のスペースが無くなったので、次は押し入れ前にスペースを作ろうとしている。
しかしいろんな物が出てくる。
物持ちだったので収納スペースの大きい今の部屋を選んだが、今や部屋の周辺部にある備品は全く使わず生活している。
つまりもっと身軽に暮らす事が出来るということだ。
この引っ越しを機に持ち物をぐっと減らしたいものだ。


夏うたCD

2014-08-08 00:06:20 | 音楽&本&映画
帰省の途中、その日の夕食用の焼酎を調達にコンビニに寄ったら、高速道路のSAなんかで売ってる様なCDが置いてあった。
DVDを売っているのは大阪でもよく見るが、CDとは珍しい。
旅のお供にと、私みたいな物好きの需要がそれなりにあるのだろう。

しばらくCDを買ってないなと思いどんなのがあるのだろうと眺めてみた。
演歌やら歌謡曲やら、ターゲットの年齢層が高い奴ばかりである。
歌手のベストアルバム様の形態のものが多いが、テーマに沿った曲を集めたモノも幾つか。
夏の歌を集めた「夏うた」というのが使えそうだと買ってみた。

三分の一が良く知ってる曲。
二分の一が聞いたことのある曲。
六分の一が知らない曲。
なかなかいいバランス。

翌日大阪への帰り道、2回連続して聞いてしまった。
お天気はあいにくの雨だったが、車内の気分だけでも夏に出来たかな。
それは良かったが、今週は仕事中に頭の中でWhiteberryの夏祭りが繰り返し再生される事態に陥っている。


写真は実家の家庭菜園の続き。
いちおう夏の花である。

<なすびの花>


<きゅうりの花>



箱庭にて

2014-06-07 02:22:51 | 音楽&本&映画
梅田のロフトにはお遊び用品の雑貨屋があって、普通のお店ではあまり見ない珍しいグッズがたくさん並んでいる。
置いてる本の種類も変わっていて、大きな本屋でも取り寄せが必要と思われる書物が山と積まれている。
こんなマイナーな本がこんなに売れるのかなと心配だが、自分も売り上げに貢献してるんだから売れるんだろう。

いつだったかそれほど遠くない昔、普通の本屋で見かけた気になる漫画本をその雑貨屋で再び見つけた。
昔その本を見た時、装丁の絵が魅力的で欲しくなったが、中味が分からず購入する決断が下せず。
存在をすっかり忘れていたが、今回同じように目に留まりしばらくして、そういえば昔見たぞと思い出した。
二度も目に留まるくらいだから、よほど私の心に訴えるものがあるのだろう。
最近時々やってしまうジャケ買いをまたしてしまった。

その本の名は「ひきだしにテラリウム」。
九井諒子(くいりょうこ)著。
マンガのショートショートで33話も入っている。
沢山のアイデアがきらめいていた。
題材に半分SFちっくな設定が使われていて、学生の頃大量に読んだSF小説を思い出して少し懐かしい。
絵も内容にあった多彩な表現で、雰囲気をうまく伝えている。
すらすらと読みたくないがすらすらと読んでしまった。
昔の自分ならもっと一コマ一コマ吟味して楽しんだだろう。
読み方が随分と変わってしまった。

読み終えて数日後、テラリウムってなんだったかとネットで検索をかけたら、「Web文芸誌マトグロッソ」というのが引っかかった。
そこに掲載されていたものを単行本化したようで、人気の高かった4作品がネット上再掲されている。
私の記憶に残ったお話とは少し異なり、意見が合ったのはひとつだけ。

「記号を食べる」
旨そうに見えないんだけど気になる食材。
テニ友に見せたら、「自分だったら本屋でこれを見かけても、なんだこれ、で終わりだな。」とのこと。
私の様にこんなのに興味を持つ人は意外と限定されるのかもしれない。

みな面白いが中でも私のお気に入りは、

「神のみぞ知る」
本編終わった次のページの陰陽師を見て笑った。
あなたが思う様な事を勧めるわけ無いじゃん、と言っていた。

「すごい飯」
表現力と想像力が融合してできた非現実とその実際。
私も幸せな食事がしたい。

「未来人」
上手いなあ。
しっかり忘れた頃にブスッとやられた。

手に入れて良かった。
またジャケ買いするかな。

永遠にここにいる方法

2013-07-03 23:22:59 | 音楽&本&映画
大昔にレンタルビデオで見て以来、大ファンとなった映画「バグダッドカフェ」のDVDを先日手に入れた。
色あせた映像が今も色あせず私の心を癒してくれた。
セピア調のカラー作品。
アメリカのラスベガスに近い荒野、ハイウェイ沿いにある寂びれたガススタンド。
カフェもありモーテルもある「バグダッドカフェ」での物語。


私が癒されるシーン。
全編に渡り、ああたっぷり。

I am calling you.
アメリカ人の夫婦げんか(ブレンダvsサル)
サロモ(ブレンダの息子)のイライラ尖ったピアノ演奏とその練習風景
苦いコーヒーとアメリカンコーヒー
ローゼンハイムの役に立つ魔法瓶
I am calling you.
出て行ったサルを思い涙に霞む目に、荒れ地を歩くスーツ姿の太った女性(ジャスミン)
散らかり埃の積もったモーテルオフィス
釜茹でされる幻想
沈滞したカフェの日々
ジャスミンの連泊を嫌がるモーテルの女主人ブレンダ
徐々にブレンダ以外のカフェの住人と仲良くなるジャスミン
勝手に事務室を掃除するジャスミン
トラブル好き?の刺青師デビー(女性)
許しなく掃除され激怒するブレンダと引き金の壊れたショットガン
トムとジェリーがするバイバイを男友達にするフィリス(ブレンダの娘。多分ハイスクールスチューデント。ああ、アメリカン。)
I am calling you.
アメリカンコーヒー=茶色い水
ブーメランとその回転音
変貌するサロモのピアノ演奏、聞き入るジャスミン、見惚れるコックス
荒れ地を行く貨物列車
夕焼けの空を舞うブーメラン
言い過ぎたブレンダ
ハイウェイを走るトラック
ジャスミンを受け入れるブレンダ
マジックのお披露目
トラッカーをマジックで虜に
コックスの絵のモデルになるジャスミン(n回)
ショーハウスとなり賑わうカフェ(n回)
夕焼けの空を舞うブーメラン
保安官アニーの職質、微笑むデビー
夢の終わり、消えたマジック、昔に戻ったカフェ、残された者たち
コーヒーは濃口で
戻ってきたジャスミン
I am calling you.
賑わいを取り戻したバグダッドカフェ
ブレンダとサルの仲直り
朝焼けの朝、コックスのプロポーズ


前半はカフェの女主人ブレンダのイライラばかりが描かれているのに、なんでかほのぼのとしている。
ああ、不思議。
これが仁徳というものなのか。

なんで「バグダッド」なのかと今更ながら思い、ネットで少し調べてみるも、少し調べたくらいでは分からず。
分かったのはこのカフェ、実在するんだということ。
世界中からこの映画のファンが訪れるらしい。

派手なアクションもスリルたっぷりのサスペンスも何にもない物語。
だけど、もしまだ見られていない方がいらしたらお薦めします。
何もすることの見つからない気だるいお休みの午後なんかに見るのにうってつけ。
つまらないお休みのひと時が、違って見えるようになる気がする。