ご縁をいただいている
薬師寺さまから
毎年いただく
ありがたい造花(つくりばな)
伝統的な作り方を守って作られていることや
その丁寧な作り方や
煎じて飲めるようになっていたことや・・
いろいろなお話を聞いて
あらためてありがたいと思いました!
心を込めて
丁寧に。
これ・・・
「気功法実践の時も
普段の生活も
これが大事ですよ!」
と普段から言っていることです。
そういうことの大切さ…
あらためて感じました!
ありがとうございます!
花会式の造花(つくりばな)について
メモを兼ねて
「奈良倶楽部通信」さまより
金堂内陣薬師三尊像にお供えの造花つくりばなは
梅、桃、桜、山吹、椿、牡丹、藤、ユリ、カキツバタ、菊の10種類。
平安時代に堀川天皇が皇后の病気平癒を薬師如来に祈り
回復した皇后が感謝の気持ちを込めて十種十二鉢の花を作り
修二会の法要で薬師三尊像に供えられたのが
今の「花会式」と呼ばれる華やかな法要の始まりとされています。
実はこの造花つくりばな、明治時代からは橋本家、増田家という2軒の家だけで花造りに携わり、家族で作り続けてらっしゃいます。
橋本家で造っているのは、梅(白140本・紅200本)、山吹90本、椿(赤105本・白105本・ピンク55本・シモフリ55本)、牡丹(赤48本・ピンク36本・シモフリ36本)、菊(黄32本・赤27本・ピンク37本・シモフリ24本)、藤6本の、6種類の花、計996本。
増田家では、桜300本、桃(白120本・赤180本)、杜若(白30本・紫30本)、百合(白10本・かばちゃ10本・赤20本・ピンク20本)の、4種類、計720本を造ってらっしゃいます。
花の茎として使う真竹は節と節の間が35cm以上のもの。
蕾に使うタラや漆は自家栽培して材料を確保している。
和紙は植物染で、増田家は「染司 吉岡」さんに染めてもらい、橋本家は自分のところで染める。
糊も自家製。増田家は餅米粉を水で煮溶かして作る(花により糊の固さを緩い目、固い目と調整する)、橋本家は炊いたご飯を板の上で練って糊にしたり、うるち米と餅米を水に浸してミキサーにかけて作ったり。
梅や桃のおしべめしべには、鹿のお尻の毛を束ねてキハダで色つけしたものがお寺から支給されるのだそう。この毛を束ねる針金だけが自然のものでなく、後は全部自然素材を使って造っている。(葉の軸には藁が使われていたり)
桜の花びらの型抜きも一つの花の型があるのではなく、花びら一片ずつに型を抜いていくという作業。道具を使って花びらにカタチをつけていく作業も、一つの花に何枚も重ねる和紙の枚数と、その一枚一枚に花びらが何枚あるのか、その圧倒的な数に驚くばかりです。
「crea」さまより
ぱっとあたりが明るくなるような、美しい造花(つくりばな)。すべてが和紙で出来ていて、およそ900年の伝統が受け継がれた手作りの花だと説明すると、多くの方が驚かれます。梅、桜、桃、椿、山吹、杜若、牡丹、藤、百合、菊の十種類もあり、代々花づくりを担う家から奉納されます。平安時代、堀河天皇の病気平癒に感謝した皇后が奉納したのがはじまりとのこと。
noboriojiホテルさまより
花会式の由来
薬師寺の本尊は、切れ長の目に伸びやかな眉、黒光りするつややかなお姿の薬師瑠璃光如来(薬師如来)です。日光・月光菩薩の両脇侍をあわせた薬師三尊像は、白鳳時代(7世紀後半から8世紀初頭)の最高傑作といわれ、国宝に指定されています。背面から間近に見ることができる台座には、ギリシャやペルシャ、インド、そして中国の文様が刻まれています。
薬師寺の修二会が「花会式」と呼ばれるようになったのは、今から900年以上をさかのぼる1107年のこと。堀河天皇が病気になった皇后の平癒を祈願したところ、薬師如来の霊験により快癒。以来、皇后は感謝の祈りを込め、毎年修二会に美しい十種の造花(つくりばな)を奉納したことがはじまりと伝えられています。
現在、2,000本近い花づくりに取り組むのは、薬師寺にゆかりのある2家族です。花びらのひだや葉脈にいたるまで精緻に再現した造花は、数ヶ月から1年かけて毎年造られています。材料は、草木染めの和紙や鹿の尾の毛など、できるだけ天然のものを使い、同じ花でもつぼみ、咲きかけ、満開など段階を変えるなど工夫がほどこされています。3月23日に本尊のお身拭いが行われると、「壇供(だんぐ)」と呼ばれる餅や、「牛玉(ごおう)」というお札とともに、季節を先取りしたかのように咲き誇る造花が、12の瓶に盛り分けられて金堂内を荘厳します。